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コンサドーレ札幌 ユニフォームの歴史(〜1995年)

◆はじめに
 2021年にコンサドーレ札幌がクラブ創設25周年を迎えるにあたり、日本で最も格好良い赤黒縦縞のユニフォームの歴史を振り返っていきたい。特に1990年代についてはインターネット上では断片的な情報に限られる。こうした情報は本来クラブがオフィシャルサイトに掲載し広く誰でもいつでも振り返ることができることが理想だが、残念ながら望み薄だろう。
 そこで可能な範囲で情報をまとめていきたい。記念すべき1996年を振り返る前に、まずは東芝時代から。札幌の歴史を語る上で、伝統ある東芝サッカー部を無視することはできない。特に札幌移転を果たした1996年はスタッフ、選手、ユニフォーム、エンブレムの多くが東芝の歴史をそのまま引き継いでいる。

◆1989年~1990年(JSL1部:プーマ)

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 下記Wikipediaの記載の通り、かつて東芝サッカー部のユニフォームカラーが赤であった時代である。シンプルかつ実業団チックな、前時代的なユニフォームという印象。後述する赤黒縦縞は札幌との歴史の繋がりを感じるが、赤一色のユニフォームから札幌を想像するのは難しい。かくもユニフォームのデザインはクラブの歴史と繋がりを表すものなのだろう。
 写真中列左から2番目に並ぶ石崎信弘が後に赤黒縦縞へとユニフォームを変更したとされる。スタッフが着ている2nd長袖シャツは過去にメルカリに出品されていたが、襟のVネックと袖のリブが赤黒にあしらわれている。こうしたシンプルかつ必要十分な赤黒の表現が札幌のシャツには今ひとつ欠けているように思える。

かつて東芝サッカー部のユニフォームは赤であったが、1990年代初めにACミランにあやかり「赤と黒の縦縞」に変更となったのは、当時主将だった石崎のアイデアによるものだという (Wikipedia 石﨑信弘より)

◆1993年(JFL1部:プーマ)

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 1993年に開幕したJリーグに参入せず、下部リーグであるJFL1部で活動を継続した東芝。この数年前からACミランを模した赤黒縦縞のユニフォームとなった。石崎信弘の発言やメルカリの出品を確認する限りでは、2ndユニフォームはユベントス同様に白黒縦縞の時代があったようだ。
 左袖にはエンブレムが見える。このエンブレムは1996年のみコンサドーレ札幌としても表記を変更した上で使用している。ただし1996年はユニフォームにエンブレムがあしらわれておらず、オフィシャルフラッグでのみ暫定エンブレムが使われている。今見るとシンプルかつ普遍的なデザインが奇跡的なバランスで表現されており、どことなく長年デザインを変えていない南米のクラブのエンブレムのような情緒も感じられる。
 先日発表された相澤クリエイティブディレクターによるデザインの25周年エンブレムでは、この歴史的なエンブレムの要素が一切取り入れられていなかったのは非常に残念でならない。あの相澤ディレクターのエンブレムに1996年の札幌へ想いを馳せることは残念ながらできない。インスタグラムのストーリーでエンブレム制作秘話を掲載していたが、デザイン候補案を確認する限り1996年の札幌は考慮されてはいなかったようだ。25周年という節目こそクラブの歴史に立ち返ること、歴史を知らない人に過去を伝える責務があると思うのは私だけだろうか。
 2枚目の写真は1993年JFL1部17節、東芝ー平塚である。東芝はパンツを白とした往年のACミランスタイルで試合に臨んでいる。私は赤黒縦縞シャツ×白パンツの組み合わせを常に切望しているが、コンサドーレ札幌としての歴史上では記憶の限り一度だけ実現している。1996年9月15日に神戸ユニバで開催された神戸ー札幌がそれである。
 集合写真に戻ると、高橋武夫監督の左は鈴木政紀(磐田時代は鈴木将方)。この年デリー・バルデスとの2トップで活躍が認められ、翌年1994年にJリーグ昇格を果たしたジュビロ磐田へ移籍し初年度は活躍。私がJリーグで初めて好きになった選手である。

◆1994年(JFL1部:プーマ)

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 1994年は前年同様のデザインであるプーマのユニフォーム。柏戦では両チーム黒パンツが重なったためか、東芝はパンツを白としている様子をYoutubeで確認できる。この柏レイソルJリーグ昇格の軌跡をまとめた映像集は当時の熱狂を物語る資料として大変興味深い。下記が必見ポイントである。

07:09:1993年ナビスコカップ柏ー鹿島、超満員の柏サッカー場はピッチ上にも観客が座っており係員がロープで制御
09:40:柏ー東芝(柏サッカー場)
26:04:東芝ー柏(等々力競技場)
57:13:Jリーグ昇格決定後、喜びのあまり川越陸上競技場のピッチに乱入する観客


 余談だが1993年からJリーグ各クラブはリーグで統一されたブランディングの元でミズノのユニフォームを採用していた。光沢感あふれる素材と派手なデザインのJリーグ各クラブに対して、東芝をはじめとしたJFL各クラブの落ち着いたデザイン(=欧州や南米と同じ感覚)のコントラストが当時不思議であったことを思い出す。キーパーシャツが奇抜なのは当時の全世界共通である。尚、集合写真でスタッフが着用している白ベースのシャツはメルカリにて出品され2021年2月に売り切れている。

◆1995年(JFL1部:プーマ)

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 1995年のユニフォームは前年までのデザインから変更された。1996年のコンサドーレ札幌設立時にも基本的にこのデザインを継続して使用している。1994年は黒5本、赤4本の縦縞が1995年は黒4本、赤3本とやや縦縞が太くなり、襟に白が入り黒白赤の3色となった。これにより胸の白抜きのTOSHIBAロゴとのバランスが良くなった。1994年以前のユニフォームは草サッカーや学生用としてプーマのカタログに載っているような一般用テンプレートを使っているように感じられたが、1995年のユニフォームは比較するとオリジナリティが表現されているように思える。
 シンプルなスポンサーロゴと袖のエンブレムのバランス含め、東芝後期~札幌の25年以上の歴史の中で最も洗練されたユニフォームがこの1995年と考えている。これは私が札幌ファンになった1996年、中学1年生の頃から一切揺るがない考えである。ヤフオクでは過去に出品された形跡が残っているが、メルカリでは知る限り一度も見たことがない。

◆写真の出典
 JSLオフィシャルガイドブック、JFLオフィシャルガイドブック、サッカーマガジン1993年10月7日号

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