2022年の振り返り

【出来事】 「育児、コロナ、友達、戦争」
 子供が産まれて1年以上が経った。離乳食の開始あたりから一日の育児スケジュールが厳しくなり、月日が経てば経つほど毎日の生活は育児優先となる一方、子供が病気をせず順調に成長していることが何よりである。自分以外の人間の為に生きるという初めての経験だ。
 今年になって子供を連れて散歩し始めると、店の人や道行く人から声を掛けられることが増えた。外国を旅していると街中で知らない人と話すのは普通の出来事だが、日本でも同じことが起きるのは不思議な気持ちになった。外国人に比べればクールに見える日本人も実は暖かい人がいる。店の人だけでなく、道でよく会う子連れのお母さんと挨拶を交わしたりする中で、本当の意味でのマイフッド、地元という感覚が芽生えつつある。
 コロナについては少しずつ警戒度は下がっているが、深刻な後遺症やその他の病気を引き起こす可能性がある危険な感染症であること、もしそうでなくても感染し発症したら育児に大きな支障を来たす認識は全く変わらない。自分なりに科学的知見に基づいた情報収集を行い、定期的なワクチン接種と換気が悪い場所では極力マスクを外さないことを継続的に心掛けている。インターネット上を中心にコロナを軽視し科学を無視する人が増えているのは気になるところだが、周りがどうあれ自分と家族の健康を守る為に、感染予防と日常を楽しむことのバランスを取った生活を続けていくつもりだ。
 コロナの世の中でも時間を見つけて友達とは頻繁に会ってきたし、去年子供が産まれてからも1時間でも隙あらばとチャンスを逃さずに過ごしてきたが、育児がどんどん忙しくなるにつれて友達と会ったり遊びに行く機会が減ってしまった。良く言えば育児優先、悪く言えば予定を立てても直前で妻からNGを下されるなら最初から諦めている感じだ。そんな中でも友達と楽しい思い出を作ることができた。春夏秋冬、散歩や公園、家や居酒屋、ファミレスなどでの楽しい記憶を思い出すことができる。
 特に妻と子供が帰省した際には毎日全開で遊ぶことができた。この時ばかりはいつものような時間制限無しに、終電までだったり時には終電を超えて友達と過ごせる。束の間の夢のような日々があまりに普段の生活と異なるので、自分は二つの人生を並行していきているような錯覚に陥ったというか、もう一つの人生にワープしたような感覚だった。今年以上に友達と過ごす時間が増やせるよう、来年はもっと自分からチャンスを掴みにいきたい。
 更に今年を振り返って特筆すべき点として、ロシアによるウクライナ侵攻も忘れられない。日本の隣国が勝手な理由で平和な生活を無残に破壊するのを見て、これが現代の出来事なのかと信じられないような気持ちを抱いた。日本も全く他人事ではなく、平和な時代の終わりが近付いていると感じつつある。ウクライナからの避難民の様子を見てこれまた他人事ではないと思い、わずかな金額ながら寄付を行ったりもした。ウクライナ情勢に対しては常にニュースを追って状況を注視し続けている。

【買ったもの】「iCloud+」
 自分で買った中で特に印象に残るものはなかったが、有料のiCloud+は使い始めて良かったことを思い出した。毎日子供の写真や動画を撮っていたらあっという間にiPhoneの容量256GBが無くなって困っていたのだが、月額400円のiCloud+を始めたらiPhone上に写真は残したまま写真のファイルサイズが小さくなり、空き容量が一気に増えて問題が解決した。ただし最近になってiCloudの容量200GBを超過して保存できなくなったので、今度は2TBの為に月額1,300円払う必要があるかもしれない。

