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今度こそスタートする文学案内1

読書とはそもそも認識である。武田泰淳や朝吹真理子を読書したら良い。どんなシビアな事も行動しながら、、学ぶのではない。
大テーマだがこういうふうに結論は、出せる。
読書はさすがに読書でありそれ以上のものでは、ない。
それを、やり切ればゴール、ゴールである。
それがゴールであり、取り違えてはいけない。
行動できない時の三好達治の勢いは凄かった。ハングリー精神で吸収しまくった。
その時期を生かしたのだ。
認識のいかがわしい状態とは、大江健三郎さんがギャンブルを認識で捉えて好まなかった様な手前のカオスは知らない状態を指す。観察で 構図を知っている。ハエの王に一人そういう子が登場するように、確かに上の世代からのさしがねではないのだけれども、博識 で、みきわめる状況を、はずさないカンジがある。
それがhspに近接したミーンでゆく手前でシチュエーションを察知させ、葛藤もひとなみに激しい。
難しいのだ。簡単には成らないのだよ。シンプルにしてから理解するんじゃないのさ。
だけど『理解』出来る。

まず認識を優先しよう。
みんなが理解する事が、大事なんだ。みんなが心で、うけとめ、、ただ理解した事に意味がある。あるんだ。
それ以上を求めたくなるところ,こらえどころ.
みんなは、理解を 馬鹿にしてはいけない。

ロシアを、知りたいならツルゲーネフを読もう。精神にしぼってあるしだ。
作品で伝えるのをなんか超えちゃってる時を大正の文豪は警戒した。それは、、ズルくて。ずるくて安易だよと.

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。