二人の物語

初めて会ったのは

天草、鬼海ヶ浦にあるブルーガーデンでだった

その日、賢太郎はドリンク1杯おごるから、

そう言われて、半年前に購入したハンドパンで、
音楽仲間のキャジーの伴奏を頼まれて来た

1年前に子供を連れて奥さんが突然、出ていってしまった。その頃は賢太郎も奥さんも精神的に参っていて、お互いを思いやるような状態ではなかった。
賢太郎は内心、子供達が居なくなってホッとしていた。

自分の子供が居なくなってホッとするなんておかしい話だが、

それくらい病んでいたのだ

毎日の夜泣き
奥さんは鬱で寝たきり

寝たきりの奥さんは子供を保育園にあずけて昼間寝る。子供は保育園に行きたくなくて泣きじゃくっていた。

そんな状態の子供を見るのも辛かった。

奥さんの教育方針で、予防接種をしない

子供は百日咳になった

来る日も来る日も泣きじゃくり
咳をする子供

賢太郎も喘息になってしまった


慣れない土地での生活

空き家を自分で治して行く作業
トイレも無かったり
いつでも家は工事中だった

工事もするが仕事もしなくてはならない

買い物も、食事も賢太郎は当たり前のようにやっていた

でも奥さんと気持ちがすれ違ったのは
奥さんは、仕事より、工事より、優しくして欲しかったようだった

賢太郎はそれより工事、仕事っと思ってしまったことを後悔していると言っていた。


賢太郎も15年東京住まい
奥さんは生まれてから1度も東京を、しかも杉並区高円寺出身そこから出たことが無い

きっと、これほどまでに大変だとは思わなかったのだと思う

皆子供を産んで引っ越したりするが
これが意外と精神的に大変なのだ

実際私も大変だったから


友達が居ない

友達と言うのは大切なんだと気づくと思う

人は話すということ

気が合うとか

話しがあう人を大切にしなければいけないと思う。


軽く考えてしまっていた

私も

そして賢太郎も


2歳半の息子と4ヶ月の娘を連れて

奥さんは出ていってしまった。


最初はホッとしていたが、

今度は会おうとしても会えなくなってしまった。

裁判
弁護士

そう
弁護士から連絡が来たのだ


いろんなバタバタがあった

迎えに行って警察を呼ばれたり

とにかく会えなくなってしまったのだ


私に初めて会った頃はそこまで行ってなかったかもしれない


ひとりになって
子供に逢えない辛さを紛らわす為に
ハンドパンをやり始めたのだ

美しい音色だった

ハンドパンを弾いているときは

何もかも
忘れられた


それから、彼は
ハンドパンで、キャジーと路上でライブをしたり、音楽イベントに出たり

ひとりでも音楽活動をしてお金を稼ぐようになった

子供が居なくなって二年半の間に3回の天音祭を終えた

天音祭とは彼の主催イベント


ルーチェが来る2019年の天音祭が彼にとっても、大成功の年だった。

アマネーという地域通貨を使ったこと

用意していたリップルランドでの駐車場が満車になった

天草という小さな町で150人以上もの来場者数が出たのは、彼にとって嬉しいことだった。

今まで彼は東京や神奈川県で沢山のイベントをしてきていた。



実はルーチェも

そうルーチェも


イベントをする側になっていたのだ


二人は不思議なシンクロがおきる

同じ事に興味があって
同じ様な事をして


続きはまた〜

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