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Not music but music, so strange but pop

ペレアスとメリザンド。メーテルリンクとドビュッシー。関係は必ずしも良好的とは言えない。しかし、それであっても流麗な旋律は物語が紡ぐ悲劇を一層感情豊かに膨らませることに成功している。しかし「今は小声で話さないといけない」。だからこそ通奏のあわいを縫って時に溢れ出る起伏は我々を十分に揺さぶるのだ。今でも!

さて、このあわいというのはなぜ我々を揺さぶるのか。杉本博司の”Theaters”は、あらゆる映画のはじまりから終わりまでを劇場で長時間露出によって撮影した作品だ。そこには物語が映し出されているはずだが、撮影されたスクリーンはどれもただ白く何も映ってはいない。見えない物語のあわいを保った旋律が白いスクリーンを通じて我々を揺さぶる。それはあわいに対する一つの答えではないかと思う。

ペレアスとメリザンドに戻ろう。最終章、第5幕の静かなるメリザンド。確かにペレアスとの関係に過ちはなかったと語る静謐。全てが終わる時、静かにシャッターが閉じられる。現像された物語は真っ白だ。しかしそこにはあわいが映し出されている。今でも!

“Gone without saying a word more!” — Debussy