【試合①】「川崎-札幌」
 今年現地で観戦した3試合の中では、6月に等々力競技場で行われた川崎-札幌が最も印象に残っている。手拍子による応援ではあったが、育児の合間を縫って1年2か月ぶりに札幌の試合へ行けたこと、そのプロセスが印象深い。
 当時子供は19時前後に寝ていたので最初から19時のキックオフに間に合わせることは断念し、子供が寝た瞬間に家を出発して後半開始に間に合うことを目指した。シェアサイクルを使った最短ルートを模索する為、1週間前に同じ時間に等々力競技場へ向かってみるなどリハーサルを行って当日に備えた。当日は友達や妻の協力、そして昼寝のコントロールなど子供の寝つかせに向けて出来る限りの分析と対策を行った結果、予定より早く19時には子供が寝て、前半途中には等々力競技場に到着した。
 競技場が近付くにつれて札幌の応援が聞こえてくる中、聞こえるのは声ではなくスネアと太鼓と手拍子だけだったが、無事に札幌の試合に足を運べたのだと実感して想像していた以上に気持ちが高揚した。ハーフタイムには友達が作成してこの日初めて掲げられたブルーハーブのBOSSさんをモチーフにした横断幕を見せてもらった。声を出しての応援が出来なくても、横断幕や旗を準備するなど、この状況でやれることを頑張る札幌の応援団を改めてリスペクトした。
 試合中はさすがに歌を歌うことはできなかったものの、チャナティップへのブーイングなど出来る限りの応援を全力で行った(ブーイングも当時の禁止行為である)。一方でピッチ上の選手と一体になって応援する感覚が薄れていると感じたのも事実だ。その感覚は声出し応援検証試合として応援を行ったその後の2試合を経ても変わらない。
 翌7月には声出し検証試合として開催された東京-札幌にて、2020年開幕戦の柏-札幌以来2年半ぶりに声を出して応援席で応援を行った。2020年、2021年と応援が行えない中で応援が再開した時は感動して泣くだろうなと思っていたのだが案外そんなことはなく、正直言ってそこまで楽しくなかったのが本音だ。応援のブランクは勿論のこと、コロナ感染者が増加している中で応援というリスキーな行動を取ることに対する複雑な気持ちも今一つ全開になれなかった原因の一つかもしれない。マスク着用とそれに伴う指笛の禁止など、本来自分の全ての感情を解放して行う応援行為に対して制限がある。コロナ感染リスクを下げる為には必要な制限として何の異論もないのだが、感情の赴くままにアクションが行えないことによって応援の楽しさが半減していると感じた。

【試合②】「札幌ー川崎」
 札幌ファンの間では厚別競技場で行われる最後のリーグ戦ではないかと注目されていた試合だ。試合前は厚別に対する情熱が多くの札幌ファンほどではなくなっていたのが正直なところだったし、育児優先の生活の中で土曜夕方に試合中継を見られるかも直前まで分からなかったが、果たしてずっと忘れられない試合になった。
 当日は家族で外出していたが試合開始直前に帰宅し、今年受注生産されていたベビーユニフォームを子供に着てもらい、親子3人で今年の札幌のシャツを着てテレビで観戦することにした。テレビから流れる厚別の歌を子供と一緒に歌う。応援席で歌うのとは全く異なる、子供向けの歌のようなトーンにアレンジしての優しい歌声である。札幌のルーカスによる1点目では普段の50分の1くらいのテンションで喜んだら子供が驚いてしまったので、以降の得点時はいつもの5000分の1くらい控えめに喜んだ。更に普段は当たり前の敵や審判への罵声も控えて、いつもの優しい父親スタイルを崩さずに観戦する。窮屈ではあるが、子供と同じユニフォームを着てテレビで札幌を応援するという、ほんの数年前までの自分からは信じられない状況が幸せでもあった。このベビーユニフォームは札幌のグッズとして史上最高の企画であるように思う。
 3-3になった瞬間、これは1997年の厚別での川崎戦と同じ4-3で勝利することを確信した。多くの札幌ファンが同じことを感じたであろう予感は的中し、25年ぶりの4-3で勝利である。4点目の瞬間か試合後かは忘れたが、感動して涙が出た。25年前に北海道の実家でテレビ観戦していた中学2年の自分を思い出し、クラブ創設から26年間札幌を応援し続けた自分、そして子供2人と一緒に揃いの札幌のユニフォームを着てテレビの前から札幌を応援して、25年前と同じ劇的な試合を見られた自分。この劇的な試合を通じて自分の歴史、家族の新たな歴史、札幌を応援し続けた歴史がシンクロしたことに感動したのかもしれない。
 それと共に、かつてのJFL時代の厚別での試合に対して感じていた、絶対に札幌が勝つ場所という感覚を思い出した。試合前からこの厚別が持つ力を信じ準備を重ねて「道民・市民を熱狂させ、歴史を積み重ねてきた厚別はクラブの財産」「厚別が聖地であると勝利で証明しよう」という横断幕を掲げ、圧倒的な熱量で応援を繰り広げ、見事勝利を導いた札幌の応援団を改めてリスペクトした試合でもあった。

