クリエイターエコノミーがもたらすなめらかな社会の重要性

人間が持つ価値には何があるだろうか。経済的な面だけを見ると、資本主義における労働に対する対価 - 労働によって企業に対して生み出した価値の一部 - でのみ測られると解釈することもできる。しかしながら当然、「お金によって計れない価値」はあるはずである。しかし、いくら価値を持っていようと、それを経済的価値に変えなければ価値が生まれない。近年のYouTubeをはじめとしたソーシャルメディアや、noteをはじめとするメディアは、これまで収益化されなかった個人の価値を収益化する手段を提供した。こういった手段は、個人の価値を飯に変えることを可能にしたし、個人がより自由な生き方をすることを可能にした。こうした手段は、経済的な格差拡大を是正する社会装置として役立つだけでなく、労働の幅を超えた課題解決や価値提案を可能にする点で重要である。

伝搬投資貨幣PICSYの場合

東大でなめらかな社会の研究を行った鈴木健(スマートニュースの創業者としても知られている)は、個人の他者への貢献が巡りに巡って他者に経済的な価値をもたらした時、もとの個人に還元される通貨、伝搬投資貨幣PICSYを提案した。個人の他者への貢献が直接金銭を生み出していなくても、それが他者に富をもたらしたのであれば、それをもとの個人に還元することで、これまで対価を得られなかった貢献 - 善行が経済的な価値を生むようになるのである。

伝搬投資貨幣PICSYは、ある個人の他者への貢献が他者に財をもたらした時、ある個人に対して財の一部を還元する仕組みである(引用: 伝搬投資貨幣PICSY

主観を価値に変える

私は人間の生み出せる価値として、主観を挙げている。これは、AIの発展によって、客観的な事実の価値が下がり、相対的に主観の価値が上がるためである。客観的な事実の価値が下がる理由は、生成AI(とりわけChatGPTのような大規模言語モデル)は人間よりも、データを抽出して客観的な事実を持ち出すことが得意だからである。人間よりコンピューターが得意なことを人間がやる必要はないし、その能力がコモディティ化したとき、価値が下がる。また、生成AIの発展は、低品質なデータをソーシャルメディアやインターネット上に氾濫させるだろう。こうしたときに、人々は「高品質」な情報、つまり本人が求めている情報のみを求めるようになる。このとき、情報自体よりも、それが誰の意見であるのか、それはどういった主観に基づいているのかといったことが重視される

主観から価値が生まれている事例として、マイクロインフルエンサーを挙げている。彼らは、自らが好きなもの、好きな情報をInstagramやTIkTokに上げることによって、人々の共感を呼んでいる。そして、共感はフォロワーとして数値化され、その数値に応じて案件の単価が決まり、個人に収益が還元される

中国のTaobaoは、個人が自らの主観をもとに商品を紹介することで収益の一部を得られるライブコマース事業を展開している。出展企業の販促に繋がると同時に、投稿者は収益の一部を得られる。 (引用: Taobao)

なめらかな社会の意義

上述した、主観を収益化することによってもたらされるなめらかな社会には、人間を過剰労働から解放するという点で意義がある。マルクスによると、資本家の生産手段(労働者)としての個人には、労働力から最大の剰余価値を生み出す力学が働いている。すなわち、労働者は最大の価値を生み出す必要があるし、過剰労働が生まれかねない環境にあるということである。ここで、労働者が自ら生産手段を得る道具 - 主観を経済的価値に変える機械を手にすることが出来れば、個人は過剰労働ではなく、そちらを選択する選択肢が生まれるし、そうしたときに、資本家は労働環境の改善を強いられると言う訳である。

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