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【i.school検定1級審査論文】「通年のイノベーションワークショップ体験が参加学生の心理的資本に与える影響についての一考察」

はじめに

 徳島大学の北岡と申します。この度、一般社団法人日本社会イノベーションセンター(JSIC)が認定している「i.school検定1級試験」に挑戦しました。

 私は徳島大学において、「徳島大学i.school」というプログラムを2022年より運営しております。徳島という地方にありながら、JSICが運営されているi.schoolと同様に「イノベーションワークショップ」を用いた通年プログラムを主に徳島大学学生に提供しています。

 その実施許諾をいただくにあたり、事前に2021年に同僚有志とともに「i.school検定2級」を取得しました。ですが、イノベーションワークショップを完全に理解し、企画・運営を進めるためには、i.school検定1級を取得する必要があると考え、認定要件である「JSIC Advanced School」の受講を修了し、2023年度に認定試験に挑んだのです。

 その認定要件として、「i.schoolが用いているイノベーション創出手法であるイノベーションワークショップに関する研究を行い、論文としてまとめる」という課題があります。このnoteはその全文を公開するものです。

 イノベーションワークショップとは、i.school(JSIC)により6つのアプローチに類型化されたイノベーションを起こすための手法を基にして、実施するワークショップのことを指します。ですので、その目的としては「イノベーションを起こすこと」になります。ですが、イノベーションワークショップがイノベーションを起こせるのか?という点についてその測定・評価は容易なものではありません。

 一方で、近年関係者の間で話題にのぼっていたのが、イノベーションワークショップの体験が「心理的資本」を向上させる効果があるのではという点です。イノベーションを起こせるかどうかはスキルセットだけでなく、マインドセットおよびモチベーションが重要であることを堀井先生は常々言及されていますが、心理的資本はマインドセットに当たるものだと考えられます。幸いにも、心理的資本はその概念の提唱者であるFred Luthans教授により心理質問紙が開発されており、定量的に評価が可能です。

 イノベーションワークショップにより心理的資本が向上することが明らかなのであれば、イノベーションワークショップがスキルセットだけでなく、マインドセットという点からもイノベーション創出に寄与することが証明できるのではと考え、今回の研究を進めることとしました。

 本論文は、イノベーションワークショップの通年プログラムの経験により、プログラム参加学生の心理的資本が上昇することを、心理質問紙法と統計的手法を用いて明らかにしようと試みたものです。表現などに難しさはありますが、ぜひご一読いただければ幸いです。

目 的


 徳島大学i.schoolは,2022年度より徳島大学高等教育研究センター学修支援部門創新教育推進班が実施している,大学生,大学院生を対象にした,新しい製品,サービス,ビジネスモデル,社会システム等のアイデアを生み出す力を育てることを目指す教育プログラムである(1)。その教育手法として,堀井秀之氏により開発された新しさを生み出すメカニズムとアプローチ,およびワークショッププロセスに基づいたイノベーションワークショップ手法を用いたイノベーション創出ワークショップを年間5回程度設計し,通年プログラムとして募集に応じた徳島大学学生に対して実施している。

 本プログラムの大きな目的としては新しいアイデアを創出できる学生の育成であるが,その実施過程で参加学生に対しての好影響が指摘されている。堀井は一般社団法人日本社会イノベーションセンター(JSIC)主催のトークイベント「イノトーク」において、高校生27名のイノベーションワークショップ実施前後で心理的資本の大きな上昇が見られたことをについて指摘しており(2),以降イノベーションワークショップと心理的資本の関係性について議論されている。

 心理的資本とは,個人が将来に対して希望を持ち,困難に直面しても前向きに乗り越えようとする内面の強さを指す。この概念は,米国ネブラスカ大学のFred Luthans教授によって提唱され,ポジティブ心理学の研究分野で注目されている。心理的資本は「HERO」モデルとして知られ,希望(Hope),自己効力感(Efficacy),回復力(Resilience),楽観性(Optimism)の4つの要素から構成され,これらの要素は個人の仕事や日常生活におけるパフォーマンス向上,ウェルビーイングの促進,ストレスへの耐性強化などに寄与するとされている。企業や組織においては,心理的資本の高い人材を育成することで,ワークエンゲージメントの向上や生産性の増加,離職率の低下などのポジティブな効果が期待されている(3, 4)。