【映画】「行き止まりの世界に生まれて」
 今年は映画館には一度も行けなかったし、家でも17回しか映画を見ていない。この「行き止まりの世界に生まれて」は日本では2020年に公開された映画だが、今年初めて見た。公開当時はスケートボードに関するドキュメンタリーとして「mid90s」と並んで語られている印象だったものの、私にとっては子供が産まれた後に見たことで深く印象に残る映画になったと思っている。スケートボードを行う若者たちの話であると共に、それぞれの家族の話であると感じたからだ。
 家庭内暴力や黒人差別、女性の弱さなど様々なテーマを丁寧にインタビューを通して追っていくこの映画を見て、子供の人格形成における親の責任は本当に大きいことを実感した。子供が幸せな人生を送れるかは父親である自分が責任を負っているのだと、改めて気付かせてくれた映画だ。映画を見終わって育児に対するモチベーションが更に高まり、すぐに深夜の子供のミルクをあげに行ったことは言うまでもない。
 ちなみにスケートボードシーンはとにかく格好良いし、BGMもストーリーに寄り添っているようでとても良かった。
 尚、今年公開の映画では「ベルファスト」が良かった。家族の話にシンパシーを感じるようになったのは今年の自分の大きな変化だ。子供が産まれたことで世の中で発生する出来事をより身近に感じられるようになり、より世界が面白くなったとも言えるかもしれないし、世の中に対して興味を持てる分野が広がったのだとポジティブに捉えている。

【ドラマ】「六本木クラス」
 育児が大変な中、毎週木曜日の放送に合わせてこのドラマを見ることだけが自分の時間で唯一のルーティンとしていた時期があった。このドラマ単体では見るに堪えないので、原作である梨泰院クラスをスマホで再生し、六本木クラスをプロジェクターで同時再生する方法で両画面を見比べながら見たところ、セリフはほぼ原作そのままであることを確認できた。結果的に梨泰院クラスがとにかく最高のドラマであることを再認識できて良かった。セリフが同じでも俳優や演出の違いでこうも変わるのかと驚いた。

【Podcast】「ニクラジ」
 2021年に終わってしまったPodcastだが、継続して過去のアーカイブを聞き続けた。大好きな徳利さんとD山さんの話をこれからもずっとループして聞き続けるのかもしれない。

【アルバム】「徳利 EVOLUTION」
 徳利さんの2ndアルバムにパワーをもらった一年だった。1stアルバムも大好きだがそれを越えてきた。「いくぞ」で絶対いけるいくぞやるぞと思い、「新曲」で私も0から1へ何か作って気持ち良い瞬間を味わいたいなと思い、「チャリ」や「IEKEI」で笑い、「絶対できる」で何度励まされたか分からない。誰にもできないことをやりたいという徳利さんの姿にはいつも刺激をもらっている。ありがとう。

【曲】「Laura day romance wake up call | 待つ夜、巡る朝」
 Spotifyにおける私が今年沢山聞いたランキングのトップ5は全て徳利さんが占めているが、第6位はこの曲である。ツイッターかインスタグラムで三原勇希さんか徳利さんがリコメンドしていた曲だったはずで、なんとなくちょうど良いのでリビングでよく流していた。沢山聞いた曲なのに、歌手名も曲名もはっきりとは覚えていないのはサブスク時代ならではの現象と言える。kiki vivi lilyの「New Day」や去年の曲だがxiangyuの「ミラノサンドA」も同じのタイプのちょうど良い曲として沢山流しました。

【ライブ①】「徳利」
 育児の合間を縫ってなんとか行くことが出来た4月のワンマンライブ、6月の新代田FEVERでのイベント、どちらも本当に最高だった。興奮、高揚、笑い、感心、感動など人間におけるポジティブな感情の全てを味わうことができた。2019年末に今はなき渋谷のContactで見たブルーハーブ以来、およそ2年半ぶりのライブが徳利さんのワンマンライブで本当に良かった。育児の都合上終わったらすぐ帰る必要があり、2回ともライブ後の物販で徳利さんと話すことができなかったのが残念だ。来年こそは徳利さんに直接感謝の気持ちを伝えたい。
 また、3月にYoutubeで行われた配信ライブは友達と自宅のリビングのプロジェクターの大画面で見ることが出来てこちらも本当に最高だった。配信ならではの演出に大興奮し、「チャリ」や「IEKEI」で笑いまくり、あまりに素晴らしくて実際にライブを見に行っているようだった。チャンスがあれば来年は一緒にライブに行って、生で徳利さんの素晴らしいライブ体験をシェアしたい。

