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コンサドーレ札幌 ユニフォームの歴史(1998年)

◆はじめに
 1997年、JFLで輝かしい戦績を残したコンサドーレ札幌は念願のJリーグ昇格を果たした。札幌の歴代ユニフォーム考察、今回は記念すべき1998年のユニフォームについて取り上げたい。ユニフォームサプライヤーは前身の東芝時代から継続のプーマ、デザインは前年と同様である一方で、後述するようにユニフォームが決定するまでには紆余曲折があったと思われる。

◆1stユニフォーム
 1997年のユニフォームをそのままにスポンサーロゴを変更している。胸スポンサーが「HUDSON」から「白い恋人」へ、左袖は「白い恋人」の代わりに「JAL GROUP」が入った。背中の「サッポロビール」は変更なし。1996年のクラブ創設から続いた「HUDSON」でなく「白い恋人」と日本語のスポンサー名で、しかもクラブカラーと全く関係がない水色の背景が大きく入ることに対しては個人的には違和感が大きかったというか、率直に言えば格好悪いなと当時感じたというのが正直なところだ。
 尚、「白い恋人」のデザインは左袖に入っていた1997年のそれと少し異なる点も記しておきたい。1997年は文字の背景がより青っぽいこと、白い枠線が入っていることが特徴で、1998年よりもユニフォームに対して浮いていない。
 ユニフォームそのものについては1997年と全く同じと思われる。まず目に付くのは肩から袖にかけてのプーマのラインテープである。1998年当時、Jリーグでプーマをサプライヤーとしていたクラブは他に浦和、横浜F、清水、磐田であったが、近年見られる同じテンプレートの色違いのようなことはなく、それぞれ個性的なユニフォームを誇っていた。浦和や横浜Fのように透かしが入った凝ったデザインに比べると札幌はシンプルとも言えるし、テンプレートの使いまわしと言えなくもないが、Jリーグでは札幌が唯一このプーマのラインテープを使っている。その他国内サッカー界では1997年の静岡県高校選抜のユニフォームを思い出すことができる。(浮き球を右足でトラップしてそのまま右足でループシュートを決めた小野伸二のアレだ)

 このラインテープのプーマロゴの色はブルーグレイであること、白地のサイドに配置された色はシャツは黒、パンツは赤と塗り分けられていることにも着目したい。そしてこのユニフォームを最も特徴づけているのは襟及び長袖袖口リブのブルーグレイ、白、赤のトリコロールではないだろうか。襟を多色使いする場合は白地にそれぞれの色のラインをあしらうユニフォームが一般的だが、大胆に3色を塗り分けたデザインはJリーグでもかなり珍しいと言えるだろう。
 前身の東芝時代を踏襲した1996年のクラシックなユニフォームは今見ても大変に魅力的だが、1997年当時、このブルーグレイを含むトリコロールやプーマのラインテープを使った新しいユニフォームは札幌というクラブの進化、新しい時代の始まりをはっきりと感じさせてくれたことを覚えている。デリー・バルデスやウーゴ・マラドーナのような実績ある外国籍選手の獲得とJFLシーズン開幕前にJリーグ準会員として参加したナビスコ杯での躍進、そして新しいユニフォームによって強い札幌の始まりを感じたと言っても過言ではない。
 当時のレプリカユニフォームを入手して2023年になって改めて確認すると、大きすぎずタイトすぎないシャツのサイズ感や生地の厚さは1996年のレプリカユニフォームと同様で、サッカーシャツの全盛期である1990年代のユニフォームそのものである。また、赤黒の発色の良さとプーマのラインテープ、襟のトリコロールが札幌のユニフォームとしてはいい意味で派手であり、それでいて絶妙なバランスを保っている稀有なユニフォームとも言える。

シーズン後半のペレイラは出番が減ったが、髭を生やして見た目がシブくなった。
長袖シャツの格好良さを引き立てている
黄川田。パンツのプーマのラインテープの配色が印象的
田渕。帯広で行われたプレシーズンマッチでの写真である。
W杯中断中に横浜マリノスを迎えて行われたこの試合が、現時点で帯広での最後の試合となった。
観客数8,032人
神戸ー札幌

◆2ndユニフォーム
 1stユニフォームと同じテンプレートで、肩から袖のラインテープや、襟と長袖の袖口リブのトリコロールが印象的なデザインである。カッパ時代以降の2ndシャツにありがちな面白みがない、または何かが足りない、ズレているデザインと比べれば断然こちらが好みではあるが、黒が入っていないからかどこか締まりがないようにも思える。その点1996年の2ndユニフォームは白地に対する赤黒のアクセントのバランスが絶妙である。
 1997年の胸スポンサー「HUDSON」は黄色ベースのロゴであったため、2ndシャツの白地のシャツでは締まりのなさがやや感じられたが、1998年の「白い恋人」は全体のバランスが少し良くなったのではないかと感じる。「白い恋人」のロゴデザインの是非は置いておくとして。
 1996年、1997年同様に背中の「サッポロビール」の文字の色は1stシャツでは白、2ndシャツでは赤と色を変えている。安易に下地を設けずにユニフォームの色に合わせロゴの色を変えていた時代だ。

