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コンサドーレ札幌 ユニフォームの歴史(1996年)

◆はじめに
 1996年、東芝サッカー部が札幌へ移転しコンサドーレ札幌が創設された。ほどなくしてJリーグ昇格を目指すJリーグ準会員として承認され、実質的な二部リーグであるJFLを戦った。前回の東芝時代に続いて札幌のユニフォーム変遷、今回は記念すべき1996年のユニフォームについて取り上げたい。

◆1stユニフォーム
 1995年の東芝のユニフォームをそのままにスポンサーロゴを変更、左袖のクラブエンブレムが消えた。シンプルな赤黒縦縞と襟や袖のリブの大きさ及びバランス、シャツのサイズ感など文句の付け所がなく、見事に完成されている。前年のシンプルなTOSHIBAロゴに比べてHUDSONロゴの主張が激しいのには賛否あるだろうが、蜂のマークはスペインのラーヨ・バジェカーノを思い出させ、スタンダードなシャツに彩りを加える個性とも言える。1996年9月15日に神戸ユニバで開催された神戸ー札幌は、シャツ赤黒×パンツ白×ソックス赤を着用した、札幌の歴史上おそらく唯一の試合である。

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・サプライヤー :プーマ
・エンブレム  :無し ※右袖に2002年W杯招致ワッペン
・胸スポンサー :HUDSON
・袖スポンサー :サッポロビール(左袖)
・背スポンサー :TOSHIBA
・赤黒縦縞   :黒4本×赤3本(黒×赤×黒×赤×黒×赤×黒)
・襟      :内側から黒、白、赤
・袖のリブ   :黒
・パンツ    :黒
・ソックス   :赤

◆2ndユニフォーム
 白いシャツに、襟と肩口の赤黒が絶妙なバランスでクラブカラーを主張している。私は近年の白地のアウェイユニフォームデザインに不満を抱いているが、赤黒が足りない点が原因と考える。白一色や水色、青、紺を入れるのではなく、赤黒をもっと使って欲しい。サンパウロのユニフォームを見るまでもなく、白地に赤黒のアクセントを配するだけで必ず格好良いユニフォームになる。
 1996年の話に戻ると、1stシャツでは文字の色が白であったサッポロビールは赤、TOSHIBAは黒と色を変えている。当時の多くのユニフォームはスポンサーロゴの下に安易に下地を付けずに、シャツに合わせてロゴの色を変えていた。日本のユニフォームのスポンサーロゴに本格的に下地が付くようになったのは2000年前後からと記憶している。ユニフォーム全体のバランスよりもスポンサーロゴが目立つことを優先した、悪しき文化の始まりである。ただし近年流行している、スポンサーロゴとエンブレムの色を全て統一するやり方にも既に飽き飽きしているのが正直なところだ。シンプルにしたらそれっぽく見えるのは当たり前で、様々なロゴデザインや色の組み合わせを奇跡的なバランスで配置して1枚のユニフォームとして完成させるのがデザイナーの腕の見せ所ではないだろうか。

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・サプライヤー :プーマ
・エンブレム  :無し ※右袖に2002年W杯招致ワッペン
・胸スポンサー :HUDSON
・袖スポンサー :サッポロビール(左袖)
・背スポンサー :TOSHIBA
・襟      :白地に赤と黒
・袖のリブ   :白
・パンツ    :白
・ソックス   :白

◆レプリカユニフォーム
 半袖レプリカユニフォームが8,240円(税込)で発売された。スポンサーロゴ無し、ユニフォーム自体のデザインも選手着用版とは異なる。Jリーグ全体でレプリカユニフォームにスポンサーロゴが付くのが当たり前になるのは2000年前後からであったはずだ。一部のクラブではスポンサーロゴどころかクラブロゴも付いていないユニフォームが発売されていたが、個人的には余計なロゴが入ったユニフォームは着たくないと思っているので羨ましい限りである。
 これも余談だが、1997年までのトヨタカップでは両チーム共にスポンサーロゴを外したユニフォームを着用して試合に臨んでいた。トヨタの意向だったのかは不明だが、シンプルなユニフォームが特別なクラブ、特別な試合を演出しているように思える。今となっては考えられない古き良き時代。
 レプリカユニフォームは丸井今井一条館西ビル1Fの「アディダス・フィラショップ」内に開設されたオフィシャルグッズコーナー、通信販売にて取り扱っていたとのこと。公式に発表された形跡はないものの長袖シャツも出回っている。選手着用版との相違点は襟の赤ラインが無い、ボタンの内側の生地が赤でなく黒、縦縞の赤にPUMAロゴの透かしが入っている、袖の赤部分に細い黒のラインが入っている点あたりか。赤の色自体もレプリカはやや暗いように思えるが気のせいだろうか。

