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おはようございます!

前回の記事で自分が変わるきっかけがあったというお話をしました。
今回はせっかくなので小学生時代から順に思い出しながら書いていきます。

小学生

基本的に明るく人懐っこい性格だった記憶がある。
スポーツが大好きで剣道以外にラクロスやドッジボール、マラソンなどに積極的に取り組んだ。6年間リレーの選手。

友達の影響で剣道を始める。
個人で結果を出していくスポーツが合っていたようで地区大会では毎回入賞させてもらっていた。都大会出場の常連でもあった。
剣道を始めたことにより、のちに自分を作り上げていく大きなきっかけとなる。

後半にいじめられる。
行事では率先して動くタイプで、いわゆる目立ちたがり屋だった。
小学校後半からクラスの1部にいじめられて性格がどんどん内向的になっていく。
隣のクラスに幼馴染がいたため、修学旅行なども基本的に隣のクラスへ逃げていた。
後半からクラス替えが無かったため地獄だった。

中学生

ひたすら剣道に励んでいた。まあまあ強豪の剣道部に入部。
剣道部の朝練は汗臭くなるのが嫌でサボっていたが、毎週朝礼で剣道の表彰があったため剣道部のチビでなんとなくみんなに認知してもらっていた(らしい)

おしゃれに目覚めるのが少し早く、中二の段階でアイプチをしたりエクステをつけていた。このことで先輩に目をつけられて色々と大変だった。

お年頃あるあるなのか、いじめがシフト制みたいな感じで回ってきた。
一瞬いじめられるが小学校の時と比べると全然余裕でなんとも無かった記憶。

中三くらいから家庭環境が激悪になり、私立には行かせられないとのことで方向転換して一生懸命勉強する。剣道受験も選択肢としてあったが、髪の毛をベリーショートにしなくては行けなくて断念。ギリギリまで悩んで志望校の変更。都立受験は無事に合格した。

高校生

都立高校の特別進学クラスに入学。特進は3年間クラス替えがないと知って地獄。
他のクラスが行事などの準備をしている中でひたすら勉強する雰囲気。完全にミスった。

クラスの中で自分と同じような考えを持っている子を見つけて一安心。
このおかげで行事にも積極的に参加できるようになった。

学校内で自分のクラスが完全に孤立していたことが嫌だったので、これを打開するために他のクラスと積極的にコミュニケーションをとって、とにかく友達を作った。

剣道部はほとんど活動が無かったので、軽音部の子とバンドを結成したのも高校生。

家庭環境はとにかく最悪。
高1の夏休み明けに両親の離婚が決まって苗字がいきなり変わる。
「新しい苗字は慣れないから下の名前で呼んでもらったらいいよ!」と友達がみんなに友達に呼びかけてくれた。昔から友達には恵まれていたのでありがたかった。
歳の離れた妹もいたし、片親で経済的にかなり苦しかったのでバイトをいくつも掛け持ちした。友達に支えられてなんとか乗り切った3年間だった。

経済的なことを考えてギリギリまで進路に悩んだ。
奨学金制度を使っての進学を決断。
進路が決まったのはみんなが卒業した後の3月中旬。運だけはいつもいい。

大学生

いわゆるお嬢様学校だとは知っていたが完全にミスった!
ランチはオーガニックがいいって何事!?サイゼがいい!とも言えずになんとなーく日々を過ごす。こんなんだったら音楽の専門学校に入学したらよかったのかなと後悔。

入学してからバイト三昧だった自分は卒業間際に卒論の存在をすっかり忘れていた。
当時ももいろクローバーZのサークルに参加していたのだが、その友達たちが力になってくれた。友達最高!

入学してからなかなか馴染めずにいたが、その子たちのおかげで何とか卒業できた。
入学目的がふわっとしていたため、完全に奨学金の無駄遣いだったかも。親のお金じゃなくてよかった。

(家庭環境はさらに最悪。初めて家庭裁判所にいった。)

結局やりたいこともなく、途方にくれていたタイミングで知り合いから声をかけてもらって地下アイドルという世界を知る。ももいろクローバーZといつか一緒に仕事がしたいという夢ができて就活をせずにフリーターをしながら、ゆるめるモ!に加入。

ゆるめるモ!

結果的に自分が変わる大きなきっかけはここからだった。
ももクロちゃんとの共演も叶えられることができたし、凝り固まった性格も徐々に変えることができた。

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このマガジンでは、アイドル出身者が中小企業の事業承継を担うことで、二つの重要な社会問題を解決する様子を共有します。 ①日本の中小企業では…