バウテル。とにかく襟と袖口のトリコロールが良いアクセントとなっている
ストイコビッチとマッチアップするウーゴ・マラドーナ。
近年ずっとパッとしない2ndシャツはこのデザインをリメイクしても良いのでは
梶野。無骨なプレーが魅力的だった
背中のサッポロビールロゴは1996年以降、2ndシャツは一貫して赤い文字だ


・サプライヤー :プーマ
・エンブレム  :有り、ワッペン刺繍
・胸スポンサー :白い恋人
・袖スポンサー :JAL GROUP(左袖、ワッペン刺繍)
・背スポンサー :サッポロビール
・右袖     :2002年W杯招致ワッペンとJリーグワッペン
・襟      :内側からブルーグレイ、白、赤
・袖のリブ   :内側からブルーグレイ、白、赤
・肩のライン  :白地にブルーグレイのプーママーク、両サイドに赤
・パンツ    :白
・パンツのライン:白地にブルーグレイのプーママーク、両サイドに赤
・ソックス   :白
・赤黒縦縞   :赤5本×黒4本(赤×黒×赤×黒×赤×黒×赤×黒×赤)+脇下黒

◆レプリカユニフォーム
 
半袖レプリカユニフォームが12,000円(税別)で発売された。知る限りではレプリカユニフォームと選手が実際に着用したモデルは相違ないように見える。
 ここで記しておきたいのは、札幌のレプリカユニフォームでスポンサーロゴが入ったのはこの1998年が初めてだったという事実だ。1996年、1997年は胸に白抜きで「Consadole Sapporo」とクラブロゴが入っているのみで、スポンサーロゴは一切入っていなかった。 「選手と同じユニフォームを着たい」という要望が多かったと聞くが、これは1996年までJリーグ全クラブがミズノのユニフォームに統一されていた時代、各クラブのレプリカユニフォームはスポンサーロゴを排していたことと関連しているのではと想像する。この影響もあってか1996年、1997年の「HUDSON」ロゴが入ったユニフォームはメルカリやヤフオク!でもほとんど見かけることが出来ない。市場に出回っていないのである。
 

メルカリやヤフオク!で手に入れやすい
赤黒縦縞に対する白抜きのサッポロビールロゴを見ると、1999年のユニフォームのスポンサーロゴもこの通りで良かったのでは?と思ってしまう

◆1998年の札幌のユニフォームは当初リーボックに決定していた?
 20年以上前の話だが、1998年の札幌のユニフォームのサプライヤーは実はリーボックに決定していて、選手名鑑用の写真もリーボックのユニフォームで撮影したのに何らかの理由でキャンセルとなり、プーマに戻ったという噂を聞いたことがある。更に1998年か1999年かは記憶が定かではないが、胸スポンサーはACミランと同じOPELが入るはずだった(もしかしたらHYUNDAIだったかもしれない)という話も聞いたことがある。確かに聞いた記憶があるのだが、インターネットで検索しても全く出てこず、真相が気になるところだ。

 1998年のキャンプは当時のウーゴ・フェルナンデス監督の地元であるメキシコで実施された。キャンプ中にはデリー・バルデスの地元、パナマにてパナマリーグ・オールスターズと親善試合を行っている。写真を見る限り、試合は満員のスタジアムで開催され、日本では決して味わうことができない、まさに国際試合と呼べる雰囲気であることがうかがえる。
 そしてこの試合で着用された札幌のユニフォームは1997年及び1998年のユニフォームに似ているが、細部が大きく異なっていることに注目したい。まずは本来の札幌のユニフォーム同様に肩にプーマのラインテープが入っており、どう見てもプーマのシャツなのに胸にプーマのロゴが入っていないこと。そしてユニフォームのテンプレートは本来の札幌のユニフォームに似ているのに襟が黒一色である。胸スポンサーはおそらくパナマの企業のロゴマークが入っており、このデリー・バルデスが着用している写真を見ると、背景の様子含めて日本のサッカークラブのユニフォームとは思えないような異国情緒溢れるものになっており、大変興味深い。

パナマリーグ・オールスターズとの試合で着用したユニフォームはリーグ戦着用版と異なる。襟が黒一色、胸のプーマロゴがない、胸のスポンサーロゴが現地の企業と、完全にスペシャル仕様だ


