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今日は「宗教」のおはなし

今日は、ややもするとnoteでもそうですが、blogやSNSでも「忌避」するべき話題の一つとされてしまう、宗教のお話です
あくまで私の個人的主観に基づきますし、皆さんに強制・強要するつもりは一切ありませんので、あらかじめお伝えしておきます
(よって、反論や非難も一切受け付けません)

ヘッダ画像は「達也*」さんの画像をトリミング(より参拝されている方が目立たないようにするため)させていただきました
ありがとうございます

さて、ヘッダの画像は達也*さんが撮影された、太宰府天満宮です
私の祖母は旧姓が「菅原」でして、曾祖父は天満宮の宮司でした、もちろん太宰府や北野のような本社ではなく、分社の宮司ですが…
まぁ、そんな由縁から、プロフィールにも書かせて戴いたとおり、神道を尊んでおる次第です
今日は仕事をお休みして、自分の住んでいるところの氏神神社と崇敬神社にお参りしてきました(どちらの神社の崇敬会も入会しております)

さて、最近とみに問題になっている宗教があります
何教とは書きませんが、とにかく「自分たちの都合」を日本に来てまで強要している点が正直言って1ミリも相容れかねます
その宗教自体は、歴史でも勉強しましたし、一部の部分については、現代社会ですら、あってもいいルールだと思うことは、あるんですけどね
でも「それだけが正義」という姿勢で日本に来ている以上、相容れません

日本は古来より「八百万神(やおよろづのかみ)」を説いています
生きとし生けるものはもちろんのこと、自然も含めて全てに神が宿るという考えともいえます
全てのものに神が宿るわけですから、特定のもの・人だけが祭神とはなりません
天満宮ならご祭神は菅原道真公ですし、東京都内でなら、乃木神社は乃木希典将軍、伊勢神宮の内宮なら天照大御神、外宮なら豊受大御神、といった形で、とにかく(信じない方からすれば)実在するかしないかを問わず、様々なご祭神があるわけです、一神教では、ないのです

ここで、寛容性の問題が出てきます
日本人には斯様な下地があるので、寛容性があるとも言えます
寛容性と言うべきか、節操がないというかは、その人次第ですが
クリスマスを祝いつつも、数日後には初詣しているのですから

仏教も寛容性はあります(一部の新興宗教は異なるようですが)
広めた方による「流派」的なものとしての「宗派」があり、それぞれによって一部異なる教義の理解をしていますが、根本は、同じです

でも、ここで「多様性」「ダイバーシティ」をはき違えている宗教を信じている人たちが、多様性やダイバーシティを旗印に、仕事の支障になるような信教の自由を主張したり、日本におけるれっきとした法律であり、護らなければ立ち行かなくなってしまう「墓地埋葬法(墓地、埋葬等に関する法律)」に背くような施設を作ろうとしています…
そのような人たちが、一般生活でも法を犯し迷惑をかけています、道路交通法、道路運送法、などなど…

正直言います
「ダイバーシティ?多様性? お前が言うか?!」
若者言葉で言うところの「おまいう」ですよ

日本に来て(私からしたら「押し込み強盗のように押しかけてきて」)挙げ句の果てにナンチャラ申請した挙げ句に、ロクに働きもしない(というか働かせたくもないので、働かずにご自分の国へ帰って下さい)で、医療制度を使わせろ?生活保護しろ?

ふざけるのも大概にしてください

日本の生活保護制度は「きちんと勤労して、納税して、社会保障費もきちんと負担してきた人に不測の事態があっても、生活を維持できるように保護する」ための大切な制度であって、「施し」をするための制度ではありません

それを要求している時点で、たかりと同じです

今日はごめんなさい、この上なく過激な投稿となってしまいました

宗教は人の考え方を変えます、また、維持もします
また、悪人を更生する力すらあります
しかし、最近の宗教問題は「おしつけ」ばかりなのでは?
それが各種争いに繋がっているような気もしてなりません

除夜の鐘をうるさいという → お前が後から住んでいるんだから、そもそも住むな、お前が引っ越せ!
宗教ではありませんが、小学校の音がうるさいという → 上に同じ(小学校が後から建つ例の方が希有なのだから、住む前にわかっているだろう?お前が引っ越せ!)
多分、宗教で押しつけをするような人こそが、上のような「うるさい」を主張しているようにも思ってしまうんですよね(これは私見であり偏見)

また、他の宗教に対して寛容性のない外国人を異様に保護していたり…(これも一部の実例を基にした私見であり、偏見です)

では、今日はこのくらいで
次回は仕事関係の話しに戻ります

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