【ライブ②】「フジロック YouTube配信ライブ」
 去年に続いてYouTubeで熱心にフジロックを見た。おかげでここ15年くらい薄れていたフジロックへの興味が復活した。家から素晴らしいライブを見ていると、客層がなんか嫌みたいな余計なマイナスイメージも無くなってきたように思う。今年は育児の合間になんとかして生中継や再放送を見たが、期待していたJapanese BreakfastやSnail mail、PUNPEEはどれも最高だった。
 特にJapanese Brekfastの配信を聞きながら駒沢公園に向かい、灼熱の駒沢公園の広場のベンチに着いたところで映画「恋する惑星」の映像を流しながら「Dreams」のカバーが始まった時の驚きと興奮はこの夏のハイライトの一つだ。盛大なセミの鳴き声を背景にスマホの画面を見ながら聞く歌は現実離れしていて、自分がどこにいるのか分からなくなるような幸せな時間だった。最後の「Diving Woman」のアウトロの繰り返しもどんどん上がっていき、現場にいる観客と共に画面の前の私も歓声を上げたくなった。
 他には再放送で見た台湾のバンドElephant Gymもベーシストの女性のキャラクター含めて最高だった。また、フジロックに関するツイートを見るのも配信を楽しめる理由の一つだ。これまで年に一度の紅白歌合戦の時のツイッターが最もソーシャルネットワークを感じて楽しい時間だったのだが、近年の紅白の盛り下がりと共に翳りが見える。フジロックがそれに代わる存在になりつつあるのかもしれない。みんなで同じものを見ながらツイートするのは本当に面白い。
 フジロックの配信を楽しんだ勢いで、サマーソニックも配信で楽しみたいと思ってWOWOWに一時的に加入して見た。目当てのRina Samayamaとbeabadoobee、The 1975はどれも最高だった。

【本①】「西村賢太 "一私小説書きの日乗"シリーズ 他」
 今年の2月に急逝するまではほとんど知らなかったが、鶯谷の信濃路の常連だったと知ってから気になる存在となり、手始めに読み始めた日記が面白かった。氏の文章が面白いことを差し引いても、ある特定の人が毎日誰と会って何を食べてどんな酒を飲んだかを記録されたものを読むのはとても興味深い。普通は知ることができない、人がどんな生活をしているかを覗き見ることが私はとても好きなのかもしれない。短編集の「けがれなき酒のへど」など、小説もどれも楽しく読んでいる。
 尚、「一私小説書きの日乗」の日記を全て確認した結果、私は西村賢太氏と同じ日に鶯谷の信濃路に行って飲んだ日が2015年から2016年にかけて3日あることが分かった。

【本②】「tofubeats トーフビーツの難聴日記」
 私はとにかく日記が好きなので淡々と書かれる日記を興味深く読んだ。特にtofubeats氏のコロナに対する徹底した姿勢(基本的に屋内のクラブでDJを行わない、家族以外と会食しない、原則飲食店はテラス席など)に感心したし、コロナ時代を記録した貴重な資料にも思える。私もどちらかと言えばtofubeats氏の姿勢に近いものがあるが、彼のような音楽業界人がこのようなコロナ対策を行うことの大変さは一般人の私の比ではないはずだ。音楽業界の人は概してコロナに対する警戒心が低いように感じるのもあるし、仕事そのものが感染対策と相性が悪いからだ。
 日記は2022年3月で終わっているが、その後彼のコロナに対する姿勢はどのように変化していったのかも気になるところだ。その他に映画「花束みたいな恋をした」の劇中で固有名詞を羅列することに対する批評についても深く共感した。同じ東京に住んでいてこの時期自分はこんなことをしていたりこんなことを考えていたな、と日記を読みながら振り返ることができたのも楽しかった。

