独善的な男らしさの意外と無い「フロイト」

世界を母体と捉えたりする考え方は基本的には一神教や父権文化の方面、その社会にはあまり見られない。将棋のように、再生したりしないし、チェスは、比較的そこはしぬと考える。広義の輪廻も基本的には無い。
優劣とは言えなくても色眼鏡な可能性とか、そういうもんはあるし二回生きられるという前提は、比較的受けいれやすくても広めに見た東洋に独特と言える。
魂の永生とか、そういう概念は、ありはするものの、あっても、裁きの日とあちらは、捉えて、続きを、そこにはつまり、私情の介在出来ない肉体のコントロールを委ねた状態にあるという、事実は入れることになる。
海に母性を見たり、木に母性を見たり、実際に母性に恵まれたとしてそういう子は過干渉を歎き、事態は解決を見ない。海は豊穣の由来をなす事、出来る場所。木は憩わせたり、実をならせ、収穫からゆとりを、持たせる。
フェミニストの過剰な傾向は、まあ好みを追求してるなら、許容はしても、即物的な現実として、父を見習うと一応男児は男に成れたり、そこを否定すると、愛情やありのまんまに万能を見るというかそっちへそっちへ傾倒はしちゃう。
つまり、これの一番深い論点としては、一応の解決はつくなまぬるくはない手段の肯定を一様にしなくなってしまうと、制度より深部に社会は、父性を失う事に、成る。
今守りえている部分の更なる喪失は、問題点とはおもう。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。