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◆リーグ戦開幕前着用ユニフォーム
 1996年のキャンプはオーストラリアで行っている。キャンプ中に開催された現地クラブとの練習試合時のユニフォームは、リーグ戦着用版と明確に異なる。写真を確認する限りレプリカと同一デザインのシャツであり、ハドソンのロゴデザインが異なる。スポンサーロゴとしては視認性に劣るかもしれないが、今見るとどことなく日本離れした雰囲気が漂っておりこれはこれで悪くない。

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◆オフィシャルフラッグ
 ここまで書いてきた通り、1996年はユニフォームにクラブのエンブレムが存在しない。一方でオフィシャルフラッグには東芝サッカー部のエンブレムをベースにしたエンブレムがあしらわれている。クラブロゴのフォントも丸みを帯びているが、1997年にロゴ・エンブレム共に一新される。シンプルでどことなく南米の中堅クラブを彷彿させる1996年限りの素敵なエンブレム。25周年を迎える2021年、改めて陽の目を浴びる機会があってほしい。

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◆サッカークラブの伝統とユニフォーム
 欧米や南米の名門クラブの歴史を見るまでもなく、サッカークラブは半永久的にあり続ける存在である。反面、選手やスタッフは勿論のこと、フロントの職員も含めた直接的にクラブに携わる人々は一般企業と比して入れ替わりが激しい。一方でファンは一度クラブを愛し始めれば、生涯に渡ってそのクラブと共に人生を過ごすことも少なくない。クラブの伝統、歴史、カルチャーはファン一人一人が語り継ぎ、受け継ぎ、必要であればクラブへ伝えていくべきものと考える。選手が入れ替わろうとも、サッカースタイルが変わろうとも、変わらないものがあれば自然と伝統へと変わり、誇りを持ってクラブと共に歩むための拠り所となる。
 たとえばそれは数十年に渡って歌われ続ける応援歌であり、そして最も分かりやすい形として表現されるのは選手やファンが身に着けるユニフォームであろう。その年ごとの細部の変化は当然として、ユニフォームの基本的なデザインに軸があればそれ自体が伝統となる。我々はACミランの赤黒縦縞、リーベルプレートの赤い襷を簡単に思い浮かべることができる。これまでもこれからも変わることの無いデザイン、それが一つの伝統と言えるのではないだろうか。
 日本ではコンサドーレ札幌だけが唯一、ユニフォームのデザインに明確な伝統、コンセプトを有している。最初は一人の選手の思い付きであったとしても、愚かなサプライヤーによって一時的に崩されそうになっても、25年以上に渡ってユニフォームのコンセプトを守り続けるクラブは国内では他に無い。クラブに関わる人々皆が伝統に誇りを持ち、数十年、数百年先まで赤黒縦縞を守り続けたい。

◆1996年4月21日 JFL第1節 福島FC-コンサドーレ札幌 
(郡山市営開成山陸上競技場)

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◆1996年4月28日 JFL第2節 富士通川崎-コンサドーレ札幌
(川崎市等々力競技場)

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◆1996年観戦試合
1.第12節:6月23日(日)13時 札幌3-2日本電装 厚別競技場
 ※ホームゴール裏
2.第14節:7月7日(日)13時 札幌3-0ブランメル仙台 厚別競技場
 ※ホームゴール裏
3.プレシーズンマッチ:7月29日(月)19時 名古屋0-2札幌 厚別競技場
 ※アウェイゴール裏(札幌が厚別でアウェイ扱いとなった唯一の試合)

◆写真の出典
コンサドーレマガジンvol.1~vol.6、コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック1996、自ら撮影

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