将軍後見職

教科書などで将軍後見職という単語は幕末の文久の改革で「徳川慶喜を将軍後見職に任じた」という文で初めて登場します。しかし、将軍後見職自体は文久の改革以前からあり慶喜は初代ではないのです。

そもそも将軍後見職とは幼い将軍の徳川家茂を補佐するために設けられた役職です。結論をいうと将軍後見職は家茂が将軍になった1858年にできました。このときはまだ幕府の正式な役職ではありませんでした。最初に選ばれたのは、徳川慶頼という人です。この人は、大政奉還後に徳川宗家16代当主となる徳川家達(幼名:田安亀之助)の父です。


しかしこの時、実権を握っていたのは大老の井伊直弼であり慶頼はなんの実権も持てずただのお飾りに過ぎませんでした。そして桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後も実権を握ることはなく、1862年に将軍後見職を解任されてしまい慶喜がその後を継ぐことになりました。ここでようやく幕府の正式な役職になります。

1864年慶喜が将軍後見職を辞任して禁裏御守衛総督と摂海防禦指揮に任命されると将軍後見職は廃止となりました。


将軍後見職が存在した期間はかなり短く設置してから10年もたたずに廃止となってしまいました。本当に臨時の役職感がすごいありますよね。

今日はこれで終わりです。

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