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バタイユとデジタル世代のスキンシップ

大きいテーマを着想しちゃったから、短く、かけるところから書くとかにして。
精神的とは何か。肉体からいつも離れた視点を持つ事か?ー
ここの誤解は、答えを待つ前に人生を破壊してたりする。
なにかの自分のこたえを既に生きて居る筈。正誤というより実感を持って居る筈。やましたくんと、かめなしくん主演の脚本として有名な原作。あれは見事な悲劇に、終わっていて、主人公にとっては道化として呼吸も苦しいみたいな現状は、かわらない。
以前かきはしたかも知れない。
あれにおいて、挿まれる断章的な情景。
自分の体はあいてを求めて居て、それをなんとなくわかりもする。諌める自分も居て、単純な天然な自分を止めない様なら巧く受け入れられない。
すなわち、なんとか手にいれた機会を、自ら、空気みたいに成るしか無い。
その淡い悲しさや、映像より情感のある悲哀に直面すると、ある種の軽みから、ちからを与えられている主人公は、すっかり頼り甲斐に必須な元気さえ、失ってしまう。
混乱から考えて、逆に、必要なのは、ふれあいと、言えたか??
ある意味、いい変化として、頭から、考える様になった、ツケも出てしまっている。知覚、認識と、抽象に進むにつれ、シェアし損ねる。他者の幸せに自分は要らないと去っていく事も。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。