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面白いマンガ特選


『ザ・ムーン』作・ジョージ秋山

  週刊少年サンデー、1970年発表


「神は死んだ!」

 この漫画は、政界に大きな影響力を持つと推測される大富豪、魔魔男爵の言葉からはじまる。

「この世の悪を見よ!! 悪がはびこり悪の天下だ!! 神の死んだ証拠だ!!」
「神は死んだのだ!!」
「わたしは偉大なる発明をした!! 正義を発明した!!」

 彼は米国の宇宙研究費と同額の二兆五千億円(当時)を用い、巨大ロボット ザ・ムーンを建造した。
「力がなければすべてが無意味だ!! 力がなければすべてがむなしい!! 力こそ正義だ!! ザ・ムーン!!」
 彼は強力な力を秘めるザ・ムーンを、サンスウ、シャカイ、カテイカをはじめとする上は小学校高学年、下は幼稚園9人の子供たちに託す。

 なぜ?

 なぜ魔魔男爵は莫大な資産を投じてザ・ムーンを造ったのか。
 サンスウの問いかけに彼は応える。
「わたしにもわかりません。ただわたしはおこっているのですよ。おこってこれを作ってしまったのかもしれません。それとも遊びなのでしょうかねぇ・・・」
 ザ・ムーンが発する「ムーン、ムーン」という音を聞きながら「かなしそうにないてますねぇ。ただのメカニックの音ですけどね。わたしにはないているように聞こえるのですよ」

 なぜ魔魔男爵は子供たちにザ・ムーンを預けたのか。
 世の中の争いは正義と悪でない、正義と正義の衝突によって起こるものもある。世の中には正義が溢れかえっている。何が本当の正義で何が本当の悪なのか分からなくなっている。
 彼はサンスウたちに、それを見つけて欲しいと言う。サンスウはなぜ自分でやらないのですか?と問いかける。すると男爵は純粋でなければ、正義と悪の見極めが出来ない、自分は汚れているから・・・と答える。

 「この巨大な力でなにをするのも君の自由だ!」と、巨大ロボットが未成年に託される作品と言えば『マジンガーZ(`73)』が思い出されるが、それよりも数年前に同じ問いかけを物語の導入だけでなく、全編を貫く芯とし、それをビビッドに描いた作品があったことに驚かされる。
 永井豪版『マジンガーZ』もまた素晴らしいが、アクションを中心にした作品であるためか、原則的に戦う敵Dr地獄は明確に自己の欲望を達成せんとする“悪”であり、自らもそれを隠そうとはしない。
 対して『ザ・ムーン』に登場する敵は、皆自分たちを正義としている。最初の敵、未来は世の中を住みよくしようと、手下を使い殺人を行わせる。そして手下には「きみたちは正義の人なんですよ」と言い聞かせる。
 彼は優れた人間であり、だから世の中を住みよくする責任があるという。
 そんな自分を生かすためなら、百人が死んでも構わないと言ってのける。
 現実の歴史の中の、どこかで耳にしたような言葉だ。
 次なる相手は、仮面を被った謎のライダー集団、連合正義軍。

「わたしは正義」
 そう言いながら、交番に爆弾テロをしかけた犯人たちを自滅に追い詰み「オロカモノメ」の言葉を残し去っていった。
 次に火に包まれた家に取り残された子供を救助するため、果敢に火の中に飛び込みこれを助けた。

 彼らのリーダーらしき一人がサンスウを組織への参入を促す。君にはその資格があると。

 善意と正義は違います。
 人に優しくし親切に扱うことは大切なことです。
 しかしそれだけでは世の中は良くならない。
 弱い者が肩を抱き合って慰めあっても、世の中は良くならないのです。
 我々の言う正義は力です!
 戦って奪う、そして平和を得る!!

 正義は力。
 魔魔男爵がザ・ムーンを形容した言葉である。
 この誘いをサンスウは「よくわかりません」と断り、連合正義軍もまた「わかるまで・・・考える時間がほしいんですね」と理解を示す。

『ザ・ムーン』の何が凄いかって、初手から「悪と正義があるのではない。異なる正義同士が衝突し合うのだ」と読者にぶつけてくるところだ。
 そして魔魔男爵が自分がザ・ムーンの操縦者ではいけない理由に「大人だから純粋な正義を求められない」と語る点。ネタではなく、マジで深く考えさせられる。
 原水爆に対しても、純粋な幼児、少年たちだからこそ素朴な恐怖と忌避感を抱いており、そこにありがちなイデオロギーが介在しないのも好感が持てる。 連合正義軍の流くんが目的を果たすことが出来なかったことから割腹自殺を選ぶのは、同年の連載中に生起した三島事件の影響だろう。
 また、彼らが正義に反するとした相手には苛烈になるという点は、言うまでもなく70年安保闘争で世間を騒がせた新左翼、連合赤軍に通じる。

 身勝手な老人の欲望、金の魅力に取り憑かれ外道へ走った村人たち。
 大きな視野を持てず犬型異星人を見下した末に、地球を破滅に導いてしまう愚かな者たち。
 如何にも蹉跌の70年代初頭の作品らしいバッドエンドだが、後の『デビルマン』同様、この時代でしか醸し出せない独特の雰囲気に満ちている。

 最後復刊は90年代後半なので、現在は入手し難いと思われるが、今でこそ読んで欲しい、復刊が望まれる作品だと思う。

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