多分なんとかなるんだろうけど

昨日、福岡で仲良かったメンバーと錦糸町で4時くらいまで馬鹿騒ぎして飲んで、風呂にも入らずそのままベッドへ入り、少し遅めの起床をして飲みかけの生ぬるい水を飲んで始まった三連休最終日。

起床時の感情は昨日楽しかったなぁではなく、今日1日無駄にしそうだなぁと、飲みの振り返りをしなかったことに飲みが楽しくなかったのかなと自問自答をしてた。行き着いた答えは、楽しかったは楽しかったんだけど、それ以上に楽しいと思えることはたくさん自分の中にはあって、馬鹿騒ぎできる飲み会って自分にとってそこまでプライオリティが高いものではなく、ある程度少人数で一緒にいる興味ある人、好きな人のパーソナリティについて話せるような飲み会が自分は好きなんだろうなと、回る洗濯機を見ながら思ってた。

そのあとは友人とちょっとした連絡から、また自分の悪い癖である他人のことを考えない感情とそれに付随する行動論をぶつけてしまい、それを諭されやってしまったと自分の未熟ぶりに落ち込んだ。

家事もあらかた終わったところで、今日は何しよう?と思った時に家からは一歩も出たくなさすぎて(二日酔い)紙に自分のパーソナリティをたくさん書き出すことを始めた。そうするといいことに比べて悪いことが3倍くらい書けてしまい、ネガティブすぎるだろ、自分!と喝を1人で入れてた。バッドが入った状態で書き出してるから多くなるんだろうけど、そもそもの人間性と思考の影響がメインに違いない。

その書き出したことをザッと一覧で見てみた時に、人とのつながりに関係することがほとんどで自分に目を向けられてないなということに文字に起こしてやっと気付いて、この自分を主語に物事を考えるという課題感を持っていることに対して自分が成長できていないと自分に赤ペンを入れている愚かさと、求めている理想像に向けて遠すぎる立ち位置と認知してしまった焦燥感が相まって、急にジム着に袖を通して意味わからんくらいの重い重量でスクワットをかまして、自分には伸び代しかないと奮い立たせることにした。

不甲斐ない自分に怒りながら、戒めとしてトレーニングをしていたんだけど、怒りって感情は自分を主語にして表現するには必要不可欠な感情であり、大事だなと思う反面、怒ることに対してとてもエネルギー使うし他者からよく思われるわけがないというバイアスから、自分からは最も遠くになくてはならない感情として処理しようともしていて、いつも怒りの感情は自分の中で宙ぶらりんなものとして位置付けられている。おそらくこの怒りの立ち位置が自分の中で確立されてないから、仮に怒ったとして相手に言えなかったり、それとなく言ってみても言い返されたりすると、その意見に芯通せず、すぐにごめんなさい間違ってました、みたいなことに陥るんだと思う。

26歳にもなって、こういった自分にとっての色んな指標が全く定まってないことが自身の意思決定を弱くさせるし、ストイックになりきれないところなんだと思う。意思決定が弱くたっていいじゃない、たまにはサボったっていいじゃない、と言ってくれる人はたくさんいるし、たまに自分の中の悪魔も囁きかけてくれるけど、それを許さない自分が好きなんだよな、きっと。(なぜここまで思えるのにずっと意思決定することが苦手なのかは、これからじっくり考えないと)

別に大抵のことはこんなことで自分を責めなくてもどうにかなるんだろうけど、もっともっともーっと自分と向き合って、俺ってやりたいことをやれてるぜ!人生最高!って富士山に向かってドヤれるくらいまでにはなりたいし、大抵のことはふーんって思えるくらいのメンタル強者であれ、と常に自分への期待を高めている。

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