思想と感情の逆転

※トゲのある発言が多いので気持ちに余裕があるときに読んでください

いつからか分からないくらい前から子供が苦手だ。わざわざ進んで子供と関わりたいとは思わないし、ましてや子供を産みたいなんて思ったことはない。嫌いな対象のために1年弱食事に気を遣いながら重い腹を抱えて過ごしたあと、人生で1番になり得る痛みを経験するなんて絶対にごめんだ。

子供には理屈や常識が通じない。体力・学力・コミュニケーション能力……もろもろほぼ全ての面で大人に劣っている。そりゃあ成長途中の生き物なんだから当たり前だろう。そんなことは分かっているが、だからといってわざわざ劣っている存在に関わってやる義理もない。別に街中で見たときに攻撃してやろうなんて気持ちはない。こちらからは関わりたくないというだけだ。クラスでのキョロ充から陰キャへの視線とか、電車での健常者から知的障害者への視線とか、そのあたりと同じようなもんじゃないだろうか。

ただ同時に、後ろめたい気持ちもある。社会で子供は可愛いくて純粋な存在とされている。そして男女が番って子供をもうけることは祝福されるべきものだとされている。そんな風潮の中で「子供が苦手」「子供を産まない」とまっすぐに発信することは憚られる。

そんな中で私が出会ったのが「反出生主義」という考えだった。反出生主義は、簡単にいうと「人間はこの世に生まれると不幸になる可能性があるから、これ以上人間を産むのをやめよう」という考え方だ。私みたいなやつが子供を産まない理由にするのにぴったりじゃないか。「不幸になる人間を増やさないため」そう思うと罪悪感が和らぐ。

初めは自分を納得させるために使っていたものが、元からそう思っていたみたいに自分の中に浸透していく。子供を産む選択をする人は、このクソみたいな世の中で苦しむ人間を増やしているんだ。子供を産まないと決めている私は正しい。そんな感情が湧き上がってくる。子供を産む人は、自分の遺伝子に残すほどの価値があると思っているんだろうか? 優生思想的な考えまで頭を出してくる。

おかしい。もともとはただ子供が嫌いだから産まないと考えていたはずなのに、いつのまにか反出生主義だから産まないという考えに移行してしまった。
新しく産むのがダメなら養子なら育てたいか? 絶対に嫌だ。だって私は子供が嫌いだから。
社会制度が整備されて産まれてくる子供が絶対に幸せに暮らせる時代が来たら子供を産みたいか? 絶対に嫌だ。だって私は子供が嫌いだから。

私は、自分の感情を正当化するために流行っているものを取り込んだだけだった。反出生主義に反対しているわけではない。むしろ賛成寄りだが、私が子供を産まないことと反出生主義は関係がない。

なぜ着物を着るのが好きなのかと聞かれたときに、「昔の日本人は小柄だから、古着の着物は身長が低い自分にサイズが合ってうれしい」と答えたことがある。しばらくしてから思い至ったが、そんなのは後づけだ。私はただ着物を着るとわくわくするから着物を着ている。そこに大きな理由なんてない。ただ好きだから着る。

好きか嫌いか。それだけの問題だ。