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2024.05.11 コンサドーレ札幌を応援して

 今シーズン初めての札幌の応援へ行った試合について、感じたことを記すこととしたい。ブログやPodcast、更には今年から復活した応援団によるフリーペーパーと、札幌に関するアウトプットに大きな刺激を受けており、私も行った試合については何か記録として残したいと思ったからだ。

 ここまで札幌は苦戦を強いられているが、私は今シーズン現地観戦は勿論のこと、DAZNで生中継を一試合フルで観戦することすら一度も叶っていない。週末の午後は一人で子供二人と過ごすことも多く、昨年以上に札幌の試合を見る余裕がない。更に低迷する成績も相まって夜になって試合を見ようという気も起こらない。後追いで90分間フルで視聴した試合は勝利した札幌-ガンバのみである。ちなみにこの試合の応援歌のチョイスは本当に見事で、応援が試合の流れを作っている様子を画面越しにも感じることができて感動した。

 子供が産まれて以降は首都圏で行われる試合ですら札幌の応援に行くのはかなり困難な状況だが、自宅から最も近いJリーグ開催地である等々力競技場で行われる札幌の試合は、毎年妻に無理を言って何とか駆けつけている。2022年の試合は子供の寝つかせを終えた瞬間に家を飛び出してハーフタイムに競技場に到着したことも記憶に新しい。この試合は行けるかどうか当日まで不透明な状況であったものの午前中になって無事行けることが決まり、電車とシェアサイクルを使ってキックオフ1時間前には競技場に到着した。等々力競技場でのデーゲームに行くのはおそらく2008年の川崎-札幌以来だ。

 等々力競技場での試合では、到着したらまずは応援席横の巨大テラス的なエリアから札幌の応援団による横断幕を眺めることを楽しみにしている。日本で一番のセンスを誇る札幌の応援団の横断幕が、見事なバランスと迫力をもってゴール裏のスタンドに貼られる様子は毎回壮観で心が踊る。これを感じているのはどうやら私だけではないようで、DAZNの川崎ー札幌の中継映像でも毎年必ずピッチの背景に札幌応援席をシンボリックに映したカットが登場している。

 今日はどの場所で応援するかと考え、出来る限り全力でやりたいと応援団の近くにて応援することにした。等々力の応援席はコンクリートの階段に立ち見というアルゼンチンのサッカー場を思い出させる素晴らしいスタイルである為、席の確保という面倒な作業が不要である。適当に空いている場所を見つけて立つことにした。この日の敵側の場内アナウンスはプロレスのリングアナウンサー的なコンセプトとのこと。サッカーの試合には似つかわしくない話し方が癪に障ったので、AirPodsでペンパルズの2ndアルバムを大音量で聴いて音声を耳に入れないようにした。このアルバムは私が高校生の頃、2000年から2001年にかけて札幌の応援の為厚別競技場へ通う際に必ず聴いていたことから、今も札幌の応援に行く時はよく聴いて当時の感覚を思い出すようにしている。

 応援にあたっては昨年まで同様にマスクを着用することにした。マスクによって全開で応援が行えないことは承知の上で、コロナを筆頭に病気感染のリスクを減らしたいからである。サッカー応援に行って体調を崩し、育児に支障が出るのは絶対に避けたい。コロナに関してはマスク着用によってウイルスの曝露量が減ることで発症そのものや発症しても症状の軽減が期待できる点も大きい。マスクを着用することで応援に支障が出る為、着けないに越したことはないのだが、現状の自分にとってマスクのメリットとデメリットを天秤にかけるとメリットが上回るというのが偽りのない事実だ。ツイッターを見る限りではこの試合後から札幌ファンの間で体調不良者が続出していることを踏まえても自分にとっては必要な判断だったかと思う。

 2023年10月の横浜国際競技場以来の札幌の応援である。やはりというか、応援を始めるとまず感じるのは自分の声量が小さい。マスクの影響もあるが、2019年以前と比べて応援の機会が少ないせいで大声を出すという行為に慣れていない。声の出し方が下手になっているとも言える。そして以前のように喉を潰すの上等的な、リスクを鑑みない無茶な発声もどこかでセーブしてしまっている感覚も否めない。飛び跳ねるという行為については、試合開始早々に足の裏に豆ができてしまった。最近購入して頻繁に履いているVANSのSK8 lowだが、ソールが薄いこともあり応援にはあまり向いていないようだ。とはいえ飛び跳ねる行為はサボると目立つし、何より応援の中心部にいてそれができない人間はその場から立ち去った方が良い。痛む足を気にしつつもなんとか耐えながら頑張り続けた。

 大声で歌い、頭の上で大きく手拍子を行い、飛び跳ねながら応援を行う。応援席にいるならば最低限必要だとされるアクションではあるが、私にとってはこれらのアクションそのものが応援の楽しさであるとは考えていない。
周りがやっている決められたアクションを必ずやらなければならないのかといえばそうではなく、歌や試合展開、その瞬間に芽生えた感情に対して全身を使って自分を表現できた時が応援をしていて楽しい瞬間である。それが出来ずに周りと同じ動きをロボットのように繰り返すだけの応援は格好良くないし面白くない。

