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ブエノスアイレス8日目 2006/2/17(金) ウルグアイ モンテビデオから戻る

 ブエノスアイレス滞在8日目に書いていた日記である。この日もウルグアイショートトリップ中。コロニアからモンテビデオへ移動し、夜にフェリーでブエノスアイレスに戻った。

 今日は9時半起き、8時半くらいには目覚めていたけどダラダラ過ごす。ドミトリーだと他人がいるからちゃんと目覚めるのだけは良いな。9時50分にユースを発ち、10時半頃にモンテビデオ行きのバスが出発。すぐに田舎の景色になる。牛が沢山いるし北海道に似ている感じがする。バスは途中までは空席だらけだったものの、途中の田舎の停留所からいきなり満席に。そして寝て起きたらモンテビデオだった。

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 12時50分にバスターミナル着。セントロまでは3kmあるのでコレクティーボに乗る。どうにか自力で乗車し、セントロのカガンチャ広場で降りた。この辺が繁華街らしいのだが、正直洗練された雰囲気とは程遠い。雑然とした感じで、ブエノスアイレスと比べると街行く人もオシャレではない。ブエノスアイレスではほとんど見なかった黒人系の人が結構いる。

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 とりあえず独立広場に向かい、そこから旧市街へ。危険と言われているが観光客が多いのでそこまで危険は感じない。とはいえ住んでいる人は貧しそうに見える。ごみ回収は馬でやっている。歩いていたらいきなり地元の人にハポン?と話し掛けられた。その若者はヒロシマ、ナガサキがどうのこうのでアメリカを批判しているようだ。なので念のためノーアメリカと言って同意しておいた。

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 引き続き歩いていたら市場発見。観光客で賑わいまくっている。アメリカ人っぽい人が多い。適当に歩いてカウンターのみのアサード屋へ。横には船員風の中国系の男達がいる。アサードとセルベッサ(ピルセン)を頼む。すると2本のアサードが出てきた。牛肉の丸焼きって感じでかなり豪快な見た目だ。店員も皆無骨だし、ビールの勢いも手伝って自分も無骨な男という気分になってきた。見た目もボリュームも男の食事という感じでかなり良かった。

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 その後は独立広場まで歩いて所要時間を確認。所要時間と地図上の距離から計算してフェリー乗り場までタクシーで行くか徒歩で行くか考え、徒歩で行くことにした。そしてまた旧市街へリターン。市場で置物の土産を買ってまたブラブラする。サッカー日本代表のユニフォームを着た男を発見。ちなみにブエノスアイレスのボンボネーラの横でも日本代表シャツを着た人を見た。ウルグアイやアルゼンチンのようなサッカー大国で見ると嬉しいな。モンテビデオでは日の丸が付いた日本モチーフのTシャツを着た人も2人見かけた。

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 新市街へ。途中スプライト600mlを買ったら18ペソ(0.7USドル)もした。なんかアルゼンチンより物価が高い気がする。マクドナルドもハンバーガーセットで2.5USドルもする。新市街で土産屋に行った。ペニャロールとナシオナルのグッズがそこら中で売られていた。何かサッカーグッズを買いたかったが金がリアルになくて断念。モンテビデオですごいのはマテ茶の普及率だ。2分に1人の割合でマテセット(魔法瓶とマテ茶容器)を持って歩いている男とすれ違う。片手にマテ茶容器、脇に魔法瓶を抱えて歩く姿は失礼だがアホっぽく見えて笑える。どれだけ好きなんだ。そしてなんかみんな田舎っぽい雰囲気というのがモンテビデオの感想だ。

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 夕方マクドナルドで夕飯。目の前の公園の所にはお香とかハンドメイド小物を売るアーティスト達がいる。みんな野人系で面白い。髪型はボンバーかロン毛、ヒゲが基本、そして上半身裸の人もいれば裸足の人もいる。ブエノスアイレスでもアーティスト系はヒゲがすごい印象だ。