 心理的資本の向上は個人の能力開発や組織のパフォーマンスを向上させる上で重要な役割を果たすと考えられることから,どのような要因が心理的資本を向上させるかについては興味深い点である。心理的資本の提唱者であるLuthans らは,PCI(Psychological Capital Invention)と呼ばれるゴール設定や自己肯定感を養う内省,成功体験,挫折の予測と対処法の検討から短期のトレーニングセッションを開発し,2時間のセッションで3%の優位な上昇を示したことを報告している(5)。

 イノベーションワークショップの実施により心理的資本が上昇することが明らかなのであれば,同手法は新アイデアの創出技法を学ぶという側面に加えて,心理的資本の上昇も併せて期待できる非常に優れた人材育成プログラムであるということが説明できる。そこで,本研究では2023年度の第二期徳島大学i.schoolにおいて通年ワークショッププログラムに参加した通年履修生,および第一期に履修生として参加し,第二期においてはワークショップ実施・運営をサポートするスタッフであるディスカッションパートナー(DP)として参加した学生を対象に,通年プログラム実施期間での心理的資本を継続的に評価し,その変動の特徴について検討することで,心理的資本向上プログラムとしてのイノベーションワークショップの可能性について検討を行った。

方 法

 被験者として2023年度の徳島大学第二期i.school通年生(二期生)13名(男性6名,女性7名),および2022年度に第一期を終了し,通年のワークショッププログラムを支援するDP5名(男性4名,女性1名)が本研究に参加した。本研究を進めるにあたり,研究支援・産官学連携支援センター研究倫理審査委員会に許諾を得るとともに,参加者には事前に研究の目的及び方法について説明を行った上で任意での参加を依頼した。

 研究参加者は2023年度に開催,実施された通年ワークショップの開始前および第1回から6回までの通年ワークショップ各会の終了後に至るまで,計7 回の心理的資本尺度の解答を依頼した。すべての質問紙に解答したのは二期生6名,DP5名であった。これらのデータを用いて,各群の心理的資本の時系列の変化についての評価を行なった。また,心理的資本の持続性を評価するために2024年度の第3期ワークショップの開始前に同様の質問紙に回答を依頼し,同年度にDPとして在籍している5名から回答を得た。

 心理的資本尺度はMindGarden社 (https://www.mindgarden.com/) により公開されている,24項目からなる6件法の日本語版心理的資本尺度を同社の許諾の元に用いた。なお,文章については被験者の実態に合わせて一部調整を行った。すべての評点について平均した値(最小値1,最大値6)を心理的資本の評価として用いた。また、補足的な質的データとして各ワークショップに対する満足度アンケートを同時に実施した。

 統計的手法としては,時系列データの評価には繰り返しのある一元配置分散分析を二期生群,DP群それぞれに行った。2群間の比較においては二標本のt検定を用い,同一被験者の通年ワークショップ前後および年度間の比較については,対応のあるt検定を用いて評価を行なった。分散分析、t検定ともに有意水準は5%以下としたが、同一被験者での比較についてはボンフェローニ法により2.5%を有意とした。定量的データについては平均値±標準偏差でグラフに表現した。

結 果


 通年ワークショップの開始前および第1回から6回までの通年ワークショップ各会の終了後における心理的資本の変化を示す(図1)。

図1. 通年ワークショップの開始前および第1回から6回までの通年ワークショップ各会の終了後における心理的資本の変化。二期生群:n=6, DP群 :n = 5

 二期生群,およびDP群ともに時間の効果に統計上有意な差が認められた(二期生群:F(6, 30)=9.28, P < 0.001; DP群:F(6, 24)=2.96 P<0.05)。しかしながら,その変動は大きく異なっていた。二期生群はワークショップ実施前から一貫して心理的資本の上昇を示した。一方でDP群の心理的資本は当初より高い傾向を示したが,第4回ワークショップ実施後の評価において大きな心理的資本の低下が認められた。その低下は第5回ワークショップ実施後には回復した。DP群の第4回ワークショップにおける心理的資本の減少について定性的に評価するため,終了時に取得した満足度アンケートのDPからの自由記述部分の抜粋を表3に示す。

