見出し画像

アスンシオン1日目 2006/2/21(火)

 2006年2月~3月の南米横断の旅におけるブエノスアイレス滞在記に続いて、次の目的地であるアスンシオンの滞在記である。前日夕方にアルゼンチン・ブエノスアイレスを出発し、長距離バスで18時間(予定より3時間遅れて18時間かかった)かけてパラグアイ・アスンシオンへ向かう。

 3時くらいに怖い夢を見て目が覚める。ジャージを着ているのにめちゃくちゃ寒い。毛布が欲しかった。姿勢が良くないから身体も痛いし、きつくてなかなか眠れなかった。9時くらいから車内のテレビでドラマが始まったのでまた起きた。コーヒーのサービス、砂糖たっぷりで美味しかった。そしてドラマを見た。後ろの席の女性とか隣の男性とか、みんなガンガン笑いまくっている。スペイン語なのでよく分からないが、隣の男のリアクションを見ていると自分も笑えてきた。コントのようなドラマだ。バスの車内で一斉にみんなが笑うなんて日本では考えられないな。1時間半くらい放送して終了。

 
 現在11時20分、川を渡って国境にいる。この辺になるとアルゼンチン側でも相当貧しそうだった。ブエノスアイレスとは違う。パラグアイはどんな雰囲気なのだろう。

 現在13時54分、13時にアスンシオンのバスターミナルに着いた。国境を越えた後に隣の白人男性に話し掛けられた。英語とスペイン語、どっちを話せるんだ?と。彼はドイツ人で見た感じ30代、5年間スペインに住んでいて、スペイン語を話せる。南米が好きでこの旅は5週間目、あと5週間旅をするらしい。ドイツW杯はトーゴ-韓国を見に行くとのこと。10分くらい話した。アスンシオンに着いて「3時間遅れだね(笑)、良い旅を!」と言われ別れた。

 パラグアイの第一印象はアジアのようだと感じた。ブエノスアイレスにずっといたからかもしれない。そして路線バスがボロい!走る時もガタガタしている。赤信号の時に車に向かってやってくる物売りがめちゃくちゃ多い。道行く人の肌の色はブエノスアイレスより濃くなった。しかし暑い。温度計は40度、この先が心配だ。

 バスターミナルから路線バスに乗ってセントロを目指しているうちに終点に着いてしまった。あまりに街が小さくて街の中心に気付かなかった。運転手に聞いたらセントロまで乗せていくよとのこと!そして折り返して出発し、セントロと思われる辺りで降りた。お礼として1000グアラニ渡そうとしたが、電話中の運転手は親指を立てて、いらないよと断りのポーズ。本当にいい人だ。申し訳ないけどありがとう!

 バスを降りると喉が渇きまくっていたので、その辺にいるおじさんからスプライトを購入。瓶なのでおじさんの横で飲んでいると、「どこから来た?ここは初めてか?ホテルは決まってるのか?グアラニホテルがいいぞ」と話し掛けられる。また親切な人に出会えて印象アップだ。そしておじさんと別れてホテル内山田を目指して歩く。アスンシオンの街は本当に田舎町という感じだ。

 めちゃくちゃ暑い中、歩いてホテル内山田に到着。フロントの人は日本語を話せるパラグアイ人だ。チェックインはシンプルに終了。週刊実話が置いてあったので読む。しかしブエノスアイレスに比べて孤独を感じるな。食事しに外に出掛けて近くの店へ。水とハンバーガーを頼む。そして適当に歩く。すると市場みたいな場所を発見、街の様子も市場もつくづくアジアみたいだ。

 水を買って宿に戻る。するとロビーのテレビの前に1人の日本人が。こんにちはと挨拶すると、「シリアかヨルダンで会ったよね?」と話し掛けてくる。タツヤさんだ!!本当に驚いた。シリアで別れた時に聞いた話では南米に向かっているはずだから、今頃カーニバルに向けてサルバドールにでもいるんだろうなーとずっと思っていたからビックリした。去年の夏に坊主だった髪も伸びているし、一見誰か分からなかった。

