Vol.12-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー ”伝承活動と新しいまちづくり”
前回は自助と共助、地名の由来についてお話ししました。今回は伝承活動と新しいまちづくりです
伝承活動
「東日本大震災以降、あの時どう動いたとか、どういうことがあったとかを語り部の方々が伝えていると思うので、ここでもそういう伝承活動をやっていかないといけない。道の駅でもそんな伝承のためのスペースをつくって伝えることを大切にしていきたい。それにこの上流ではJR肥薩線球磨川第一橋梁という、当時で112年になる歴史ある近代遺産が流されたんです。それをJR九州さんからお預かりしてどうにかして後世に残したい、100年以上経った橋梁が流されたというのはどういうことなのかということを伝えていこうと、今保存活動をしています。こういうこともきっと大切なことなんじゃないかと思うんです。」
新しいまちづくり
「個人的には僕はこの自然環境が好きで、東京からわざわざ移住してきた人間なのでそう簡単には諦められないし、”この災害を受けたのでこの土地を離れる”という選択肢は今も持っていません。これほどの災害に遭ったので、この活動はわたしの使命なんじゃないかと思っているくらいです。」
「”創造的復興”というと大げさですが、電源の確保も含めてインフラやノウハウをコンパクトに集中させた災害に強いまちづくりが必要ではないかと考えているんです。外からのアクセスについても、さまざまな移動手段の可能性を検討して復旧できないのかとか前向きにやっていきたいと思っています。ただ、もうすぐ新年度になりますよね、まだこういう状況で車も道路も通行止めの状況なので、できることは限られてます。そういう理由もあって特にお子さまのいらっしゃる世帯、若い保護者の方々ほど町を離れていっているんですが、少し残念な気がしています。」
インタビュー#13に続く
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