ディストピア3-1

清明の暁光と共に新学年は始まった。私は中学三年生になった。朝ご飯を食べて、白いポロシャツに袖を通し、学ランを切ると、祖母が運転する車で田川後藤寺駅まで向かった。これまで、学校に隣接しているマンションから徒歩で通学していたため、中学三年生から急に始まった電車通学は私にとって、面倒なものだった。電車とバスを乗り継ぐこと一時間、ようやく学校に到着した。

下駄箱から二階に上がると、一番奥にある三年四組の教室に入った。退学した生徒が少し多かったせいか、二年生までは三クラスだったものが、急に二クラスに分けられることとなった。本来は一クラス二十人ほどくらいだったのが、急に一クラス三十人ほどに変わったのである。
ちょっと窮屈だな。
三年生が始まって間もないころの私は、毎朝、そう思っていた。新しく設置された白色のロッカーの上に鞄を置き、下にサブバックを置くとロッカーの中のから午前中の授業に必要な教材を取り出して、自分の席に座った。横にいた友人と談笑していると、後ろが騒がしかったため、聞き耳を立てていると、体がぶるっと震えた。
「おい、日々の課題出しに行くぞ!」
声の主が誰だったかは記憶していないが、誰かがそう言ったのはしっかりと記憶している。というのも、この「日々の課題」というのは我々の理科を担当している、久光という、格闘家のような体格をした“怖い”先生が課しているものだったからだ。私は提出物や課題を出すということがまるでできなかったため、いつものように忘れていたのである。そして、忘れたものは、提出日の翌月の早朝に、職員室を尋ね、久光の許に直接、提出しに行かなければいけなかった。これだけではない。久光先生はやたらと「誠実さ」を求める教師であったため、忘れた人全員がまとまって提出しにいかなければならなかった。
私は、後ろの方で「日々の課題」を提出しようとしていた男の群れに紛れ込み、桃色のファイルを手に持つと、階段を下って、職員室を尋ねた。
ドア付近にある電話に三桁の数字を打ち込むと、耳に受話器を当てた。呼び出し音が三回ほど鳴ったところで、女性が電話に出た。
「ごきげんよう、三年四組の竹下晋平です。久光先生いらっしゃいますか?」
「久光先生…ちょっと待ってくださいね。」
電話先の相手が久光先生を呼んだ。
今日はいないのか?
一瞬、私は久光先生が学校に来ていないということを祈った。後ろにいた四人には目くばせをして、久光先生がいるかどうかわからないことを伝えた。すると、再び、電話口から声がした。
「今、職員室前に向かっているそうです。」
「分かりました。ありがとうございます。ごきげんよう。」
「はい。ごきげんよう。」
女性は客人を接待するときのような、甲高い声であいさつをすると、電話を切った。私は電話が切れたことを確認すると、受話器をもとの位置に戻した。
「おった?」
「うん、今来とるらしいよ。」
「まじか」
全員は落胆した。それと同時に、これから、彼に怒られるという現実に対して心の準備を始めた。息を大きく吐き、心を落ち着かせた。
ガチャ。ドアノブを捻る音と共に白衣を着た。身長が160cmほどの眼鏡をかけた男が出てきた。久光先生である。
「はい、どうしましたか?」
彼は普段、生徒に見せているにこやかな顔をしていた。
「あのー、日々の課題を忘れていて、それを提出しに来ました。」
日々の課題という言葉を聞いた瞬間、教師は眉間に皺を寄せ、顔全体の筋肉を強張らせた。その速さはすさまじかった。まるで、日々の課題を忘れると、怒るということが神経反射のレベルで組み込まれているかのような速さであった。
「はい。では、みせてもらいます。」
急に空気が張り詰めてきたのを私は感じた。まずは、先頭にいた私から、日々の課題を教師に手渡し、後ろにいた生徒も順繰りに、持っていた桃色のファイルを手渡した。三人目のファイルを開いたとき、流れが変わった。なんと、久光が三人目のファイルを地面にたたきつけたのである。分厚い紙がコンクリート製の地面にたたきつけられたときの「パァン!」という音が鳴った。
あー、やらかしたな。
と、その場にいた全員が思った。残った二人は緊張感を抱きながら、日々の課題を久光先生に手渡した。結果、一人を除いては何事もなく、提出することができた。我々は別れ際に小言を言われた。
「はい。受け取ります。××君以外は誠実な対応がなされていると思いました。これからは再発防止に向けてしっかりと頑張ってください。」
放たれた言葉は前向きではあったが、彼の顔面が強張っていた。
「はい。」
「それでは、ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
白衣を着た教師の後姿を呆然とみながら、我々はアルマゲドンのラストシーンのようにして廊下いっぱいに広がって、自分たちの教室へと帰還した。ちなみに、ファイルを地面にたたきつけられた男の行方は覚えていない。少なくとも、これから、私が久光や他の教師に対して受ける叱責よりかはマシなものであったことは確かである。

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