 タツヤさんの部屋は隣だと分かり、俺の部屋で話した。去年の夏に俺と別れた後はタイチさんとシリアを回ってレバノンに行き、トルコから彼女と合流してブルガリア、セルビア、クロアチア(ドブロで5泊、スプリットまで船で移動してザグレブ)、ハンガリー、チェコ、オーストリア、ドイツ、ポルトガル、スペイン、イギリス、ペルー、ボリビア、チリ、イースター島、パタゴニア、ウシュアイアから飛行機でブエノスアイレスに2月15日着、18日に出て19日にイグアスの滝、20日にシウダーデルエステ、日系人がいるイグアス市、そして今日アスンシオンに着いたばかりとのこと。ブエノスアイレスではビクトリアホテルに泊まっていたらしい!しかも同じ4階!ソンやソフィーとも話したらしい!!なんという偶然だ。ソフィーのことは「ブサイクだけどいい子だよね」と早速毒を吐くのも懐かしい。あとは林さんとも話したと言っていた。夜に廊下で人と話していたら英語で怒られたらしい。林さんとはパタゴニアの宿で会ったことがあったのに、すっかり忘れられていたというのも面白い。

 しかしものすごい偶然!5か月ちょっと前にシリアで別れて遠くパラグアイで偶然会えて、更にブエノスアイレスでも同じ時期に同じ宿に泊まっていて、共通の知り合いの話までできるなんて!ビクトリアホテルでは姿を見ていたかもしれないけど気付かなかったのだろうか?いや、すれ違えば気付くはずだ。俺がウルグアイに行っていた日もあったしな。本当に偶然ってあるんだなー。またどこかで会いたいとは思っていたけど、まさか本当に会えるとは。俺がもしあのタイミングで買い物後に宿に戻らなかったら会えなかったかもしれないし。ものすごい偶然だ。

 タツヤさんはブエノスアイレスではタンゴを見に行ったらしい。本当に良かったと。ボカの試合観戦を話したら行きたかったって。旅を始めてもう1年ちょいで、この後は24日にブエノスに戻り、日曜にイスタンブールに飛んで彼女と合流してアジアを東へ向かうらしい。イランとパキがヤバかったらウズベクの方へ。インドは北を行き、ミャンマーでストップオーバーしてタイへ。そこからバリ、台湾に向かい、9月頃に石垣島着。ダイビングをして、日本をヒッチで各地の友達の家に泊まりつつ地元の名古屋を越えて東京まで行って、ウユニ辺りで一緒だった日本人の家に行くらしい。結局今年の12月頃までは旅をする予定と言っていた。そのウユニで9人で行動していた日本人の一人は合気道をやっていて、その人は常に棒を持って歩いていて5人までなら棒で倒せるからか、危険な目には一度も合っていないと言っていた。マジか。ブラジルに行くのは結局辞めてパタゴニアへ行き、今で南米3か月目。スペイン語学校には通っていないけど言葉は結構行けるようだ。ブラジルはヤバいらしい。カーニバル中も宿は民泊とかでどうにかなるだろうけど、治安がめちゃくちゃ悪いと。貴重品は必ず宿に預けて最低限の金だけ持って歩けと。カバンとか持って歩けば速攻狙われるらしい。怖いなー!

 外に出てエンパナーダ屋へ。タツヤさんは注文しただけで店員の女性とフレンドリーに話す。気さくさは相変わらずだなー。この感じは天性のものだね。憧れる。その後水を買って俺は一人で市内散策へ出かける。途中夕立が突然来たけどすぐに治まった。しかし何もない街だ。本当に何もない。


 宿に戻ってコインランドリーで洗濯して、19時からタツヤさんの希望でホテルの中の日本料理店へ。タツヤさんはすき焼き、俺は焼肉定食を頼む。美味しい。サラダ、みそ汁もついて29000グアラニ(5USドルくらい)。久々の日本食だけどそんなに感動しなかったな。普通に日本の感覚で食べた。食後はネットしようと思ったけど、ホテルのパソコンが故障していた。一人で今後の旅のルートを考える。1泊で次の街に向かうかどうか。悩んだ結果、タツヤさんが明日グアラニの民芸品を見に行くと言うので俺もついていくことに。結局2泊することに決定、自分一人だったら間違いなく1泊で出て行っただろうな。タツヤさんに背中を押されればそれに従うのみだ。