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 19時頃フェリー乗り場へ。まだ日があって良かった。それでも道中地元の人しかいなくて少し怖かったな。やはり治安は良くないのだろうな。フェリーのチェックイン、カスタムはまたもウルグアイとブエノスアイレスが隣同士で並んでいる。ウルグアイ出国→アルゼンチン入国が同じテーブルで行える。そして待合室に行くと、掃除のおばちゃんがハポン?と話し掛けてきた。どうやら日本からの船が来るようだ。スペイン語で色々話してくれる。「アナタ、フネ」と日本語の単語も出てくる。日本の船がよく来ること、日の丸の配色とか靴を脱ぐことも知っているようだ。掃除をせずにずっと船を見ている。その後もおばちゃんは他の人に話し掛けたりして全く掃除をしていない。船を見ている姿はどことなく哀愁が漂っている。このおばちゃんは家では一人なんじゃないか、だからここで人と話したりしているんじゃないかなんて思って勝手に切なくなった。おばちゃん、お元気で!と思いつつ日記を書いていたらまたこっちに来て、あの船はハポンの船じゃなかった、イギリスの船だったよとのこと。言葉はあまり通じていないが心は通じている感じがするおばちゃんだ。なぜかこれからは親孝行しないとなと思った。現在20時50分。

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 現在ウルグアイ時間で24時17分、そろそろブエノスアイレスに着くはずだ。船ではずっとトレインスポッティングを読んでいる。本当に面白いな。昨日から読み始めてもう230ページくらい読み進んだ。船に乗る前にお掃除おばちゃんに挨拶しないで行ってしまってへこんだ。挨拶してすっきり別れたかったな。旅は出会いと別れの繰り返しなので別れはきちんとしたい。旅での別れは一生の別れと言っても過言ではないからな。ウルグアイはあっという間すぎて印象があまりない。悪いところではなさそうだけどもう来ることはないかもしれない。

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 これからブエノスアイレスに戻ることを考えると、我が家に帰るかのような気分になってくる。宿には自分の部屋があり、隣の部屋には知り合いがいる。地下鉄の乗り方は知っているし、スーパーの場所も知っている。くつろげる公園も!いいなーブエノス、最高の街だ。23時50分、ブエノスアイレス到着!やっぱりホームに帰ってきた気分だ。見慣れた景色を歩いて宿に戻り、24時40分頃に到着。

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 宿の隣の部屋の韓国人女性、ソンさんの部屋でソンさんとヒデさん(一昨日の夜に飲んだ隣人)が飲んでいて呼ばれたので参加した。その後もう一人の韓国人、ソフィーも登場して4人で飲んだ。俺以外の3人は英語が上手い。なぜここまで話せるのかとすら思う。ソンさんは日本人のカタカナ英語が面白いらしく、俺にいつも発音を求めてくる。そしてそれを聞いて笑い転げる。ソフィーは日本語も話せる。スペイン語も少し分かるらしいしすごいな。ソンさんは日本の本をいくつか持っている。高橋歩のLOVE&PEACEを持っていて驚いた。韓国の旅行者の間で人気らしい。村上龍の69も持ってきている。韓国語の地球の歩き方はなぜか日本と違って南米12か国版がある!長期旅行にはいいな。韓国でも「地球の迷い方」と呼ばれているのは笑った。ソフィーは日本のガイドブックの翻訳版だと知っているようだ。韓国ではよしもとばななと江國香織が同じ訳者なのでテイストが同じになっていると怒っていた。面白い話だ。ヨン様は韓国では人気がないこと、韓流スターが日本人のオバさんに人気なのに困惑していると教えてくれた。ピースサインはアルゼンチンではペロニスタのことを指すらしい。あとは日本語の「あげる(give)」と「~してあげる」の違いが難しいとソフィーが言っていたな。途中でアメリカ人のおじさんが登場しつつ翌朝4時30分まで話した。そして5時に寝た。

 日記にはウルグアイに対してあまり印象が無いと書いているが、食べるだけで自分が無骨になれた気がしたアサードのことは今も鮮明に覚えているし、マテ茶セットを持って歩く人々のこともはっきり覚えている。アサードはブエノスアイレスを再訪する度に必ず食べる。マテもアルゼンチンに行く度にマテの葉と容器を買って帰り日本で飲むようにしている。この時のウルグアイで感じたインパクトはその後も自分にもずっと残っており、貴重な1泊2日の滞在だった。なおウルグアイに関しては、それから11年後に仕事でウルグアイの企業と取引があり、直属の上司はモンテビデオへ出張。不思議な縁を感じた。その後すぐに転職したが、そのまま働いていたら私にもウルグアイ出張のチャンスがあったかもしれない。
 一方深夜に戻ったブエノスアイレスに対しては早くもホームのような感覚を抱いている。この晩宿の隣人である日本人ヒデさん、韓国人のソン、ソフィーの4人で朝まで飲んだが、その後も毎晩4人で集まり朝まで色んな話をした。彼らとの出会いはブエノスアイレスでの滞在のハイライトの一つである。

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