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「非転向」へとつながる「小さい路地」は見つかったか?――小峰ひずみ『平成転向論』書評(吉永剛志)

1 『平成転向論』の概要

 この本には小峰の20代が刻印されている。本の副題は、「SEALDs 鷲田清一 谷川雁」となっている。このブログの読者には、理解できない並びかもしれない。それはこういうことだ。著者は、大学4回生の頃、2015年の安保法制反対のSEALDsのデモを一参加者として経験した。そして鷲田がつくった大阪大学の臨床哲学科に著者は在籍していた。そうであるからこそ、短期に終わったSEALDs――それを小峰は「失敗」と呼び「転向」があったという――に対し、鷲田の「臨床」哲学に突破口がないかと思考し、その延長線上で谷川雁を見出した。これがこの本の筋立てだ。ではこれから、鷲田、谷川といった固有名詞のみならず、その内容を説明していこう。
 小峰の考えでは、SEALDsの特質とは、メンバーが、「日常」にこだわり、「自分語り」から話を始めたことにある。例えばこういう感じだ。まず、自分が「普通の人」で「今までデモに出るなんて考えもしなかった」ことを強調した後、「自分は日常において〇〇な経験をしたことがある。そしてたまたま、この安保法制反対の運動に関わることとなった。私にとっては偶然だが、もしかすると、今までの経験から導かれた必然かもしれない・・・」と続ける。
 言いたいのは、つまり、SEALDsは現状分析から行動・方針の提起といった「政治の言葉」をまずは語らなかったことだ。それは共感を呼ばない。そもそも「共通の政治の言語」が失われている。だからこの自分語り=自らの日常の体験、が重要な意味を持つ。小峰によれば、それは、自分及び、自らが呼びかけている他者の「日常」と「政治」が乖離し、全く無関係に見えるという感覚を、なんとかしてつなげようという意識的な模索だ。
 この「日常の言葉で語る」ということは、鷲田も1998年大阪大学で開始した「臨床哲学」で強調していた。鷲田の念頭にあるのはソクラテスだ。鷲田は学生に、過去の哲学者の言葉を引用して上から語るな、対面している他者との対話で言葉をつむぎだし、他者の言葉の「産婆」(ソクラテス)となれ、という教えを授ける。そして学生に大学の外の場に押しかけていけとけしかける。学生は苦労する。「あなたは何のプロとしてここにいるのですか」と病院の職場会議(?)で看護師にいわれ、途方に暮れたエピソードが特権的に語られる。しかしこのような試みの一つである哲学カフェでは、ある種の人間関係のオルテナティヴが創り出されるようだ。SEALDsはそういう「共同性」を意図的に作らなかった。建前上では、あるイシューに人がパッと集まり、そしてイシューが終わればパッと人が散っていくという時限的な「プロジェクト」だ。そういうのがかっこいいとされていた。しかしこれには限界があるのではないか?言葉の、声の、つむぎあいによる共同性は大事なのではないか?と小峰は考える。
 しかし共同性の強調だけだと単なる居場所づくりとなる。むろん居場所づくりも大事だ。が、SEALDsが持とうとして持てなかったと小峰が考える政治性とは直接的には関係がない。SEALDsは日常の言葉から始めたが、結局、日常をこえる「政治性」をもちえなかった。だから、それぞれの日常に必然的に回帰していった。だから今なにも運動はない。「転向」した。そこがダメだ、と小峰は言う。
 ここで谷川雁が召喚される。日常において、日常の言葉に負荷をかけ、政治性を帯びさせ、新しい言葉を作り出そうとしたオルガナイザーとしての谷川だ。谷川はその役割をかつて「工作者」と言った。なぜSEALDsはそれをやらなかったのか?「SEALDsはある困難を見ていながら、それに立ち向かうことはなかった」(小峰)。運動にはオーガナイズが、そしてオーガナイズのためのそれぞれの創造的な「語り口」が必要なのだ。小峰による谷川雁の再発見だ。
