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モロッコ タンジェ

2012年のゴールデンウィークにスペインからモロッコを旅した。船でアフリカ大陸へ、バックパッカーにとって旅の定番コースだ。スペインのアルヘシラスからフェリーに乗る。ジブラルタル海峡を渡り、あっという間にモロッコ側の港に到着。バスに乗せられる。対岸のスペインとは全く異なり人が多い。街に近づくにつれて日が暮れて怪しい雰囲気も漂い始める。降ろされた街はタンジェ、かつて魔都と呼ばれた街である。

タンジェは20世紀初頭に、複数の国が管理する国際管理都市となったとのこと。関税のかからない自由港、貿易・金融の中心として繁栄し、多くの外国人が暮らす国際都市だったという。かつての香港のような存在だったのかもしれない。そして様々な国籍の人々が跋扈し混沌の中にあったことから、享楽的な雰囲気に惹かれた多くの芸術家がこの街を訪れたという。タンジェに暮らしたポール・ボルウズの小説が原作の映画「シェルタリング・スカイ」でもタンジェは怪しげなモロッコの旅のスタート地点として描かれている。かつてローリングス・トーンズなど数々のミュージシャンやアーティストが滞在した、モロッコの中でも異色の街と言えるのだろう。

四方田犬彦著「モロッコ流謫」より
"この街は他のモロッコの都市とは比較にならないほどに古くから存在し、さながら海千山千の年増女のようにさまざまに宗主国と言語とを替えて、したたかに現在まで生き延びている"
"返還から40年以上が経過した今日のタンジェには、往年のコスモポリタニズムを強く連想させるものは稀薄であるといってもいいかもしれない"
"時代の興奮が過ぎ去ってしまった今日、それは急速にモロッコのどこにでもある、埃臭い、普通のアラブ人の街に近づこうとしている"

タンジェには一泊して、翌朝にはフェズの街へ鉄道で移動する予定である。まずは列車の切符を購入する為に駅に向かいたい。港からのバスが到着したのはガイドブックに載っていないエリアだ。まだスマホを持っていない時代の話、ここはどこだと途方に暮れているところで、バイクで通りかかった若者がシノワ(中国人)!と叫んできた。珍しいアジア人をからかっている様子だが、チャンスだと思ってスペイン語話せる?と質問してみた。まさか返事が返ってくるとは思っていなかったであろう若者は驚いた様子だったが、駅までの道を質問すると一緒に連れて行ってくれることになった。ガイド料目当てかもしれず警戒は解かなかったが、まずは一安心だ。

駅に着くと若者は切符の買い方まで教えてくれた。そして街の中心まで一緒に歩き、両替と宿探しも手伝ってくれた。この頃には私も相手が金目当てではなく好奇心旺盛な親切な若者だと気付き、お互いが心を許して一気に仲良くなった。若者の名前はユセフ、モロッコ人だがスペイン出身らしくスペイン語が話せる。スペインから移動してきたばかりの私が片言のスペイン語を話すことで何とか意思疎通することができた。

落ち着いて周りを見ると、街の中心からすぐの夕暮れ時の海岸にはものすごい数の地元の人々が集まっている。どこか落ち着いたスペインとは全く異なり、街の賑わいや人々のパワフルなエネルギーに満ちている。対岸にはスペインがはっきりと見えるが、何故こんなに違うのかと思うほどの別世界だ。

海の近くの古びた安宿にチェックインし、外で待っていたユセフくんと合流して夕飯を食べに行くことにした。おそらく観光客向けと思われるお土産屋やレストランが並ぶエリアを歩く。すぐに怪しい男たちが接近してまとわりついてくる。断ってもずっと追いかけてくる客引きに対して、ユセフくんはうまく追い払うことができない。地元の人間なのだからちょっとはうまくやってくれよと思いつつも、そういうところも憎めない。結局客引きの案内で客が一人もいない観光客向けレストランに入り、割り勘で食事をした。

すっかり夜になり、食後は夜遊びに行こうという話になった。タンジェの海岸沿いにはネオンが光り輝くディスコテックが林立し、イスラム文化圏というよりは開放的な地中海沿岸らしさが漂う。行ったことはないが以前旅行者から話を聞いたテルアビブやベイルートのクラブもこんな感じなのではと思う。気持ちを高揚させながらその中の店の一つに入る。海を背景に階段を下りて地下の店内へ。DJがいてダンスフロアが広がるものの、立って踊るというよりは席に座って仲間と話すといった過ごし方のようだ。早速ビールとシーシャを頼む。シーシャは炭が強くて焦げた感じで拍子抜けしたが、イスラム教の国で飲むビールは背徳感があって楽しい。以前シリアのダマスカスで店の奥の鍵付き倉庫から出してもらって飲んだビールを思い出す。

ディスコの客は男の友人同士が多い一方、別のテーブルを見ると女性だけのグループもいる。時折周りに目を光らせる様子はマカオのホテル・リスボアで散々見かけた馴染みの目つきだ。ユセフくんにあの人たちはプータ(娼婦)なのかと聞くと、ここで客を捕まえて近くのホテルに行く仕組みとのこと。ここはムスリムの国だが、タンジェは昔からの歴史で大目に見られていることもありこうした女性も多く存在するらしい。

ビールを飲みながらユセフくんと女性やサッカー、旅や音楽の話をする。私と同じ20代後半、同世代ということも手伝ってさっき知り合ったばかりなのに前からの友人のような感じがする。自分にとって旅の楽しみとは世界遺産や名所を巡ることではなく、知らない土地の同世代の若者はどんな遊びをして、どんな風に暮らしているか知ることなのだと思う。思いがけずそんな経験が出来てハッピーな気持ちになった。最初に中国人!と声を掛けられたときに無視したり怒ったりせずにコミュニケーションを取って良かった。あの時踏み出したからこそ最高の夜を過ごせた。

日付が変わってだいぶ経った深夜に店を出た。街角にあるATMで翌日以降に必要な金を下ろし、周りを見張っていてくれたユセフくんと宿の前で別れた。最後まで友人として付き合ってくれて嬉しかった。別れる前に一緒に写真を撮ったのだが、帰国後SDカードを紛失して消えてしまったのが心残りだ。

翌日は午前中の電車でフェズに移動する為、早起きしてタンジェの街を歩いた。渡航前に見た映画「シェルタリング・スカイ」のような世界が残っていないかと路地から路地を歩く。坂の上に大きな広場があり、その正面に堂々と古い映画館が建っている様子が素敵だった。満足してカフェで地元のおじさん達に混じってコーヒーを飲んだ。

宿に戻り荷物を受け取り、タクシーに乗って駅に向かう。タクシーの運転手とも駅員とも片言のスペイン語で会話ができた。タンジェの人はスペイン語で話しかけるとすぐに切り替えてくれる。公用語はフランス語とアラビア語の国にあって、英語は無理だがスペイン語なら話せるという人が多い。かつての国際都市の名残と共にオープンな気質を感じる。

9時50分のフェズ行きの列車に乗ってタンジェの街を離れた。タンジェに滞在したのは夕方から翌朝までの僅か半日。魑魅魍魎の世界であるモロッコの旅を始めるにはうってつけの、怪しく魅惑的で国境ならではの曖昧さを有した特別な街だった。

ユセフくんからは無事フェズに着いたら電話してよと言われていた。その日の夜、フェズの街外れの店で大勢の男達と一緒にサッカー観戦した後に商店の公衆電話から電話をかけた。その翌々日、帰国する際もカサブランカの空港から電話で少し話をした。今となってはモロッコ人と片言のスペイン語で会話が成り立っていたのが不思議でならない。

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