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悪人、読みます?

悪いのは悪いのか?というテーマが日本には元々ある
素直にしてたら罪悪感がある人はどうすればいいのだ
それについては西洋より進んでるのが日本で東洋独特の考えが、ある
陰陽の考えかただったり清貧やわびずまいを敢てたたえようという事だったり、逆から本格的に見て、ここも俯瞰するしかない
西洋は、これが意外と神様が許さない時は神様が許してくれないのだ、というのが、、ある
父なる神といった物だ
リア充がふわふわと、こういう事を考えないのは大事なことでもあるので、ライフスタイルらへんに話、話題がおちつくなら、ことさら否定しなくて良い
作者の作風は、純粋ゆえに善のレースを自ら、おりる人へのまなざしに特色ある
ブラックマジシャンとブラックマジシャンガールがカードのぶんざいを超えて恋愛に、おちいっても良い
キャラクターのしあわせを思えば
本当におもいやって,やったか
サガンも作中人物の束縛をしないという事は考えた
スピノザやダリは、同様の意欲があった
他人の純粋な気持というのは、まっこうから私達や主人公に、ぶつかってくる
色だとすればまぜればまぜるほど濁るところが感情っていうのは、存在するし
悪の象徴としてバイキンマンを考えた時に清潔にされて「元気」にしてる想像は、つかなくて
調和にくみこまれたら今度はパンに、ならざるをえない
成る
パンになったってバタコさんの協力度は低いだろうし、古参が徳をつんでて、善と悪は価値観の違いだよね、と言って顔面のパンを交換してくれるジャムおじさんとも限らない
ばいきんを愛す価値観はパンの中でどうやって、うけいれられるだろうか
そうすると、ばいきんのハッピーを考えて別のところに、生きるのがかびるんるんの為かも知れない
その際どきんちゃんが運命を変えるのか、シンデレラのように無垢に、ばいきんにとどまるのか?
だけどこういう事は「おち」が必要だと言える
どきんちゃんがどうするか、わからないという時点が結末だと、あるいは、それに近い場合は、絶望でたちおうじょうという所、部分は、ありすぎる
その味を読ませる事を意図した場合に、成功と云えるだろう
絶望につきおとすのは、安易である
むなくそ悪さ、作らない事が芸術で、それをケース・スタディーとして、さまざまな作品から学ぶ事は肝要なのではないだろうか
悪のおとす涙が善に、なっていく
そういう日本らしさ、日本文化や精神性が、表れていた
ふみこまないから最後に決裂するという世界観は沢山うみだされすぎた
しかし、向きあいたい人の真心を反映している

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。