エルデンリング考察 宗教から読み解く

 エルデンリング内には地球上の宗教的モチーフが見られる。一番目につくのは磔刑にされたマリカだろう。サイン溜まりとしてあちこちで見かける。これは大体の人が思い浮かぶだろうが、キリスト教のシンボルである十字架である。キリストが磔刑に処された姿がキリスト教のシンボルとなった。そうしたキリスト教的シンボルは所々で見られる。死後の復活、約束の地、ローレッタのしろがね人を率いた遠征などはモーセの出エジプトを彷彿とさせる。そういった宗教的なモチーフからエルデンリングを読み解いていこうとした回である。

 まず初めに、これはキリストの教義を貶める行為ではないと強調しておく。わたしは門外漢でいっぺん通りの宗教知識しか持ち合わせておらず、その真髄には到底達していない。むしろそうであるならばすでに改宗している。間違った解釈があれば、それは私の無知故である。そのことを念頭においてお読みいただきたい。

 まずキリスト教の始まりはユダヤ教とイエス・キリストからはじまる。ユダヤ教の教えはキリスト教では旧約聖書として受け継がれている。イエス自身もユダヤ教徒であった。しかし従来のユダヤ教の教えから逸脱した(と当時のユダヤ教徒から見られた)イエスは磔刑に処され亡くなった。当時、磔刑はさほど珍しい処刑方法ではなかった。そして死亡から三日後イエス・キリストは復活した。この復活を信じるかどうかがキリスト教を信じるかどうかの分かれ目である。イエスの復活を信じるならば死後、イエスと同様に復活するというのが主な教えである(これが福音)。だからキリスト教は土葬である。復活に備え、死体を保存するのだ。そして最後の審判が訪れたときキリスト教徒はキリストを王とした王国にて復活する。悪人は裁かれるために復活し、善人は新たな王国で生を謳歌するために復活する。そして自分が悪人として裁かれるのか善人として生きるのかは復活するまでわからない。神の判断だからである。だから善人として復活できるように善行を積みましょうと言っているのである。そのための道が戒律である。
 死後の復活はエルデンリング内で祝福として描かれている。祝福を受けたものは死後、復活する。そして狭間の地に招かれるのだ。そう考えれば狭間の地は神の国とも解釈できる。一応マリカを頂点とした神の治める国だ。その地で罪人として死ぬのか、エルデの王になるのか、はたまた別の道をいくのかはプレイヤー次第である。あるいは祝福の導き次第といったところか。

 マリカを頂点とした国、とはいったがマリカの上にはさらに上位存在がいる。大いなる意思である。大いなる意思は唯一神(ヤハウェ)と解釈できる。だとすればマリカは父の子だろうか。聖霊は二本指だ。唯一神の意思を伝える存在である。つまり三位一体が成り立つ。この三位一体はマリカを神とした場合にも成り立つ、入れ子構造にもなっている。エルデンリングをクリアしたなら周知の事実だろうが「ラダゴンとはマリカである」。

唯一神(父)=大いなる意思
聖霊    =二本指
神の子(父の子)=マリカ

神  =マリカ
聖霊 =ラダゴン
神の子=?

 マリカを神とした三位一体を考えた場合、神の子とは一体誰を指すのか。ミケラかマレニアだろうか? どちらかというとミケラが当てはまりそうである。しかしマリカ=ラダゴン=ミケラで三位一体かと言われると疑問が残る。ミケラの成長しない呪いというのも引っかかる。しかしミケラの社会的弱者への共感はキリストに通じるものがある。

神  =マリカ
聖霊 =?
神の子=ラダゴン

 こう考えるとどうだろうか? ラダゴンを聖霊とするか神の子として解釈するかで意見は分かれる。この場合の聖霊はメリナだと思う。マリカの言霊を伝え、マリカから使命を与えられた存在。聖霊にぴったりだ。しかもメリナは肉体がなく、精神のみの存在である。その点も当てはまる。疑問点はメリナの肉体が焼け爛れている、ということである。メリナにもともと肉体があったのか。あったとすればその肉体はどこへ消えたのか。マリカの肉体は焼けているようには見えないので違うだろう。だとすると一度焼かれた経験のある黄金樹のことを言っているのか。


 それから気になるのはタイトルである。エルデンリング。英語だとELDEN LING。エルデン(ELDEN)とエデン(EDEN)、似ていないだろうか? 
 エデンの園とは旧約聖書にて語られるアダムとイヴが住んでいたとされる楽園のことである。アダムとイブは禁じられた知恵の実を食べたことにより楽園から追放された。それ以来人は出産の苦しみを与えられ、労働によって糧を得ることになり永遠の生を失ったとされる。
 狭間の地は大いなる意思によるエデンの園、あるいはそれに類するものを作ろうとしたのではないか、と考えた。黄金律はエルデンリングから死のルーンを除くことで作られた。死のルーンが除かれたことにより、死は封印された。人は死ねば体と魂は黄金樹に還り、ふたたび肉体を得て復活する。転生すると言い換えてもいい。デミゴッドの不老性はマリカの稀人の血のおかげだろうか? 人は黄金律の定めた輪廻の中で永遠に生まれ変わる。来世が約束された世界だ。ある意味楽園なのかもしれない。(あるいは地獄か)
 その楽園においてマリカとはアダムであり、イブである。楽園の管理者。しかし知っての通り、アダムもイブも楽園からは追放される運命である。エルデンリングは砕かれ、世界は壊れ、人々は狂ってしまった。人々は死ぬこともできず、かといって転生することもできず亡者のように永遠に彷徨っている。永遠の生は人々の憧れとして語られることもあるが、エルデンリング では苦しみとして語られている。痛烈な皮肉である。
 エデンの園を補強する内容としてはエデンの園はティグリス川とユーフラテス川の二つの大河が海に流れ込むメソポタミア南部・アルメニア高原にあったのでないかという説がある。エルデンリング内でも地下ではあるがエインセル河とシーフラ河の二つの大河、その交差する地上がローデイルとなっている。アルメニア高原とアルター高原も響きが似ていると言ったらこじつけになるだろうか?

 マリカ率いる黄金樹勢力による各勢力の掃討は十字軍になぞらえることができるし、マリカが単身で(ラダゴンは実質マリカなので)懐妊し子供を産んだというのは聖母マリアを思い起こさせる。(新約聖書では聖霊が宿ったため、とされている)
 それから放浪商人はユダヤ教徒を表しているのだろうか?ユダヤの民はキリスト教が欧州で広く信じられるようになるにつれ、次第と排斥されていく(ちなみにユダヤ人とユダヤ教徒は重なる部分もあるが別物である)。いまでこそイスラエルに国家を持っているが、キリスト教国家が興盛だった中世ではまともな職業につけず、商人や両替商、行商人になる人が多かった。ナチス・ドイツによる大量虐殺などは多くの人が知っていることと思う。エルデンリング内でもローデイルの地下に多くの人が生き埋めにされている。

 これはこういう見方もできるかもな〜という思考中に生まれた。考え始めたら、あれもこれもと当て嵌まったので書いてみた。

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