 小峰は、そう結論に達し、それを「オルガナイザー」と呼ばず「エッセイスト」と呼ぶ。鷲田清一の言葉だ。エッセイストは、他人とコミュニケーションするさい、他人を思想的に獲得しようなどとせず、他人に自分の行動の目標と方策を率直に公開し、行動の刺激を与える。
 そして小峰はエッセイストたらんとする。それが、この本の結論だ。小峰の今後に期待する。谷川雁はかつてこういった。「そこでその、おれたちに感心したといいよる奴は、いったい何ばしとるとか」。

2 「疑似快楽」と杉田俊介『フリーターにとって自由とは何か』

 小峰も言及している「大正行動隊」とは、谷川雁が、1960年ごろ九州の大正炭坑で「工作」したものだ。大正労働組合の中でもっとも先鋭な集団だった。当時石炭から石油への構造転換がすすみ、炭坑は斜陽産業だった。その中でも大正炭坑は、銀行も見放したひどいところで賃金未払いが常態化していた。争議が巻き起こる。大正行動隊の組織原則は、従来の党、組合の諸原則と思想に縛られない個人の主体性を尊重した自由連合だった。大正行動隊はそれまでの労組の組織論から突出した運動を展開した。さらに谷川はその傍ら、「サークル村」という文芸誌を筑豊から北九州をカバーする文芸運動体として展開した。
 谷川雁と共に1961年に同人誌『試行』を創刊した吉本隆明は、大正行動隊を独特な仕方で評価する。吉本は炭坑が劣悪な条件下で働く日雇いの「悲惨な」「弱い立場の」非正規労働者の場所だ、という一般的な理解を否定する。それどころか「炭鉱地帯はおそらく最後までこの世の快楽を味わえるところではないか」とまで言う。そして大正行動隊は「快楽」がわかっている。だから闘争ができるんだ、とまとめる。「炭鉱労働者は、別に働く必要も、闘う必要もないかもしれないが、次第に追い詰められる快楽と娯楽の機会だけは、盃をなめるように味わうべきだ」。「快楽がなお生き生きと存在しているところにしか権力との戦いは存在しない。疑似快楽のあるところは疑似闘争があるだけだ」。
 なかなかおもしろいことを言っている。
 小峰はSEALDsを、「下層階級」を巻き込んだ大衆運動ではなく、「意識が高い」人間の運動でしかなかったと批判する。つまり、「プチ・ブルジョワ的傾向」(小峰)があった。「2015年、私たちはアンダークラスとの連帯を放棄したのだ」という言葉が『平成転向論』の最後の文だ。
 小峰が言いたいことは分かる。確かに、2011年3・11原発事故以降の運動は「市民」運動だ。「市民」とは、良くも悪くもアッパーミドルを無意識的に標準としている。もっとも、街頭に出て中心的に活動していた人たちは別に「アッパーミドル」ではなく、収入的には「アンダークラス」のフリーランスの人が多かった。が、メディアへの発信的には、「市民」として「市民」に訴えた。要は、低収入の「労働者」がモデルではない。そうしないと、誰にも訴えが聞かれないのではないかという危機感があった。そういうイデオロギーに支配されている社会だ。だから逆手にあえてとった発信をする。そういう認識があった。しかしこの発想ではダメだ、限界がある、と小峰は言う。
 その通りだ。
 しかし小峰の言う「アンダークラス」との連帯とは何だろう?真面目に考えだすと難しい。小峰は谷川雁をモデルとしている。では、現代に「大正行動隊」を別の形で甦らす、「工作」すべきだということか?そうだとすれば、しかし小峰にも、キツイ言い方をするが、吉本の言葉で言えば、もはや「疑似快楽」しかもちえない人間の「疑似闘争」のイメージしかないように思える。少なくとも谷川や吉本とは全く読後感が違う。
 それが今の時代だと言えば時代だ、といえる。今、どこに「快楽を、盃をなめるように味わう」機会があるのか?
