ルチアのMikotobaダイアリー💖

初めての黙想会

カトリックでは洗礼の準備のために入門講座というものがある
もちろん、信徒の方や他の宗派の方が学びのためにも沢山参加されている

私は約1年間入門講座を毎週受講して聖書の学びをしていた
その中で、「黙想会」をシスターの指導のもと参加できる機会があり参加した体験が今でも私の中でとても生き生きとしている

それは、台風一過の澄み切った青空が広がる日曜日だった

ゴスペルのイベントを終えて少し緊張しながら電車に乗ったことを覚えている

修道院ってどんなところだろう・・・

全くもって今までの人生に縁もゆかりもない体験に戸惑っていた

修道院に到着するとシスターとお世話係の方が温かく迎えてくださり、気持ちが和んだ

丸1日、分かち合いの時以外食事の時間も会話することは許されない

本当に丸1日、目の前に人がいるのに話さずにいられるのだろうか?
自分自身に疑いの眼が向いていた

聖書の御言葉の学びー黙想を繰り返す

お御堂に座り、十字架を見つめ黙想する

初めは戸惑いと周りの方がどのようにされているのかが気になって集中できずにいた

そのうち沈黙の時間、すなわち神様との対話の時間が段々と心地よく感じられてくる

神様と2人ぼっちの時間・・・

日常の慌ただしい時間の中で自分自身が対流に流されているような日々から解放されて今ここだけを見つめ感じている

身体中にまとわりついた汚れが落ちていくような感覚

身も心も丸裸にされたような感覚

まるで生まれたばかりの赤ちゃんのように無垢な感覚に心地よさを感じながら何か暖かいものに包まれているような安堵感を味わっていた

食事の時間も沈黙

今日の気づきやせっかく同じ時間を共にしているのだから食事をしながら分かち合いたいところなのにその時間さえも沈黙

だけど
その沈黙の中の食事が意外にも心地よく、一つ一つの食事に対しての感謝が湧いてきて、今まで味わったことがないくらい食事をしっかり味わった時間をもつことができた

自分がいかに日々の時間をながら時間で過ごしてきたのかがよーくわかる時間だった

食事の素材や色、味、これを調理してくれた人、素材を作ってくれた農家さんや工場の人、出会ったことのない人の手を沢山経て私は今空腹を満たすことができて心と体に栄養を補給していることに気づいて自分の内面がどんどん広がっていく

豊かな食事とは、有名レストランで食事をすることでも高級食材かどうかでもなくさらに言えば満腹になることでもなく自分自身の心を満たしていくことだと実感できる時間となった

テレビもスマホもない空間での時間は、今まで見えていなかった世界の扉が広がるような豊かな体験で、すべて終了してやっと会話ができるようになった時、そこにいた仲間同士悦びに溢れなんとも言えない充実感を味わいながら帰途についた

その後、ロクダウンとなり黙想会ができなくなり、その後再開するもののさまざまな制限の中気がつけば3年の月日が経っていた

6月にようやく、黙想会に参加することができることを楽しみに日々の生活でも神様とふたりぼっちの時間を楽しめる心の余裕を持ち続けたい



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?