日本を変えた宗教事件
ワースト1の栄冠は誰に贈られるのだろう。もうそこから興味津々になってみようではないか。好奇心は否定しすぎない方がいい。駄目な協力をし駄目な結果を生み出す駄目人間。アメリカらしくなりたくないのは、テロリストの影響かも知れない可能性がある。関係ない世情も影を落としているのである。この例で言うなら親米になるのにも反米になるのにもいまだ必要な情報がある。そこで決めちゃうのを反知性主義というのである。即断即決で周りは付いてけない。判断がよくてもプロセスについて揶揄される呼称が存在するに到った。政治経済とかで学ぶ単独行動主義、それは外部からそう見えるという部分なのだし内政から自覚を伴わない場合は多い。相当良からぬ場合でさえ悪気はないかもしれない。これを自覚を進めて政治家になるか自覚を傲慢だとして上下関係を有する宗教になるか。ちなみに無邪気を褒め称えたくなるが、あどけない初心に立ち帰ってまっさらな浄化された心を持っていたところでそれくらいでは解決しない。マインドセットぐらいならみんな変えるのである。むしろ気楽過ぎるほどに、、、、。そこで謙虚をアピールするのは、エゴなんじゃないだろうか??自分の恥かしい判断はなかったのかナと。無難にするために譲ってないかどうか?動機をこういう時カント氏は見る。メンツの為じゃないか。今までの事が分からなくなった時宗教は忍び寄って来る。個人に善良な人は居るとしても組織的な行動を急にする事はあるのだから組織として捉え、問題点を組織が抱えて居ないか検討する視点は持とう。隠れキリシタン、魔女狩り、次をあげるまえに魔女狩りは典型的な問題点を例示してくれやすいのではないか。まずそれは、曖昧な危険を処罰しえたのだという大義名分を獲る。ファイアーエムブレムの女性黒い牙はこのパターンの粛清を度重なって、されて、いる。その設定に於いて特筆を要する点はエーテルならぬエーギルという暗黒物質様(態)のチミモウリョウに心を奪われた人々が居り、なにだか分からないので取り扱いを委ねられている存在に権力は、集中している事である。いわばパンドラの箱を扱える専門家として迷信を一手に担っている。
ゲーマー達に疑問なのはこの点となる。
他者が介在し扱っては、いけないのか?
イギリスの名著ではこういった時点から問題が多発する様子が描かれているのは無人島という資源を与えられて、利他と利己という本性を赤裸々に露呈する展開となっている。
サラリーマン的な大人の思考回路を完全否定する勢力。不良として有能な人物がそちらの側を取りし切る。リーダーシップを持つ人物は3名書かれる中に、穏健派はスラムを不得意として窮地に追いこまれる。不良のほうとしては、ここに集中する能力がある一方、助けてもらう工夫に課題点と短所はあると言える。いわばこれではサバイバルを状況とするとカリスマ性の評価が急上昇し、ブラック企業の魅力を形成する状態になっている。
神の花嫁事件もその危険が言えるであろう。
同質化をこのみつつ宗教にそれを、求めないことが多い日本人の性質。それは無頼派を背景としても発展を見せた。よりどころに依拠しないのが無頼派だ。坂口安吾や私小説的傾向を更に進めた思想は、ここへと位置している。
戦国武将という珍しい文化は、それらの精神を端的に表している。
こういった文化は武士や忍者、侍と、言ったような、クールジャパンを象徴的意義を包含しながら造り出した。
イデオロギーを試合では入れない。音楽と思想を同列視しない。
依拠を避けている。
それらは依拠の回避から産まれる。
重要な決断をバックグラウンドありきで決めない。
そういった哲学をかんじとれうる。
神にも依拠しない。根拠を預けない。仏にも依拠しない。念仏にも依拠しないで参拝ぐらいを楽しむ。神様が可哀そうだろうか。そういった感性も国際的にはある。しかしギリシャとの数少ない共通項を今述べた点が、成している。すなわち神様なども恋愛等をしていてお取込み中の場合もままある中でいつもお伺いを立てられるのが嬉しいだろうか。うざくてしょうがないのが本音ではないのだろうか?謙譲ならばこの点に配慮を凝らす。うざい。神仏だってアダルトビデオを見てる時はそう、感じる。時には下々に性的教養は欠けてないか気にかけるあまりエッチな動画なども見る際、人にも恋をする事があるフランクな存在なのであろう。神学において日本とギリシャの神々は生命力は豊かな、存在だ。情をもとに行動を決定する。その点ギリシャと日本に特色は顕著である。いってみれば愚かな模索をけなしたり侮ったりしない信仰対象なのだった。