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Not music but music, so strange but pop

マチューナス最後の作品は1977年のFlux Cabinetであるとされている。それはフルクサスに賛同した各アーティストの作品群をアンソロジー化したいというマチューナスの願望の集大成とも言える作品だ。一般的に、販売のためにマチューナスに譲渡された一連の作品やパフォーマンスを指してフルクサスという。そのフルクサスの集合体としてのあり方は興味深い。マチューナスは芸術共同体とクリエイターの創造性を訴えた。しかしコミュニティーはマチューナスが守る対象であったはずのクリエイター達によるフリーライドが結果として意義を薄めていく。それでも集合体は存在し続けた。

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フリーライド故のある種の不真面目さやレディメイドと偶然の交差の面白さをマチューナスは作品として昇華し、次々とフルクサス作品として発表した。その最後にFlux Cabinetが披露されたことは、作品のシンプルな外観とフルクサス後期の活動状況やマチューナス自身が抱えた所在のなさも相まって少々シニカルに思えてならない。加えて、以降蔓延していたと思われるシニカルな文化を予言したかのようにも思えてならない。

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ハーフキャビネットに詰め込まれた不均一でランダムな事象。一見するとそれらはハッシュタグの元に集約された作品群とも印象面で類似するが、それ以上に集合意識を感じる要素がある。その違いは何なのか。フルクサスにおける集合とは何なのか。マチューナスは芸術共同体とクリエイターの創造性を訴えた。しかしコミュニティーはマチューナスが守る対象であったはずのクリエイター達によるフリーライドにより意義が薄れていった。結果、何が残ったか。少なくとも作品群は残った。この点に敬意を表したい。

“I do believe that Fluxus not only survived George, but now that it is finally free to be Fluxus, it is becoming that something/nothing with which George should be happy.” — Ben Patterson