【旅(国内)】「なし」
 妻の実家へ2回日帰りで行ったこと、札幌の試合で川崎市とさいたま市に行った以外はずっと東京都内で過ごした。2020年3月以降の3年弱で東京都から外に出たのはたったの6回だけである。それどころか今年は家から半径3キロより外に出かける機会が極端に減った。それでもストレスをあまり感じないのは、自分が住んでいるエリアが完璧にフィットしていることの証左である。

【旅(海外)】
 昨年、一昨年に続きどこにも行けなかった。今年は身の回りでも久々に海外旅行へ行った人が複数いたが、育児の困難さを考えても私が外国へ行ける日はまだ先となりそうだ。

【夏】「フッドの公園、駒沢公園」
 コロナ感染爆発による警戒と育児の大変さが重なり、例年以上に夏を楽しむことができなかった。そんな中でも昼間や夕方にフッドの公園を訪れる機会が多く、セミの鳴き声に束の間夏を感じることができた。また、子供が寝た後に駒沢公園のベンチで寝転んで夏の終わりを感じながらチルしたことも思い出深い。

【出来事】「カタールW杯」
 開幕した途端に興味関心が急上昇して、もしかしたら1998年フランスW杯以来と言えるくらいの強い関心を持って試合を見た。理由は仕事、育児、家事以外はスマホを見るくらいしか娯楽が無い中で、突然始まった世界最大の祭典が思った以上に輝いて見えたこと、日本代表の躍進、WINNERのおかげで初めてW杯をギャンブルとしても捉えたこと、Abema によってスマホでも気軽に観戦できるようになったこと、開幕当初から中東や北アフリカ(サウジアラビア、チュニジア、イラン、そしてモロッコ)の応援が欧米諸国のそれを圧倒する迫力だったことなどが挙げられる。
 中でも日本代表の試合は日本-ドイツと日本-クロアチアの2試合を友達の家で観戦することができた。2018年ロシアW杯も日本代表の全試合を友達の家で観戦して、4年に1度の最高に楽しいイベントとして楽しみにしていたのだが、育児が大変な中でも実現できたことは今年の最高の思い出の一つだ。
 日本代表に対しては4年に1度、W杯の時のみ応援する、いわゆる「にわかファン」であることをはっきりと認識した。かつては自分たちの代表として応援していたサッカー男子日本代表に対して、自分がどのような経緯で興味を失い、日本国民の大半と同じにわかファンになったのかを確認できたのも面白かった。
 モロッコ代表についてはピッチ上の選手と応援が完全にシンクロしてあの躍進に繋がったように見えて、寝不足をおしてモロッコ代表の試合を追い続けた。特にモロッコースペインでのモロッコの応援は今大会でも最も迫力あるものだったように思う。
 そして勿論アルゼンチン代表についても触れたい。アルゼンチンについては近年のW杯においては一番応援が盛り上がっている国として期待していたのだが、今回は応援という意味では期待外れだった。初戦のサウジアラビア戦でアルゼンチンが負けた時には爽快な気分になったのも事実で、自分がアジア人であることを感じられたことも新鮮だった。選手と応援が一体となって凄まじいパワーで戦うモロッコ代表に心惹かれたこともあり、アルゼンチン代表への注目度が過去大会と比べて低下していたが、決勝戦で一気にアルゼンチンへの情熱が復活した。
 これまでメッシに対して何か特別な感情を抱いたことは無かったが、あのマラドーナに並ぶか超える瞬間がやってくると思うと、突如として彼に対するシンパシーを感じた。35歳のキャプテンが自らの得点で歴史を作る瞬間を生中継で見ている中で徐々に気持ちが高揚し、劇的な試合展開によって途中からずっと心臓がドキドキしていた。
 1994年、小学5年生の時にサッカーに興味を持ってから28年経ち、世界のサッカー界における歴史が作られる瞬間に立ち会っていると感じたのはカタールW杯決勝、アルゼンチンーフランスが初めての経験だったと言える。優勝後のアルゼンチン国内の空前の盛り上がりについても深い関心を持って追い続けたこと、そしてSNSのおかげで現地の雰囲気をかなり身近に感じられたのも今の時代ならではかもしれない。現地のTV局のニュース番組を通じて、アルゼンチンの優勝パレード生中継をリアルタイムに東京の自宅のプロジェクターの大画面で見られるとは、数年前でも考えられない時代に生きていると思った次第だ。

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