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明日ちゃんのセーラー服 最新話 66話感想

最新話読みました。
一言で言うと、神。というかここ最近は数話にわたってカロリーが二郎系ばりに高いので、読むたびに痩せる気分になる。前話の面白さをゆうに超えてくるこの感じが癖になりそう。

「小路の異常さと舞衣への親近感」が個人的なこの話のテーマなのかな

今回は
①戸鹿野舞衣の冒頭シーン
②小路+生静舞台シーン
③帰りのバスシーン
に分かれてる感じ。
順番に感想を書くぞ!

①冒頭シーン 舞衣の心境変化


 ①の冒頭シーンでは、戸鹿野舞衣が両親にお月見会の最終日を楽しみにしていることを伝えるところが描かれている。

 注目して欲しいのが、吹き出しの部分。そう。実際に舞衣が両親に声に出して喋っている。

 両親に声を発して想いを伝えたのは、11巻の15ページ目「そうでもないけど」のみ。この「そうでもないけど」も対話ではなく、全然鳥いないじゃないという呆れからくる冷たさのようなもの。両親に対する気持ちはほぼほぼ心の中で処理していたのが前話までの戸鹿野舞衣である。

 しかし、今回は冒頭から両親との対話を楽しんでいる素振りが見れる。(実際には両親は亡くなっているので自己完結の想像に過ぎないが)
前話で亡くなったおじいおばあにセーラー服を見せる小路を子供っぽいと言いつつ、最後には自ら「ごめんなさい」と両親に話す舞衣。小路の素直さに感化され、両親に想いを寄せる舞衣はこの冒頭シーンで+の方向に心境が変化したと言っても良いと思う。



はい。冒頭シーンだけで長々書いてしまったがここから重要なことに気づく。


「今回、めちゃくちゃ舞衣視点じゃね?」


そう。今回の舞衣、心理描写も含めてよく喋る。二学期まで全く出番がなかったのを取り戻す勢いでよく喋る。舞衣ファン大歓喜回である。では舞衣視点でなぜ物語が進むのだろうか。


②小路+生静舞台シーン

 冒頭シーンの後、小路が開口一番に「私は演技ができません」と言う。


「えっ」


急に?どした?てかステージ始まってるの?演技しないの?どゆこと?と頭の中に「?」が入り混じる。読者と同様に疑問を持つ舞衣。この時点で、舞衣と読者の同化が完了した。

理由を話す小路
ヤジを入れる透子
戸惑う江利花
浮気にウキウキのりり

そして唐突に始まる小路のステージ。「分からないことばっかなんだけど…」と舞衣もたまらず智乃に話しかける。私も分からない。小路の理由を聞いてもいまいちパッとしないモヤモヤした気持ちを抱いてしまう。

そして智乃からの証言により、我々は小路の異常さを知ることになる。
元々、江利花に本気で恋をすると話していた小路だったが、キャラクターに感情移入しすぎて蛇森×木崎に嫉妬し、江利花を取り戻すまで演技は出来ないということである。

要するに
「演技できません!(小路の気持ち)何故なら江利花ちゃんの気持ちを取り戻したいからです!(演技する人物の気持ち)」
という感じ。感情移入しすぎて現実の行動を決定する理由が、演技する人物に由来するものとなっている。

小路の本気具合が伺える。というか前話まで舞衣とごちゃごちゃあった素直で好奇心の塊だった可愛らしい小路はどこにいったのだろうか、というくらい今回の小路はぶっとんでいる。これが今回感じた小路の異常さである。


対照的に舞衣視点で物語の謎が解明していくので、自ずと舞衣に親近感が湧いていく。生静の演奏時には、1人座って聞きに行く場面があるが、アンリの「あなたのステージを心から楽しむ人間がひとり確実にいること」というセリフがそのまま舞衣に当てはまる。そして、舞衣視点からの生静。舞衣と同化した私たちは、生静を応援する気持ちに違和感なく順応する。

後久しぶりに靖子と瞳でてきたうれしい。根子は寝てないから全部は聞いてくれたのかね。


③帰りのバスシーン

そして、最後のシーン。舞衣がカーテンを開けると同時に私の涙腺も開放されて終了。

卑屈な生静に対して、「わーたーしーがーよかったっていってんの」と舞衣が慰める。前話では、(捻くれ分からず屋!)と愚痴ってたのに、素直に慰めることができるようになっている点も成長が感じられて良い。主人公か?


まとめ

というわけで、今回の話で感じたことを書いてみました。小路の本気に対する尊敬畏怖と舞衣の言動に対する親近感が湧いた回になったなーって思います。前までは、この印象が逆だった気がする。このまま文化祭突入か、それとも何かワンクッションあるのか。次回が楽しみで仕方ないです。

こんな長々とした拙い文章読んでいただきありがとうございました!
何か一つでも感じる部分があれば幸いです!
また!


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