記事広告タイトルに【PR】入れろ問題について考えてみる

ここ数日、記事広告のタイトルに【PR】って入れるかどうか? について喧々諤々と著名なWebライターさんなどが議論や罵り合いをしていた訳ですが、それについて昔からいろいろ思うところがあったので、自分の考えなどをまとめてみようとおもい筆を取る。

まず、Web媒体での記事広告というものの定義について考えてみる。

私の思う記事広告というのは、クライアント(企業でも個人)が自分の商品やサービスを媒体に宣伝してもらう記事のため、記事制作費として媒体側と折り合いのつく金額をクライアント側が媒体側に支払って記事を作成、媒体にて公開してもらう記事のことである。と認識している。

次に媒体はどうやって売上を得ているのか? ということについて考えてみる。

既存の媒体、雑誌なら、雑誌に入る広告費、雑誌本体の売上が売上であろう。広告費も
1:純広告(あからさまに広告とわかる広告)
2:【記事広告】と表記がある記事風の広告
3:【制作協力】【提供】等のクレジットがあるクライアント側が金銭的協力を行っているタイアップ記事
4:何も記載されずに記事制作料をクライアントから貰って記事を作成
この4パターンで構成されている。

余談だが、4のいわゆるステマ的なものの存在があることを知った時は「有名な雑誌でそういうことがあるとは…と」非常にガッカリしたし、4のパターンは滅びるべきであると思う。企業の広報担当と雑誌の営業担当の利害が一致してそういうことが起きるのだが、クライアントの意に沿った個別の記事をクライアントに記事制作費としてもらった場合は【記事広告】や【制作協力:クライアント名】などのクレジットを入れるのは最後の良心だと思う。

次に、Web媒体の売上はどうやって得ているのか考えてみる。

広告、アドセンス、記事、サイト単位での販売、有料会員会費。だと思う。Web媒体で勤務をしたことがないので、以下は妄想になるのだが、雑誌と大きく違うのは、雑誌は読者が金を出して購入し、それが媒体側の売上にもなる。当然、物理的に印刷、製本をして流通を使うコストが、Web媒体より負担になるのだが、そこでの売上は馬鹿にならないものであろう。読者の支持である雑誌本体の売上を原資として編集部のセンスで好きな記事を制作できるというのも強みだ。

一方Web媒体だと、広告費が全てと言っても過言ではないだろうか。純広告で全てを賄えるなら、ある程度雑誌と近いかたちにはなるが、スポンサーである広告主に対しての忖度することはゼロとは言えないだろう。

更に、記事単位で広告費を貰う形にしていると、クライアントの意にそぐわない記事は制作できない。その媒体のテイストの中でクライアントのOKが出る記事でないと当然広告費は払われないだろう。おたくの媒体の●●というライターを使ってくれたらあとはなんでも好きなようにPRしてくれたらいいから。などという酔狂なクライアントはほとんどいないと思う。

ここで一例、Webメディアの広告を見てみよう。オウンドメディアマーケティングの第一人者であるLIGの広告募集記事だ


■【成功事例と効果】LIGの記事広告・バナー広告・コンテンツ制作などの実績紹介
https://liginc.co.jp/ad/

LIG記事広告 (1本60万円〜、想定PV数5,000〜/1ヶ月)
LIG連載型記事広告 (5記事1セット275万円〜、想定PV数25,000〜/1ヶ月)
背景ジャック広告  (60万円〜、想定115万imp/1週間)
imp保証型バナー広告 (1口5万円/50万imp)
外部メディアでのコンテンツ制作・運用 (ご相談に応じます)

試しに成功例としてあった記事広告の記事を見てみるが、タイトルに【PR】や【記事広告】の表記はない。記事がリリースされたタイムスタンプの左上に「LIGPR」という符号があるだけである。これだけではこの記事を読んで記事広告であるとすぐわかる人はどれだけいるのか疑問である。

このような大手ですらこういう方式である。注意深く記事の背景を考えずに読まない人にとって、何が広告で、何が本当にそのメディアが読者に伝えようとして制作した記事なのかが全くわからないのである。

私はこの現象に対して疑念を感じずにはいられない。

媒体の記事が面白いと思われるのは、読者の方に向いているから面白いのであって、それが記事広告だったことを隠してそれがバレた時に読者が怒るのは、読者ではなく実はクライアントの方を向いて読者を欺いた仕事をやっているからに他ならない。

Web媒体はクライアント、広告主に支えられていると言うのが、私の妄想通り実情だとすると、この流れはなかなか止められないのではないかと思う。

媒体の信頼性を担保するためには、記事を作成する際にその記事のためにクライアントや取材対象から記事制作の費用を負担してもらっている場合は、【制作協力】の表記は記事内どこかに必要だと思うし、先程のLIGの様に記事広告としてクライアントからお金をもらい制作する記事については、タイトルに【PR】ないしは【記事広告】の文言が必要だと思う。

それが媒体の矜持というものではないのか? 媒体とてお金さえ払ってくれたらどんなクライアントの記事でも書きませーとはならないのはわかるが、広告枠として記事を制作、公開しているのに、それに対してタイトルでこの記事は広告記事ですと宣言しないのは、媒体側の欺瞞であると言える。

Web媒体は誰でも立ち上げられるし、グレーゾーンでのし上がることも可能だが、業界をリードしていく大手メディアからでもこの広告記事にはタイトルに【PR】【記事広告】などハッキリわかる符号をつけて、読者に正しい情報を与えて欲しいと思う。

人気ライターのヨッピー氏がこの議論で勘違いしているなと、私が感じたのは、「PR記事(記事広告)は絶対読まないという層が一定数いて、その人たちがタイトルに書いていないと不快に思うから配慮しろと騒いでいる」と思っている節があることだ。

これはそういう人もいるだろうが、やはり現在の何でもありのWeb媒体を正す意味としても、媒体側は記事広告はハッキリ記事広告であるとタイトルで示す必要があると考える人は多数いるし、それを徹底しているWeb媒体は信頼のあるメディアとして認知され、より良いWebの世界が広がると考えている、私のようなものがいる。ということに気づいて欲しいなと思った。

ヨッピー氏はその辺の嗅覚が非常に優れているので、今回の騒動を経て自分のスタンスを変え、媒体側の意向もあるが【PR】をタイトルに入れていく方針で今後は行くと宣言している。このあたりはさすがとしか言いようがない。

雑誌なら、広告や記事広告はページをめくっていたらハッキリわかるし、TVもCMと番組本編は誰が見ても違うとわかり、提供元もハッキリしている、一社提供の番組だともハッキリ違うとわかる。なのにWeb媒体の記事は広告なのか媒体が作った本編なのかわからない。これっておかしいでしょ?

と、私は思うのである。

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