見出し画像

ツルムラサキ

 ノアさんというのは、実は、、実名のひと居る。漢字もちゃんとあって。

 女性の嗜みというのは、ああいうふうにお転婆なひとにはその良さはあって、もう個性を認めたらそれも素晴らしいこと。

 三島由紀夫は、SよりMを評価していた。それは、自慰と強姦の比較を考えた事とちかく思われる。

 自傷に関係することは、MになるよりはSになるといい。

 サクリファイス(犠牲)という作品は、位置付けから純粋に捉えるとフーコーの創造的狂気からの出口と考えておける。

 正常というのは、型に合わせるとか。

 学校の流儀に答案を書くとか。

 栄養は、味に比例しないと理解するとか。

 ちいさくはないよ、内容は、きまっている。

 いかにもそこに戻ったら正しいとは言われる。

 浅い限りはそれも、おかしくはない。

 そこから進むには特別な勇気を必要とする。

 大人の苦みを理解は、してるから。

 「らくな方をとりたい」

 合理化はこういうときに発生しやすい。

 生きてたら全て解決するというんも、根拠はなくてもそういう枠(型)に理会する。

 真っ正直に把握するとそちらこちらは、矛盾している。

 即ち、、純粋経験に対し蚊は一方的にさし神仏習合は、習合しても神は神ほとけは、ほとけという部分。心身二元論は、何故か圧倒的に正しいかもしれない。

 おかしいね。

 道理には合わないし、理屈とすれ違うし、明らかに正しいと同時に反証もある。

 医者に対するタナトスさんは、摂理からし死人に対して延命という残酷なことをしていると想う。

 相対化なにもかもされる。絶対的にならない。

 即断即決をしてしまう。

 いいと思ってしまう。

 前向きになってしまう。

 これを肯定したくなる。

 負け。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。