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「南條亮(なんじょうあきら)ジオラマ記念館」を紹介したいと思います

ここで造形作家南條亮さんは、激動の昭和を生きた庶民の様々な生活の風景を約900体の人形といろいろな建物などを1/18のスケールで表現されました。


私の住む大阪市内から阪神高速4号湾岸線で約40分ほど南下、泉佐野北出口で降り一つ目の信号を左折すると見えてくるのが

「いこらもーる泉佐野店」 
「大阪府泉佐野市下瓦屋2丁目2−77
電話:072-469-1147」


大体の場所はこの辺に当たります。

関西国際空港の近くにあります
いこらもーる泉佐野の外観

「いこらもーる」の「いこら」とは泉州弁(大阪南部)で「行こうよ」と言う意味。
よく「連れもっていこら」と言う言い方を聞きます。
「一緒に行こうよ」って感じですね。

この複合型ショッピングセンター2Fに南條亮ジオラマ記念館が無料で常設展示されています。

「昭和を知らない世代も、昭和を生きてきた方も何故か懐かしいと感じると思います。」

「戦後の風景」
世界中が激動の時代、日本は戦争に突入しやがて終戦…
軍人や民間人含め多くの人が亡くなり、町は破壊されました。
その廃墟の中から苦労しながら一般庶民の多くは忍耐強く働き、少しづつ戦後復興を成し遂げていくのでした。

焼き尽くされた街中を避難民が通る
バラック小屋が立ち並び、
少ない食料を雑炊などにして食べる
珍しさと怖さを感じつつ、
ガムやチョコレートを貰いにアメリカ兵に
近寄る子供達
手足に深傷を負った傷痍軍人はハーモニカやギターなどの
楽器を奏でお金を恵んでもらう
焼け焦げたビルの周りにも人々が通りすぎる
食料を求めて歩く人、饅頭やパンを売る人


日本各地で多くの都市が焼け野原になり、人々は何もないところから家族の為に必死に生きる。

少しずつ人々の協力で町が再生され、日常生活にも活気が出てくる。

「生活感溢れる庶民の風景」
私の感覚では、これらの風景は私が小学生だった1960年代くらいではなかったかと思います。

子供達はペッタン(メンコ)で遊び、その横を荷車が通る
賑わう道頓堀の風景
トタン屋根の上で遊ぶ子供達
これは人糞を回収する荷車かな?
鍋釜の底に開いた穴を修理する鋳掛や
裏庭で行水する男の子
相撲を取る男の子達
お風呂屋さん
紙芝居に見入る子供達
暑い日にはカキ氷が一番、
手漕ぎポンプから頭から冷たい水をかけると気持ち良い〜
長屋にあった井戸の周りにはいろんな人が集まる

よく見てみるとひとつひとつの人形の表情が生き生きとしています。
この時代は貧しくても皆んなが助けあって、隣近所との関係の濃い時代でした。

「その他として」
一部影絵もありました、とても可愛いと思います。

乳母車の弟?をあやすお姉ちゃん
ロバのパン屋さん奏でる
下駄を放り上げて天気を占う遊び、昔よく皆んなで遊んだものです

スマホなどの通信手段もなく、ジェット機も飛んでなく移動に時間がかかり、今に比べるととても不便だった昭和の時代。

でも豪雨災害など異常気象も不可解な殺人事件、陰湿なイジメなども余りなく、外で遊ぶ子供達の元気な声が聞こえてた時代でもありました。

造形作家 南條亮さんは最近癌で亡くなられましたが、この方の表現したかった作品を常設展示してくださった施設側「いこらもーる泉佐野店」にも感謝致します。

お近くの方やこれらの展示に興味のある方、どうぞ一度遊びに出かけてください。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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