べつに、素直にありがとうと思ってたからであって

今日のエレベーター先生のお言葉は「一日一善」でした。
たいてい仕事帰りの疲れた脳と心にボディーブローをかましてくるエレベーター先生。久しぶりにちょっとポジティブなお言葉。いや、私がたまたま見ていないだけだけど。

一日一善と聞いて、職場の営業さんの満面な笑顔が浮かんできた。今日だけでその方からの電話が何度かあり、担当するお客様からの依頼についての相談で、それに対し私が法律だの条令だの書類だのを説明するくだりだったのだけれど、その電話のやりとりを終始こちら側で聞いてた同僚が呆れていたくらい、基本的なことから詳細まで、事例なども交えて同じような説明を繰り返しした。
営業も自分たちで勉強しろよ。と言われてしまえばそれまでなのだが、
無理もないと思う。始まって日が浅い制度で内容にまだ安定感が無く、時間かけて私が勉強しててもややこしい内容だもの(←理解力底辺人間ですけど)。
それに私の説明の仕方だって決して上等なものとは言えない。おまけに、客先の担当もまた いまいち理解していない中でうちの営業さんにものを頼んできたらしく、その板挟みにもなっているようなのが、余計に話をこじらせていた。
私の周りにいた人は、私が電話をしている間もずっと くどい、しつこい、理解できなくてバカなんじゃないのなどと(作業の手を止めて電話につかまり続ける私をねぎらってくれてというのもあるかもしれない?が。)私の電話の相手をディスり続ける。
――あなた方のように聡明で1を聞いて10を知るような人間ばかりじゃないのよ世の中は。と思いながら、受話器の向こうの反応がやっとスッキリしたようなリアクションになるまで、とことん付き合った。

今日も残業して、事務所棟のほかの部屋の明かりが消え暗くなった階を下りていくと、その営業さんがひとり机に向かってもの書きをしていた。私とこの営業さんは、よく残業組として最後まで居残っていることが多い。この方、社内でももうキャリアが長いのだけど、いつもその日仕入れた営業情報などを大きめの手帳にひたすら書き続けている。その努力と持続できる力は脱帽たる姿だと思う。
私の姿に気が付くと、「今日は何度も長い時間、ごめんね!」と立ち上がり、 自分の勘違いにも気づけたし、やっと理解できたよ! ありがとう!と満面の笑顔の前で両手を合わせてお礼を言われた。先方と納得のやりとりがその後行えて、話を前進させることができたそうだ。
その方は、昼間の私の対応に感謝してくれたが、私もその笑顔にとても救われた。

その営業さんは都度 私が残業したい意志を伝えると「がんばって!じゃあ〇時までにしようか!」と快諾してくれ、(事務所の施錠を自由にできる社員が限られているため)私が帰れるようになるまで、自分の仕事をしながらちょっと待ってくれる風がある。
普段そんなこともあるから、私も「いつもありがとうございます」という気持ちがあった。結果的に仕事はしわ寄せして溜まったけれど。なので別に持ちつ持たれつなつもりで、もっと言うと私なんかのぺーぺーを頼ってきてくださったことに応えたい思いもあった。

あのとき「今忙しいので、すみません」と簡単に言ってしまえば、自分の仕事に集中できた。周囲の人もそう言った。なんでもハイハイ ペコペコするな、と。
でも、いいんじゃない? 相手が「助かった~」と肩の荷が下りるなら、たいそうな助け舟は作れないけど、それでもお互いを高めあえるなら、多少犠牲になったっていいんじゃない?
他人同士のやりとりだからそんなドライな見方をしてくるけれど、みんな自分が困ったり頼られたりしたら、するでしょ、持ちつ持たれつ。そのディスる言葉が不快だから、外野はどうかとやかく言いすぎないでほしい。

「一日一善」
今日はできた日だと思った。

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