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ブエノスアイレス4日目 2006/2/13(月)

 ブエノスアイレス滞在4日目に書いていた日記である。この日はボカ・ジュニオルスの本拠地であるサッカー場、ボンボネーラの見学に行っている。1996年、中学生の頃にウルトラス・ニッポンを通じてサッカーの応援に興味を持ち始めた私は、日本代表を応援する人々が着ていたウルトラス・ニッポンのTシャツにも憧れていた。背中に12の背番号が入った青いTシャツはボンボネーラという東京・千駄ヶ谷にあるサッカーアパレルショップで売られていることを知る。ボンボネーラとはアルゼンチンのボカというクラブのホームスタジアムの名前で、現地の言葉でおもちゃ箱を意味するらしい―
その後2000年にはそのボカがトヨタカップで来日、現地からやってきた1万人のボカファンが国立競技場のゴール裏で圧倒的な応援を繰り広げる様子に衝撃を受ける。翌2001年には高原が磐田からボカに移籍、NHK-BSでもボカの試合を中継、いつかここへ行ってみたいと思い続けてきた憧れのサッカースタジアム、それがボンボネーラである。

憧れの地、ボンボネーラへ

 昨日は2時半に寝て10時過ぎに起きた。11時半頃外出、中華料理屋に行こうと思ったら閉まっていた。サンテルモへ向かい、適当な店でミラネッサとエンパナーダを食べた。どちらも微妙な味だ。そして今日もレサーマ公園に向かう。キオスコで買った今朝のOle!を読むと応援歌が歌詞付きで載っていて驚いた。トルコもそうだったが、スポーツの新聞で応援やファンに関する記事がやたらと多いのはすごく羨ましい。サッカーの国であるとはこういうことなのだろう。日本では考えられない。今13時、これからボカに行こうかな。

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 15時半、ボンボネーラにいる。初めて知って以来、10年間憧れてきた場所にいる。公園から歩いてボンボネーラの巨大な建物が見えた瞬間はめちゃくちゃ興奮した。今でもボンボネーラのスタンドに座っていることが少し理解できていない。スタンドの壁には無数の落書きがある。俺も札幌に関するフレーズを記した。今日は見学だが、ここで試合が見たい。やっぱりリーベルではない、ボカだ。40枚以上写真を撮り、1時間以上もこのスタンドにいる。何か特別なものを感じる場所だ。

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 17時半、レサーマ公園に戻ってきた。ボンボネーラを見つけてからはまず目の前にあるボカのグッズを売る店に入る。そしてボンボネーラの中にあるオフィシャルショップ、更にスタジアムミュージアムへ。なんとボカの出場した選手全員の写真が壁一面に貼られている。なんて素晴らしいんだ。ディエゴ・マラドーナも高原の姿もある。ユニフォームやトロフィーが展示されている。更に過去の映像、ディエゴのプレーは全てが圧巻だ。そして2000年のトヨタカップの映像、日本のスポーツ新聞も映っている。パレルモ格好良いな。

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 そしてスタンドへ!テレビで何度も見てきたあのスタジアムに自分がいるという事実を理解するのには少し時間がかかった。試合が行われていなくても良い雰囲気だ。ここでも日本人が数人いる。どれだけ人気なんだ。ビデオカメラで熱心に撮影をしている欧米系の人がいたので、自分の写真を撮ってもらうことに。憧れの地、ボンボネーラに来たという記念の一枚を撮ってもらえた。センターライン付近の席に座ってピッチを眺めていると、後ろからアミーゴ!という声が。先ほど写真を撮ってもらった男が声を掛けてきた。スタンド全体を映しながら途中で自分の姿をうまく入れて映してほしいとのこと。勿論OKだ。無事撮影した後は座って一緒に話をする。彼はバルセロナから来たらしい。ブラジルのリオでもフラメンゴ-バスコの試合を見たとのことで、ロマーリオはペレに次ぐゴールゲッターだと語る。同感だ。彼はとにかくディエゴが好きらしい。ディエゴはピカソのようなものだと語り、あのミュージアムのビデオを見たか?あれはフィクションじゃないんだ、信じられないよと熱く語る。俺も同じことを思ったばかりである。そして「ボカがここで試合をしている光景が目に浮かぶよ・・・ゴール裏ではトルシーダが歌い、正面ではリッチな奴らが観戦。太ったディエゴもそこにはいるだろう」と遠くを見つめながら語る。トルシーダと言ったのはブラジルで試合を見たばかりだからだろうな。彼は明日スペインに帰国するらしく、実際に試合を見られず残念そうだ。日本で一番大きなスタジアムはどこなのかと聞かれ、あえて国立と答える。横浜国際はダサいので挙げたくない。彼もトヨタカップのことは知っているようだ。W杯の話をする。日本のグループを教えると大変だろうなと一言。日本の検討を祈るよ、バイバイ!と彼は去って行った。気持ちの良い出会いだった。そして英語ならこうしてなんとか話が出来る。