 吉本の文を通俗的に言い換えてみよう。階級差別を受ける(こともある)「地の底」の「ゲットー」の炭鉱労働者は、しかしミドルクラス以上の視線ではうかがい知れない享楽をかつて味わっていた。彼らには独自の掟と遊びと誇りがあった。
 しかし、今の時代すべてが資本と国家に、自由かつ平等に包摂されている。昔のように理不尽な貧困はない。わかりやすいゲットーもない。貧困にはそれなりにいわれがある。貧困者、例えば、非正規労働者は「リスク社会」と言われる現代の資本制社会において、「不幸にも」、「運悪く」、あるいは「無能」であるがゆえにリスクを冒してしまった存在とみなされている。そして、それにたいして、ミドルクラスは「かわいそう」だが「仕方がない」としか応答しないしできない。できるのはせいぜい、国家による再分配・福祉の強化を願うばかりだ。さらには文化状況も、どこに行っても国道沿いの文化はフラットでそんなに変わらない。ミドルクラスの人間だって国道沿いの施設に行く。文化的差異はない。そこで「疑似快楽」を味わえばよいではないか。会社から帰れば出来合いの食品とどれも似たようなバラエティ番組で満足すればよい。休日には大資本の提供する商業施設でレディメイドの洋服でも物色していればよい。いや今はもっと進んでいる。もはや出かけもしないだろう。ソーシャルゲームのデイリーを回して、食事はウーバーイーツ、ショッピングモールに出かけるまでもなく、ベッドに寝転んでいればyoutubeが尽きることのないぬるい快楽を届けてくれる。口を開けていれば口いっぱいにそこそこの快楽が詰めこまれる。その疑似快楽は、システムの中で提供された商品に過ぎないかもしれない。しかし、どこに「商品」以外のものがあるというのか。
 このように通俗的に吉本の上の文を理解したうえで、疑似快楽に埋めつくされてしまっていることの欠如感を小峰にも見いだすのであれば、小峰が、先行者として意識しているのは、谷川でなく、むしろこの著書に出てくる『フリーターにとって自由とは何か』(2005)の杉田俊介であるということが分かる。杉田はもはや疑似快楽しか持ちえない非正規雇用労働者にこだわる。「誰からも愛されず、承認されず、カネもなく、無知で無能な、そうした周縁的/非正規的な男性たちが、もしそれでも幸福に、まっとうに――誰かを恨んだり攻撃したりしようとする衝動に打ち勝って――生きられるなら、それはそのままに革命的な実践になりうるのではないか。」と近著『男がつらい!』(2022)で述べている。いわゆる「弱者男性論」だ。さらに「単に不幸なものは不幸だし、つらいものはつらいのだ。そうした単純な生活意識が「弱者男性」問題の根幹にあるだろう。そうした苦悶の叫びは絶対的に肯定されるべきものである」という。杉田は「絶対基準としての弱さ」とまでいう。
 だから「ケア」が必要なのだ。
 小峰は著書で「団結こそが力なり」という言葉を強調し、SEALDs、あるいはそのスポークスマンだった「奥田(愛基)の脳髄に団結こそが力であるという社会運動の原則が叩き込まれていない」と批判する。杉田も「労働者の能力や向上心を評価するだけではなく、競争や評価からこぼれ落ちた非正規な人々の存在を支えうるコミュニティの形成が重要である」という。
 しかし谷川は組織論に関して杉田や小峰の想定を超えたことを言っている。「かかる組織の第一原則は、何かその集団に対するごくたあいのないとばっちりによって、あの世ゆきと相成ってもべつだん不足はないという約束が、絶対に言葉になりつくさないところでとり結ばれるための努力である。その誓約はまずイデオローグからなされなければならない」。
 小峰は「イデオローグ」あるいは「エッセイスト」として、谷川が言ったようなことをするのだろうか。そのために鷲田の言う臨床の、「非方法の方法」(鷲田)を模索していくのだろうか。
