ゴールデンウィークはゆっくりと

4月30日、午後22時、流行りの邦ロックが流れるカラオケ店のフロントで突如として吐き気に襲われた。アルバイトをしていた私は、客数の少ない店内で、もう一人のバイトの女性と世間話をしているところだった。何か悪いものでも食べたのかなと記憶を掘り起こしてみたが、思い当たる節はなかった。どうせ、一時間もすれば治っているだろう。そう思っていたが、秒速で吐き気は増していった。ただ、心配をかけたくなかったので平静を装った。
 「ちょっとトイレに行ってきますね」と、言ったところで私の意識は遮断された。
数秒後、大丈夫ですか?という大きな声と共に自分の体が誰かに揺すられているのを感じた。 
 夢でもみていたのかな
そう思った私はベッドを出ようと思って体を起こした。しかし、手をつたう感触がやけに固く、冷たい。夢なんてみていなかった。どういうわけか、アルバイト中に意識をうしなっていた。立とうと思っても立てない。頭が回らず、匍匐前進で人目につかない場所にまで移動した。
 「大丈夫ですか?救急車呼びますね」
女性が、かなり焦っていたのを記憶している。私自身は焦ってはいなかった。というより、自分に何が起こったのか、これからどうなるのかを考えることで頭がいっぱいだった。無意識に頭に手をやると、額は大量の汗で濡れていた。ここで、ようやく事の重大さを感じ、焦りが出てきた。
 おれ、どうなるんだろう。そもそも、なんで、、、?いいや、よくわかんねぇや。
蛍光灯の光が眩しくて見ていられなかった。店内に流れるBGMがうるさかった。五感に入ってくるすべての情報をシャットアウトしたかった。何かから逃げるようにして、目を瞑っていると救急車が到着し、私はそのまま飯田橋の病院に運ばれた。
 病院につくと、心電図をとられたり、点滴をされたり、採血をされたりして、忙しかった。体という体に医療器具が突き刺さっていくのが鬱陶しかった。しかし、周りの人は、そんなのとは逆にひどく落ち着き、静かで病院の中も薄暗かった。一時間ほどして、すべての検査結果が出た。意識消失の明確な原因は不明だが、特に大きな疾患ではないとのことだった。ただ、神経系の機能が一時的に消失したことで脳に血液が到達しなくなったことが原因かもしれないと医者に言われた。点滴を打っていたこともあり、検査結果が終わるころには、体がすっかり元気なっていた。私は立ち上がって、一人で帰宅した。
 とりあえず、明日からはいつも通りに暮らせる。どこかが悪いわけでもなかったからよかった。
と、このときは思っていた。が、それは見当違いであったことを次の日に知ることになる。

 翌朝、13時に起きた。空腹感もない。まず、SNSを確認してメッセージを返す。そして、Youtubeを見る。ほんの十分で終わるつもりだった。ただ、14時になっても、15時になっても、ベッドから出られなかった。ご飯が食べたいと思っても、ベッドから出ようと思っても体が動かない。まるで、自分の精神と体が違う場所にあるかのような感覚だった。やる気がでないというわけではなく、やる気をうまく体に供給できないといった方が正解だった。
 これがうつ病なのかもしれない。
と、思った。私の家系は代々、うつ病に悩まされている。私自身はまだ精神科で診断されたわけではないが、自分の今の状況が時折、父の見せるうつ病の様子に重なっているなと感じた。その後もベットの上だけで1日を過ごした。日の光を浴びず、蛍光灯の光だけを浴びて生活した。食事と入浴がとても面倒だった。一日のほとんどをスマホを扱うか読書をするかして耐え凌いだ。
 5月2日、もうすべてが嫌になった。何をしても楽しくない。
なんで俺だけこんな思いをしなきゃいけないの、という思いが心の中を埋め尽くした。同級生が妬ましかった。あいつらは楽しそうでいいなぁ。俺も普通の大学生になりたかったなぁ。表面的にみえる他人の幸福が憎かった。
 辛いときはいつもそうだ。本当は人それぞれ抱えているものがあるはずなのに、自分だけが、となる。自分と同じくらい苦しんでいる人をみて、ぬか喜びをする。でも、それはほんの一瞬で、そんなことをしても目の前の憂鬱はどこにも行かないのだと気づく。それに今回は、どうして自分にここまで気力がないのか、皆目見当がつかない。原因が分かっていれば対症療法であれ、それに応じたことができる。根拠ない自信がどんな状況でも揺るがないように、この根拠のない憂鬱はどうしようとも、どこにも行かなかった。
 私は力を振り絞って、換気扇の音だけが響く自室でベッドから起き上がった。心を落ち着けるために煙草を燻らせた。ゆっくりと煙を吸い、煙を吐き出す。自分は元気だ、自分は鬱なんかではないと一方的に言い聞かせた。口から出た煙がダクトに吸い込まれていった。私は、ニコチンによってぼーっとした頭で再び、ベッドに戻った。
 床に入ったからといって、眠りにつけるわけではなかった。寝ている間は、何も考えなくていいから楽だった。でも、こういう日に限って夜は長い。ずっとベッドにいたからというのもあって、体が疲れていないのだろう。心は疲れているのに、体は元気だから眠れない。それがまた私の心情を憂鬱にする。明日が遠い。ベッドでスマホをいじりながら過ごしていると、夜ご飯も食べないまま、時刻は朝の5時を廻った。外は明るい。でも、明日が来た感触がどこにもない。本来なら、太陽とともに生きるはずだが、私は月と共に生きた。誰かに助けてほしかった。でも、これは私自身の問題だった。家族が、恋人が、友人がどれだけ傍にいようと意味がない。私のことは私でしか解決できない。「明日こそは」と思って、眠りについた。しかし、起きても明日は来なかった。いつになったら、日は昇るのだろうか。

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