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自分にとっての大きな「価値」について

Lucentさんに返信 by加藤 圭一郎@Under The Skyさん

この記事に対するお返事です。
またしてもコメント欄に書ききれずに申し訳ありません。

僕の文章はとても主観的なので,コレ自体も加藤さんを追い込んでしまったり,ストレスを多分に与えてしまう可能性を孕んでいるわけですし,正直言って投稿しようか相当悩みました。

投稿しようと決断した理由は,加藤さんが「求めているモノ」が文面の中から少しずつ見えてきたように感じたからです。(勘違いだったらすみません。。)

最初の【アドバイスを求めています】の中では,僕は加藤さんの「社会に対しての憂い」を感じました。

でも,今回の(冒頭に記載した)記事の中では論点が少し異なり,自分にとって価値あるものという視点の中で「孤独」であったり,自己を肯定する,もしくは社会を生き抜くためには「やはり他者が必要」という表現をなさってらっしゃいました。

これらの表現が,もし僕が記事に書かせていただいたことに対して,連鎖的に生じたものであれば全くの見当違いになってしまいますが,加藤さんはきっと「自分を認めてくれる」存在を求めてらっしゃるのではないでしょうか。

人間誰しも,承認欲求というものがあると言われており,他者に認めてもらいたい欲求のことを他者承認欲求と言います。しかし,コレを得るにはまず自分を自分のココロで承認してあげる自己承認が必要なんです。

僕自身もその気があったので,もし同じだった場合のみ実践していただければいいのですが,まずは自分自身と向きあいましょう。

「こんなはずじゃなかった」「自分はこうあるべきだ」「こうなったのは社会のせいだ」「みんな周りが悪い」「こんな世界がなんだというだ」「すべて無駄だ」頭を駆け巡る感情は色々あると思います。

前回のお返事でも同様のことを言ったつもりでいましたが,一番重要なのは「自分が何を大切とするか」だと思うんです。
僕の場合,僕を「大切にしてくれるヒト」が「大切な人」ではありません。僕が「大切にしたいヒト」が「大切な人」なんです。

「支えてくれるヒト」とか「世の中の価値」,それはあくまで自分が何を大切に考え,何をしたかによって偶発的に生じる副産物だと思います。(ちょっといい方が悪いかもしれませんが。。)

能動的に生きましょう。「生きろと言われたから」生きている人がいたとして,他の人はどんな魅力を感じるでしょうか?はたして,その人自身も生きていて幸せでしょうか?
人間,必ずしもそれぞれ「生きる意味」を自分の中に持っていると思います。誰かがそれを与えてくれるわけではないと思います。

「毎朝味噌汁が飲みたいから」「東大に入りたいから」「ブランド物が欲しいから」「noteで誰かと繋がりたいから」滑稽でもいいんです。みんなそれぞれに確かな「生きる意味」を持って生きています。それを見失ったり,見落としたり,再発見する過程も生きる意味かもしれません。

「自分には何もない」と思考することを放棄する人がいますが,加藤さんは考えるチカラをお持ちです。それも人より優れた考えるチカラを。

もう一度考えてみてください。加藤さんだけの「生きる意味」を。

その意味に大小はありません。どんな些細な事でもそれが加藤さんの味であり,人間性です。

それさえ見つかってしまえば,あとは簡単です。偶然にしては出来過ぎなほど,必然的に加藤さんの周りに支えてくれたり,一緒に生きてくれる人間が現れるはずです。

僕がそうだったように。

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