 DP群の心理的資本の高さが前年度のワークショップ実施の効果によるものかどうかについて検討するために,2024年度に継続してDPを担当している者5名について,2023年度ワークショップ開始前と同年度ワークショップ終了後、および2023年度ワークショップ終了後と翌年2024年度ワークショップ開始前の心理的資本について比較を行った。2023年度ワークショップ終了後の心理的資本はワークショップ実施前と比較して上昇が認められたが統計的な差は認められなかった(t(4) = 2.51, P = 0.07; 図2)。一方、2024年度ワークショップの心理的資本は統計的に有意ではないものの(t(4) = 2.39, P = 0.08; 図2)、2023年度ワークショップ終了後と比較して低下が認められた。

図2. 2023年度ワークショップ開始前と開始前、および翌年2024年度ワークショップ開始前の同一被験者(n = 5)の心理的資本の比較。 統計的に有意ではないものの、心理的資本はワークショップ実施後に増大し、翌年度にはやや低下した。

 また,二期生群の中で2024年度にDPとして通年ワークショップに参加している学生が6名存在していることから,二期生群をDP希望群と非希望群に分けて心理的資本の上昇値について比較を行なった(図3)。その結果,DP希望群は非希望群に比較して高い心理的資本の上昇を示したが,統計的な有意差は認められなかった。(t(8) = 1.03, P = 0.33)。


図3. 二期生におけるDP希望群(n = 6 )と非希望群(n = 4)における心理的資本の上昇値の比較。統計的に有意な差は認められなかったが、DP志望学生は非志望学生と比較して心理的資本の上昇が高い傾向が見られた。

考 察

 本研究の大きな目的としては,まず第一にイノベーションワークショップの実施によって心理的資本の上昇が認められるかを明らかにすることであった。本研究において,2023年度の徳島大学i.schoolの通年履修生は6回の通年ワークショップを経験することにより,心理的資本の上昇が有意に認められた。この結果は,イノベーションワークショップはアイデア創出技法を磨くためのみならず,心理的資本を向上させるための教育プログラムとしても活用できることを示している。本研究で認められた上昇率は平均して約36.5%であったが,Luthansらの報告(5)での上昇率は3%であったことから,イノベーションワークショップによる心理的資本の上昇は非常に大きいものであるといえる。しかしながら,LuthansらによるPCIの所要時間は1時間から3時間程度であるとされていることから,それぞれの活用可能な状況は異なっていることが容易に想像される。

 また,PCIの構成内容として,ゴール設定や自己肯定感を養う内省,成功体験,挫折の予測と対処法の検討等からなることが報告されている(5)が,イノベーションワークショップ実施による優れたアイデア創出という成功体験や,各ワークショップにおける目標設定とアイデア創出に対する分析,さらにワークショップ設計に対する総括的分析など,これらのうち多くのものがイノベーションワークショップの中に内包されていることが推察される。PCIの構成要素を適切な伴走のもと長期的に実施しているという点が,心理的資本を上昇させるために有効である可能性が考えられるが,これらの理論的背景については更なる考察が必要であろう。

 二期生の心理的資本尺度の取得と同時にDPについても評価を行なったが,DP群はワークショップ実施前から二期生群と比較して高い心理的資本を示し た。なぜDP群の心理的資本が高いのかについては二つの仮説が考えられる。

 一つはイノベーションワークショップを通じての心理的資本上昇が維持されている可能性であり,この点について検討を行うために,2024年度にDPとして参画している5名について,2023年度ワークショップ実施前と実施後、および翌年2024年度ワークショップ実施前の心理的資本について比較を行ったが,統計的な差は認められなかったものの、通年ワークショップ終了後に上昇した心理的資本が翌年度ワークショップ開始前に低下していた。この結果は、いったん上昇した心理的資本も時間とともに低下しうることを示唆している。