 一方で選手名鑑の写真については、Jリーグ全体で見ると札幌だけが選手の顔が極端にアップになっており、ユニフォームのメーカーや全体のデザインが分からないようにトリミングされている。更に本来はその年のユニフォームで撮影されるはずのチーム全体の集合写真は、プーマの練習着着用というイレギュラーな形で撮影されている。選手名鑑の写真撮影時に着用しているユニフォームがリーボックだったかは不明だが、少なくとも1998年シーズンに実際に着用されたユニフォームとは全く異なる。パナマリーグ選抜との試合のイレギュラーなユニフォームや選手名鑑や集合写真から、この年のサプライヤーがすんなりプーマに決まらなかったことは想像に難くない。Jリーグの歴史上、お蔵入りになったユニフォームを着て選手名鑑の写真を撮影したクラブを1998年の札幌以外に私は知らない。

本来その年のユニフォームを着るはずの集合写真ではプーマの練習着を着用している
村田。明らかに見たことがないデザインのユニフォームを着ている。

 1998年のコンサドーレ札幌オフィシャルガイドブックでは選手名鑑の写真はユニフォームが分からないよう巧妙にトリミングされているが、ここで諦めてはいけない。「北海道コンサドーレ札幌20年史」に掲載されている歴代の選手名鑑を丁寧に見ていくと、後藤義一や木山隆之、ペレイラは1998年の写真が使われている。ここにヒントが隠されている。ペレイラの写真だけ若干トリミングが甘いのか、胸スポンサーのロゴが少しだけ見える。明らかに白い恋人ではなく、また、前年のハドソンでもない。白抜きで円のようなデザインが見える。

謎のユニフォームに謎のスポンサーロゴ、奇跡の一枚だ。

 前述のOPELまたはHYUNDAIではと改めて確認すると、OPELのように見えるのは私だけだろうか。(下記はOPELとHYUNDAIのスポンサーロゴ着用例)

 真相は謎のままだが、あれから25年が経過した今も、日本でリーボックのユニフォームを採用したクラブは未だに一つもない。

◆オフィシャルグッズ
 1998年は60点以上のグッズが登場したという。コンサドーレマガジンvol.29では1996年~1998年に発売された全オフィシャルグッズを紹介している。1998年のグッズ紹介文には「コンサドーレのロゴがアレンジされているので、"いかにも"というデザインではない」「ロゴがアレンジされているのでコンサドーレグッズとは思えないカジュアルなデザイン。普段着としてどんどん使える」などのコメントが多く記されている。
 こうした「"いかにも"でない」「普段使いできる」「サッカークラブのグッズと思えない」のようなアピールは近年のJリーググッズでも頻繁に見かけるのだが、1998年時点でもやはり同じような考えがあったことがよく分かる。個人的にはサッカーグッズとは思えないような服を着て何の意味があるのか、せっかく着るのなら札幌であることを全開でアピールしてこそファンなのでは、と思ったりするのだが。それはそれとして、1998年のそうしたグッズは今見ると案外良いものも多い。Tシャツやキャップ等だけでなく、特にエンブレムが小紋柄であしらわれたネクタイはとても良い。ネイビー、黄色、えんじ色、からし色の三色展開はどれも魅力的だ。

2023年現在の感覚ではトレーナーは案外良いのでは

◆日本語の胸スポンサーロゴについて
 1998年当時のJリーグ各クラブは他にヴィッセル神戸が「伊藤ハム」と京都パープルサンガの「京セラ」の2クラブで日本語の胸スポンサーロゴを掲げていた。私の記憶が正しければ1996年の京都の「京セラ」から日本語の胸スポンサーロゴが解禁された。1993年~1996年の全クラブミズノ時代はスポンサーロゴを含めてユニフォームのデザインが決定されていたと聞く。2000年代以降のようにスポンサーロゴを目立たせる為の下地はなく、ユニフォームとスポンサーロゴが調和していたし、Jリーグ各クラブのユニフォームに日本語が入ることは無かった。デザインを決定する側に日本語のロゴがユニフォームに入っているのは格好悪いという意識があったのではと想像する。そうしたある意味での美意識(胸スポンサーに日本語ロゴを用いない、スポンサーロゴを目立たせるための下地は作らない)はJFLからのJリーグ昇格クラブから徐々に崩れていき、1998年の札幌の「白い恋人」で本格的に無くなったのではと想像する。
 実際に札幌も参加することになった1999年のJ2リーグでは10チーム中、札幌を含む4チームの胸スポンサーロゴが日本語である。山形は「はえぬき」、仙台は「カニトップ」と見た目の格好良さを完全に放棄しているユニフォームを見ては当時仰天したとともに、時代の大きな変化を感じたものだ。

◆1998年観戦試合
1.2ndステージ第15節:11月3日(火)14時 札幌3-0神戸 厚別競技場
 ※ホームゴール裏

◆写真の出典
コンサドーレマガジンvol.22~vol.29、コンサドーレ札幌オフィシャル・ガイドブック1998、北海道コンサドーレ札幌20年史、自ら撮影

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