 では具体的にどんなアクションをしたら良いのか、言葉で表すのは難しいのだが、トランスのパーティーの客をイメージして動くことを意識している。トランスのパーティーの客は自分らしさを全面に出して身体を動かしている。ステージ上のDJを見て踊る人もいれば、スピーカーに向かって集中する人、全く違う方向を見て踊る人、流れる音楽のBPMよりも高速で踊る人、手で見えない何かを作っている人、色んなスタイルの人が混在している。踊り方は人それぞれすごく自由でまとまりがある訳ではないが、俯瞰して見るとそれぞれの個性によって生み出される、一つの大きな塊のような動きがその場の素晴らしいバイブスを作り上げている。色んな人の踊りや情熱に刺激を受けながら踊り続けて日の出を迎えた時の素敵な気持ちはいつでも最高だ。

 良いパーティーは与えられるものではなく、その場の客一人一人が作り上げるものというのはよく言われることだが、それはサッカー応援でも当てはまるのではないかと考える。周りの客がいい感じで踊っていれば刺激を受けるし、出来ることなら自分も周りにとってそういう存在になれるよう激しく踊りたい。決められた踊り方はなく、自分が感じたことを自由に表現する。私にとって札幌の応援もトランスのパーティーと同じでありたいといつも思っている。勿論サッカー応援は音楽に対する踊りとは違うし、自分の表現がいつも出来ているかは別として、そういうスタンスでありたいという話だ。

 この試合、ピッチ上で起きている出来事にはほとんど興味が湧かなかった。試合について覚えているシーンは何もないし、試合からしばらく日が経つとスコアすら思い出せない。元々サッカーの試合よりもサッカーを取り巻くことに興味を持っていたが、試合そのものへの関心低下は年々顕著になるばかりだ。2019年8月の8-0マッチ以来、自分が応援した札幌の試合は2分8敗と一度も勝っていないこと、それに伴いピッチと応援が呼応して試合を作る感覚からもう5年近く遠ざかっていること、そしてコロナにより試合にほとんど行かなくなった2020年以降、成績に重きを置かなくなったことなどが挙げられるのではと考えた。

 ではこの試合で覚えているシーンは何か。試合終盤に歌った、あるがままにの歌である。この時は本当にブチ上がった。歌の元ネタであるアルゼンチンのウラカンの歌が大好きで、札幌の応援歌として歌われることを知った時は本当に嬉しかった。そして実際に出来上がった歌はアレンジも歌詞も絶妙で歌っていて本当に楽しい。この歌が始まって一気に体力が回復し気持ちが全開になり、ここまでずっと着用していたマスクも着けている場合ではないとこの時ばかりは外し、全開で全身を使いながら歌うとものすごく気持ちが解放されるのを感じた。コロナ前の自分の応援に戻ることができたような瞬間だった。

 このあるがままにの歌の時は完全にピッチを見ずに歌っていたが、それで思い出すのは2018年4月の浦和-札幌だ。確かこの試合から赤と黒が人生だからの歌が始まり、これは試合を見ないで自分の感情をひたすら表現する歌だなとすぐに思ったことを覚えているし、気持ちが乗る時はいつもそうしている。

 試合終了の笛が鳴った瞬間にスタンドを後にして帰路に就いた。試合結果への不満はありつつも、それよりも頭に浮かぶのは自分の応援のことばかりだ。試合がどうこうよりも自分の応援が不甲斐なくて情けなかった。応援の中心付近で最低限必要なアクションをすることに精一杯で、あるがままにの歌の時以外は自分らしい表現がほとんどできなかったことに悔いが残った。苦境にあえぐ選手たちに対して、スタンドも悲壮感を漂わせながらただ必死になって応援をするだけでは足りず、プラスアルファの自分なりの表現が出来なければ応援に行く意味がない。

 ずっと体力的な苦しさや精神的にも悔しさを感じながら、札幌というよりもひたすらに自分の応援と向き合った90分だった。手を抜いた訳でもなく、今の自分がやれることを最大限出し切った結果、2019年以前の自分の応援に遠く及ばないことを痛感した。

 この試合について振り返ると全て自分の応援がどうだったかということばかりで、ピッチ上のプレーは勿論のこと、札幌の応援全体などそれ以外のことまではあまり考えが及ばない。札幌を応援しに行くという行為ではありつつも、実際には自分の為に応援しているということなのだろうと強く思った。

 この試合以降の札幌は6/22時点で1勝4敗、J1最下位である。クラブを取り巻く状況は非常に厳しく、真剣に向き合うと今の自分ではどうすることもできない事柄がどうしても出てくる。愛するサッカークラブは自分そのものでもあり、真剣に向き合うことがサッカー応援の醍醐味であることは理解している。札幌に関わる全ての人々が一つになりJ1残留を勝ち取った、あの2017年のことは一生忘れないだろう。2017年の札幌に対しては多少なりとも自分の応援がチームの力になったという自信がある。

 一方この2024年に札幌に対して私が出来ることは何かと考えた。育児の事情から行きたくても試合に行けないし、DAZNでリアルタイムに試合を見ることも難しい。行ける試合があれば応援を通じて全身で自分を表現することにひたすら注力したい。この等々力で感じたことを忘れず、自分の応援と向き合い、そして次試合に行ける時はもっと良い応援をすること。ポジティブにひたすら情熱的かつ個性的な応援をしたい。

 成績が悪い時やビハインドの時にありがちな悲壮感漂う応援ではなく、札幌はどこよりも格好良いのだと、自信を持ってひたすらアッパーに応援することで、会場全体が札幌のものになるのではと考える。私が現地で何度か試合を見た限りでは、アルゼンチンではどのクラブも選手入場時から圧倒的なテンションで明るい歌を歌って自分達のバイブスを作る。このイメージを持って応援することで、どのような状況下であったとしても札幌の応援を楽しみたい。


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