 0時20分、水がない!マジで喉が渇いたけどこの時間に水を買いに行くのは難しい。ちなみにイグアスの滝は今カーニバルに行く人が多くて混み気味、サンパウロ行きのバスも3~4日分は埋まっているとのこと。だからイグアス発でなくシウダーデルエステ発のバスを買うべきらしい。結構キツいな。これからのルート決めが大変だ。

 パラグアイの首都、アスンシオンに無事到着。ホテル内山田という、日系人が経営するホテルに宿泊する。ホテルとはいえ宿泊料金が手頃で、普段は安宿ばかりの日本人バックパッカーがここで宿泊して疲れを取ることも多い。このホテルのロビーで知り合いのバックパッカー、タツヤさんに偶然遭遇する。

 私にとっての人生初の海外一人旅はこの南米旅行の前年、2005年8月~9月にかけて、シリア・ダマスカスからフランス・パリまで1か月かけて陸路で移動する旅だった。タツヤさんとはイスラエル・エルサレムの安宿で初めて知り合った。もう一人の日本人旅行者と3人で行動し、ヨルダン・アンマンを経てダマスカスまで数日間一緒に旅をした。大学生がバックパッカーの真似事を始めたようなド素人の自分に対して、28歳のタツヤさんは筋金入りの旅人で、その考え方や振る舞いなどを見て勝手に憧れていた。長期旅行者にありがちな旅に疲れた感じや変に通ぶったり偉そうなところが一切なく、クールな性格ながら好奇心旺盛だったり気さくな懐の深さが同居していてとにかく格好良かった。

 2009年に屋久島で皆既日食パーティーが開かれて世界中からトラベラーがやってくるらしいという話を教えてくれたのもタツヤさんだ。当時「太陽と風のダンス」を読んで皆既日食やレイヴに強烈な憧れを抱いていた私は、その話を聞いて2009年は何があっても必ず皆既日食を見に行こうと決めた。結果的にパーティー会場は屋久島ではなく奄美大島になったが、2009年、無事休みを取得した私は奄美大島で開かれた皆既日食パーティーに参加することができた。これも一生忘れない最高の思い出だ。

 そんなタツヤさんとは遠く中東のシリアで別れて以来、地球の裏側のパラグアイで5ヵ月半ぶりの奇跡の再会である。長期旅行をしている人は大体同じルートを辿るので、一度別れた人でも偶然再び出会うことはしばしばある。シリアのダマスカスで別れた人と、隣国ヨルダンのアンマンの安宿で再会するようなケースだ。しかしタツヤさんと私の場合はシリアのダマスカスで2005年9月に別れて、彼はそのまま旅を続けて2006年2月に全く偶然にパラグアイで再会である。その間私はシリアからパリまで旅をして9月末に帰国、東京で大学に通って卒業旅行で南米大陸へ渡った。タツヤさんはシリアからレバノン、ヨーロッパを経て南米大陸に渡り、ブエノスアイレスでのニアミスを経て、奇跡的にパラグアイで再会することが出来た。旅には偶然が付き物だが、この再会は私が経験した中で最もインパクトが大きな偶然である。

 写真の中にアスンシオンのサッカークラブ、セロ・ポルテーニョの青赤のシャツが映っている。2001年に日本人の廣山選手がプレーしていたことでも有名な人気クラブだ。この時の私は金銭的に余裕が無くてユニフォームを買うことが出来なかったが、今後の人生の中でも行く機会がそうそう無いであろうアスンシオンの思い出という意味でも、無理して買って帰れば良かったと後悔したことを覚えている。旅先で少しでも欲しいと思ったものは無理してでも必ず買うべきと考えるようになったきっかけの一つが、このセロ・ポルテーニョのユニフォームである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?