「推し、燃ゆ。」を読んだオタクの嘆き。

こんにちは、こんばんは。初めまして。
「推し、燃ゆ。」を読んだオタクです、どうぞよろしくお願いたします。

まずは「推し、燃ゆ。」のあらすじを私なりに説明させていただきます。
推しが炎上した、ファンを殴ったらしい。推しが引退した。私の人生オワタ。
以上です。
簡単に説明しすぎでしょ、流石にもっとあるでしょって思った方がいるかもしれないですが、読んだら分かります。本当にこれだけです。

いや、読んだ身からすると全然「これだけ」ではないんですよ。読んだら分かりますとか言いましたが、正直気軽に人におすすめしていい本じゃないなって思います。だって、 1回目読んだ時は精神的にきつい時に気付いたら涙が流れる状態になってましたし、2回目は何故か食欲が落ちて、胃が痛くなりました。

それだけ強く感情を動かされた本です。
読後の体調不良の中、地獄の中にいる時に書いた読書感想文です。もし一緒の地獄を見ている人がいたら、教えてください。同じトイレで吐瀉物を吐いた仲として仲良くなりたいです。

この本は読んでる感じはエッセイでした。
今日はこういうことがあった、そういえば昔はこう言うのを思ってたっけ?あぁ今日も推しが可愛いな、みたいなそんな感じでずーっと描かれていきます。
一人の人間の思考をずっと言語化しているかのように起こる出来事を感じたことで語る内容がとても新鮮でした。目まぐるしく変わる環境に対して一言一言思ったことを考えているうちに新しいことが起きて、後から追っかけていくような感覚をうまく表現していると思います。
この本はの物語はずっと主人公の書き手視点で描かれていて、自分の気になったものや自分の思ったこと以外は全くと言って描かれていないです。

何故そのような表現になっているのか、これには大きく二つ理由があります。
一つ目は、主人公の病気のため。
冒頭の展開で主人公は「病院で二つの診断名を受けた」らしい。その内容はこの本を最後まで読んでも明らかになりません。
ただ、内容はなんとなく予想することはできます。文章の書き方や主人公の行動にその特徴が如実に現れているんです。
覚えていないといけないことを忘れてしまう、周りの環境が敏感に感じ取れてしまう、優先順位がうまくつけられないなどなど。主人公が抱えているであろう病は、おそらく精神的なものであることが予想されます。
作者の宇佐美りんさんの実際に名称を付けられているものをあえて名称を出さずに文章で表す力には脱帽いたします。

二つ目は、推しが燃えたからです。
そりゃ自分の推してた人が炎上してたら気が気じゃないですよね。
この感情は説明が本当に難しく、推しと自分という関係性を一度も持ったことがない方からすると、赤の他人なのに何で?となるかもしれません。
何をしていても自分が大きな失敗をしたかのように落ち込み、SNSを見れば自分の好きなものを否定され、ずっと思考に靄がかかったようにうまく感情がコントロールできなくなってしまう、それくらい推しが燃えたことによる影響は大きいのです。

この二つの理由から主人公は、目の前の課題ですら手につけられずどんどん転落していくのです。
この本のすごいところは、救いも解説もないところです。
主人公はただでさえ精神的に蝕まれれて思春期の学生時代を普通のようにうまく生活できない中で自分なりに生きていく道を見つけたんです。それが推しでした。
推しという憧れであり、愛おしく、かけがえのない存在を愛することで、自分の中で少しでも普通の人生を掴もうとしていたのです。
その矢先に、推しがファンを殴るという、人として許されるべきではない行動をとった。自分が普通であるための柱が、普通から逸脱してしまった。
しかも、推しがファンを殴ったことに何かしらストーリーがあり、理由があり、謝罪があれば少しは救われたのかもしれません。が、これは最後の最後まで語られることがありません。分からないのです。
人間の恐れの対象として、未知というものがあります。推しが未知のものになってしまった。自分の価値観の基準が揺らぎそうになりながらも、主人公は推しを推し続ける事を決めます。
それが地獄への片道切符ともわかっていながら、です。