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 その後はゆっくりスタンドを見て回った。12番と10番の席は全てシールが剝がされていた。そりゃ欲しいよな。しかし本当にピッチとスタンドが近い。絶対にここで試合を見たい!と思う。スタンドを出て入り口に戻る。銅像があったりしてスタジアムとは思えないほどの歴史的価値のある場所に感じる。ボンボネーラを後にし、適当に歩く。軽くスラム街的な雰囲気。案の定若者の集団に「タカハラ!ハポン!」と声を掛けられる。こっち来いよと手招きするので近寄って一人一人と握手。ボカのファンだとブレスレットを見せてくる人もいる。そしてビール飲みなよと瓶のブラフマを渡されたので飲む。するとマリファナ!!と言われ、あり得ないけど本当に入っていると思ってしまってなぜか一瞬でクラっとしてうろたえる。セルベッサ(ビール)!と言われて一安心。悪い冗談すぎる。写真を撮ってくれと言われて撮った。いい笑顔だ。去り際に「シマウタ!タカハラ!」と言われまくる。

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 更に歩くとカミニートを発見。早速サンバ隊がいる。4人なのにすごい迫力で格好良い。カラフルな家は大したことがない。土産屋ばかりでテーマパークみたいだ。横道に入ると子供が中国語の物真似をしてくる。アルゼンチンで初めて物乞いの子供にも会ったし、治安はそんなに良くなさそうだが、そこかしこにボカに関する絵が描かれているのは最高だ。適当に歩いてボカ地区を離れる。ボンボネーラはスラム街の中にあるというのを実感。レサーマ公園に戻ると気持ちが落ち着いた。行きに見かけたクラブ・アトレティコ・サンテルモの練習場を見て帰りたい。地区ごとにサッカークラブがあるのは本当のようだ。すごいことだ。

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 宿に一旦戻り、フロリダ通りへ向かう。サッカーユニフォームを探しつつ、なんとかガレリアという高級ショッピングモールの地下のフードコートで夕食。牛肉ともやしと米を炒めた料理を食べた。ジュースとセットで13.5ペソ、久々に米を食べた。普通だ。野菜が食べたい。食後はユニフォーム探し、なかなか良いものが見つからない。ボカは100周年モデル、リーベルは3rdシャツ、サンロレンソの1stが欲しい。それぞれ4000円くらいで手に入れたいが、結局条件に合うものは見つからず。21時半頃、歩いて宿に戻った。途中スーパーでキルメスとヨーグルト、ポテトチップスを買って部屋でキルメスを飲む。汗をかいたからか最高に美味い。昨日クミさんが言っていたようにキルメスは美味い。いくらでも飲める。更に昨日買った白ワインを飲む。

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 今日は結構歩いた。5kmくらいだろうか。ボカでもフロリダ通りでも日本人をよく見かけた。数日前まで日本に帰りたいと思っていたが、ブエノスアイレスに到着してそんな気持ちは吹き飛んだ。帰ったら友達に会えるし、食事も美味しい。でも単なる日常に過ぎない。帰ったらどうせ一日家でダラダラして夜に方南町の松屋に行くだけだ。おまけに今は寒い。更に引っ越し準備、内定先の課題と面倒なことも多い。つまらなく面倒な日常に比べて、今は地球の裏側で毎日悠々自適な日々、宿も街も最高、何も問題ない。こんな毎日は社会人になったら絶対過ごせない。帰国してから羨ましく振り返るのが目に見えている。とにかく楽しもうと思う。この旅は最高だし、こんな自由な日々はもうやってこない。どう考えても一か月間の長旅は出来ない。万が一会社を辞めたとして、俺に一年とかの長旅は出来ないと思う。一か月くらいがちょうどいい。そんな風に考えると、今回がラストだ。特に最高の街ブエノスアイレスにこんな良い時期にこんな環境で過ごせることはもう無いだろう。それを深く嚙み締めて旅をしたい。現在夜中の1時、こんな時間に家族で犬の散歩をしている人がいるのが面白い。文化の違いだ。

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宿で一人酒を飲みながらブエノスアイレスにこうしてやってくるのも二度とない、みたいなことを考えているが、この4年後のゴールデンウイークにまた同じ宿に泊まること、そこから更に8年後にはこの時と同じ2月にアルゼンチンを再訪することを当時の私は知る由もない。本当に好きな街ならば、地球の裏側であろうと何度も来ることが出来るのである。


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