 もう一つの仮説としては,心理的資本が高い通年生が,結果的に翌年DPとして参画しているという可能性である。この点について評価するために,二期生群を2024年度のDPとして参加している群としていない群に分けて比較を行ったが,DP希望群は非希望群に比較して高い心理的資本上昇を示したものの統計的な有意差は認められなかった。

 本研究においては対象となるデータが少なかったために,イノベーションワークショップの実施による心理的資本が維持されているのか,それとも心理的資本の高い学生がDPを志したのか,どちらの仮説が正しいかについての検証は困難であった。この点について明らかにするためには,データの有効性,妥当性を考慮した多人数によるさらなる検証が今後必要であると考えている。

 さらに,DP群のデータに見られた特徴として,第4回ワークショップ後の心理的資本が大きく落ち込んでいることが挙げられる。同様の時期に二期生群は大きな減少を示していないことから,この影響はDPとしての特徴的な役割に起因するものであると考えられる。第4回ワークショップアンケートの自由記述蘭には,特にワークショップの準備不足やプレワークの不足についての言及が数多く認められた。プレワークとは,イノベーションワークショップでのアイデア創出可能性やワークショップ進行を確認するための事前準備としての試行ワークショップを指す言葉である。第4回ワークショップのDPは実施すべき内容について事前に理解が進んでいない不安な状況でワークショップの支援を進めていた状況であったことが推察されるが,その状況が心理的資本の自己評価に影響した可能性が考えられる。本結果は、心理的資本を向上させる効果を持つイノベーションワークショップも、その実施・運営状況により心理的資本にネガティブな影響を与えうることを示すものであり、効果的なワークショップの実施、運営のためには、プログラム設計者および運営者は常に自己評価および他者評価を実施する必要性があることを示唆している。一方,心理的資本と不安やストレスの関係については多くの先行研究があり,高い心理的資本は不安やストレスに対して抵抗性を持つことが明らかになっている(6, 7)。DP群の心理的資本尺度の低下は,続く第5回ワークショップ終了時には元の水準に戻っていることから,本研究で認められた心理的資本の低下はあくまで一過性であることも考えられるだろう。

まとめ

 まとめとして、本研究ではイノベーションワークショップの通年実施によって,心理的資本の増加が認められることを,統計的手法を交えて明らかにした最初の報告であると考えられる。しかしながら,そのデータサイズは非常に小さく,その妥当性について疑問の余地が残される点は考慮すべきである。また、イノベーションワークショップがなぜ心理的資本を向上させるのかの機序についてはまた仮説の部分も多く、さらなる検討が必要である。今後さらに多くのデータ取得を進めていき,イノベーションワークショップの心理的資本育成における有効性について明らかにしていきたい。

引用文献

(1) 北岡 和義,玉有 朋子(2023)徳島大学i.schoolの構想と実現,そしてその展望 大学教育研究ジャーナル 20:61-65.

(2) i.school / JSIC note【第4回イノトーク】2023年10月1日投稿https://note.com/ischool_jsic/n/n92d62f4d8871

(3) Luthans F., Youssef-Morgan, C. M. & Avolio, B. J.(2015): Psychological Capital and Beyond, Oxford University Press. (開本浩矢・加納郁也・井川浩輔・高階利徳・厨子直之訳(2020):『こころの資本』中央経済社.)

(4)Nolzen, N. (2018). The concept of psychological capital: a comprehensive review. Management Review Quarterly, 68(3), 237-277.

(5) Luthans F, Avey JB, Avolio BJ, Norman SM, Combs GM (2006) Psychological capital development: toward a micro-intervention. J Organ Behav 27:387–393

(6)Abbas M, Raja U (2015) Impact of psychological capital on innovative performance and job stress. Can J Adm Sci 32:128–138

(7) Siu O, Cheung F, Lui S (2015) Linking positive emotions to work well-being and turnover intention among Hong Kong police officers: the role of psychological capital. J Happiness Stud 16(2):367–380

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