⭐︎

この物語は決して読んだ後にスッキリする話かと言われたら全く違うと思います。タイトルから察するに「推しはどうして燃えたのか?」ということが語られるのではないかと予想する人もいたかもしれません。
それは明かされることもなく、読後感としては私の今まで読んできた本の中で一番気持ちの悪い終わり方だったと思います。
しかし私にとってはこの気持ち悪さを抱かせるまでに読者を引き寄せているのだと感じました。この本は「自分に推しがいて、炎上した日常を臨時体験できる本」だと勝手に思っています。
主人公が得れない情報は読者も得られない、というとても歯がゆい感覚にこの本を読むのを断念した人や評価を下げてしまった人もいるかもしれません。
この本の特徴として視点が最初から最後まで一人称視点です。
だから私はこの本の主人公を本当に主人公と呼んでいいのか少し迷っています。
本来の主人公の説明として、桃太郎を例えとします。
①昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました。
②おばあさんが川で大きな桃が流れて来たので、家に持ち帰って開けてみると中に桃太郎が入っていた。
③桃太郎は動物を仲間にして、鬼ヶ島で鬼退治しました。めでたしめでたし。
この中で主人公と呼ばれるのは、物語の中心である「桃太郎」です。ですが①の時点ではまだ主人公の桃太郎は出てきていません。
このように主人公は決して、どの場面にでもいるわけではないのです。ただし物語の流れ上、桃太郎が生まれてくるまでの導入を描かないと何の物語か分かりにくいのです。
主人公が出ていなくても、物語をわかりやすくするために場面作りや展開の準備が必要なのです。

「推し、燃ゆ。」ではそこが全く違います。もしこの本と同じ手法で桃太郎が書かれた場合出だしはきっとこうなります。

ゆらゆらと揺れている。真っ暗な暗闇の中、体に触れる不快感を泣き叫んでみた。不快だ。怖い。ここはどこだ。自分は何者だ。
思考を巡らせたところで私はそれを表現する術を持たない。その上自分では何もできないから、こうして喉を揺らせて、目から体液を流している。
そうしているうちになぜか揺れは止まった。怖くてさっきまで発していた音の出し方を忘れてしまった。
そして、次の瞬間眩い光が私の目を突き刺した。目の前におそらく自分の事を理解できそうな生命体が二つあった。

みたいな感じになるんじゃないでしょうか。
この書き方は情報量があまりにも少ないが、より現実味があり追体験しやすい描き方だと私は思います。
だからこんな読んだ後感情ぐちゃぐちゃになるんだなって痛感しました。

⭐︎

推しと自分の間の感情って何って言えばいいんでしょうか。
これの言語化に成功しているのがこの本だと思います。いまだにこの関係性に明確な名称ってないと思います。
だから限界オタクは語彙力がないなどと言われるんですが、逆です。
オタクの言語化に語彙が追いついてないんです。
恋愛?確かに結婚指輪をつけていたり、異性の匂わせがあると嫉妬に似た感情が生まれます。ただし、自分が推しの隣にいたら幸せかと言われたら違います。
無性の愛?そうかもしれません。犯罪を犯した子供を親だけは許すように、推しがたとえ何をしようとも自分の愛情を注がない理由にはなりません。
憧憬?憧れではあるしいつも輝いて見える姿に崇拝しているレベルですが、実際に推しという存在になりたいかと言われたら何か違う気がします。

どの言葉もしっくりこない、その言葉探しをこの本はしているんじゃないでしょうか。


何だかもっといっぱい考えてたことや思ってたことがあった気がしますが、疲れたのでこの辺で終わりたいと思います。

「推し、燃ゆ。」とても良い作品でした。ありがとうございました。


<おまけ>
「推し、燃ゆ。」の一言感想文
・オタクにとっての特級呪物
・仮病になりたい時に読む本
・清少納言に令和の文化を吹き込んで限界オタク化して出版してる
・表紙に騙されるな、タイトルをよく読め
・この本をおすすめしたオタクは信用してはならない
・推しがいる人特攻の即死トラップ
・主人公のフルネームは分からないのに気持ちが死ぬほどわかる
・限界オタクの取扱説明書
・読後にSANc(1d10/1d20)入るほぼ魔術書
・読む登山
・推しという概念の説明書

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