オートフィクション(連鎖するドラマツルギー)

今日始まってしまう事は暫く現状を左右し続けるという漠然とした中期的な考えを、常にかれは持っていた。あまりそれをいいとかわるいとか考えること自体すくなかった。成り立つかに不安を持っていたから。家庭の環境からか、実学に実学にかれは頭をつくった。
それは特に重要というより単に、そうなっている。
元旦に向けて、憂鬱になってくるかれは、読む本を決めて居た。そこに罪と罰や悪霊をチョイスするのは決して明るいとは言えなかった。根暗と自認している部分も有った。
なんとなく、かれにはそこから明るく成る傾向自体に、浮薄なテンション任せの逆説的な陰気さを、思うことしか、なかった。

リセットして新しく始めたそうな人を見る度に、去年と既に個性という程に変更のない楽観的質の杞憂というのか、変わらなかった年越しを繰りかえそうとしているねと、仄かにおもった事は、かくせない。

かれのこの気持ちは日常的には伝わることは、なくむしろ、暗さを原因にされるから、その為に、性根から来たこのきもちも、抑えていた。

変えないと変わりはしない。
「そんな単純な事もわからないなんて.」

そんな想いから、元旦にせまる町を、ひとり歩き始めるときも、ことさら明るくないのを暗いとは思わなかった。

いろんな景色を横目に、精神のこの頭痛を、飼いならそうと、散々努力したことは、苦心惨憺を優に標榜して構わない程と、言えても、連帯に戻ると心に漸く、静穏な形を取り始めた疲労の代償としての成果は、あたかも消えて行くことを決められたように、無機的な、ある種細胞として、次の作業には邪魔とされた。

半分いくかくらい、世界の邪魔とも自分を思うかれはナチュラルな人生に戻るために、卑下に同調した。
「あいにくチームは、事実、あきらめている俺は、土産をいくつ贈呈出来るか考えてはいたな。決して共有はしたくない償いの様なものか。それも過去にしか今はおもえない」
この印象のわるい言葉をかれは胸に留めた。

「帰れないのを出発という。事実出発する時に排中律から維持は併存しない。目的を死としても、出発しないヒトの気もちは、わかりゃしないっ」

そんな心の声もある時から、哲学者と極度に内向的な人の判別のつかない不思議なかたちに、かれをおいやった。

そして特殊な着想から突然の、苛めっ子への決闘を思いついたことは、いかんせん「かれ」にとっては自然な成り行きと何も違わない。

その時かれは少し嬉しかった。理由は場合分けを思いつけたから。虚無からすこし浮いた様に微笑み、漸進と絶対的に残る暗さの両方を、身に覚えた。かれは、もう決めてしまった。決めること自体みかけより得意なためすんなりと。こう。
動物の土俵しか残されないなら、テリトリーと縄張りの話となにもかわらない。あいにくそれを現実、と、通告するなら、力の勝負には出よう。出来レースに勝ったことしか無いひとたちは負けて卑怯さをわかるしかない骨身にしみて。
そうして数日後、教室付近の数人の流血は報道された。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。