 かみ砕いて言うと、確かに「団結こそが力なり」だ。しかしその「団結」を一体誰がつくるのか。自然発生的にできるものではない。拍手喝采されるものでもない。マニュアルがあるわけでもない。舞台の上の主人公でもヒーローでもない。基本裏方だ。面倒臭い、うんざりすることのほうが多い。そもそも金にならない。そんなこと誰がやるのか。そんな覚悟をみずから担い、口先だけでなく、体を張って説得力をつくる、なんてことをやる。しかも一人で吠えてるだけじゃできない。仲間を作るって話だ。
 さらには、もう、谷川雁の時代のように、ソ連をはじめとする社会主義国家がたくさんあった時代じゃない。(凡庸な)左翼がいる中でさらにラディカルな独立左翼である、活動家である、なんて発言をどこにもっていくのか。もって行きようがない。凡庸な左翼すらどこにもいない。
 ちなみに私は、私自身のことを別にマルクス・レーニン主義、さらにはその流れの活動家であるなんて思っていない。
 私自身はアルチュール・ランボーにかなりの影響を受けた。そしてランボーが10代後半に詩で言った「光が俺を傷つけるなら、苔の上でもくたばってやる。俺の望みは、あの夏の太陽にわが身をゆわえることさ。(…)そしてこの不幸がせめて自由であるように」(「五月の軍旗」)という言葉にまったく、恥じることはない。そういう意識で生きてきた。ランボーに負債はない。私の心の中で嘘偽りはない。「新しい不幸の明るい歌よ!」(「精霊」)いいフレーズじゃねぇか。
 話を戻す。谷川が上記の自分の言葉を生涯貫いたかどうかは知らない。そもそも小峰の本で特権的に語られる鷲田清一だって、大学改悪反対に奔走している人から「鷲田清一が京大総長選考会議の議長として行った所業があまりにもひどいので、鷲田の名前を聞くことすら耐えられない」と言われている。いかにも現代的で、ありそうな話だと思う。国家と権力と金がガチンコにあるところで闘うとはどういうことなのか?それこそが「プチ・ブルジョワ的傾向」を持つ社会における「闘い」というのではないか?
 谷川は、「大正行動隊は他人のために訴えはしない。自分のために、ただそのために決意を繰り返すだけである」と述べた。
 しかしキツイことを言えば、小峰と、そして特に杉田は、「他人のため」に訴える、代弁するという形をとることで、何か欠落のある「弱者」である自分を救おうとする傾向がある。杉田も小峰もなにか欠落感を抱えている。しかし学歴の高い杉田も小峰も客観的には別に「弱者」ではないだろう。むしろ、杉田が著書で言う、「学歴偏重主義=学歴差別(そして学歴に基づく能力主義)」の恩恵を被っている。メリトクラシーの社会で屈辱を感じ、ヒラリー・クリントンよりはトランプに投票する事さえ選ぶ「屈辱の政治」(杉田)とは彼ら(杉田・小峰)は関係ないし、弱者を代弁することはできない。その当の杉田によるとサンデルはこう言ったという。「現在のアメリカ政治で最も深刻な政治的分断の一つは、大学の学位を持っている人々と持っていない人々の間に存在する」。そういう意味では、たとえ、低所得でいくらスキルを身につけても報われない介護の仕事についた経験があるにしても、杉田も小峰も「強者」だ。
 そして、杉田にしろ小峰にしろ「階級脱落」したのは、自らの「書きたい」という欲望が、まず第一義にあるからなのではないか?そのための「素材」として「弱者」があるのではないか?小峰や杉田の「弱者論」、「弱者男性論」は内容としては否定しない。しかしどうしても私には、そう読めてしまう、読んでしまうところがある。杉田も、あるいは小峰も、実は、一番苦しんでいるのは、自らの「快楽」の欠如感なのではないか。
 特に杉田はまずは、自らの「書く」という行為が空転していると感じ苦しんでいる。それを「弱者男性」とリンクさせている。そこが谷川雁、あるいは谷川の時代と大きく違うところだ。谷川はそんなこと恥じてやらなかった。
 念のために言うが、「マッチョ」な男性のやりたいようにやる快楽を顕揚しているわけではない。私見では痺れるような快楽はそういうところにないだろう。先ほど吉本の文をあくまで「通俗的に」解釈した、と言ったのは、吉本が顕揚している炭鉱労働者が味わう享楽を小さく見積もっているからだ。そしてさらには「いまはそんな享楽はなく、システムにすべてが包摂され、そこで商品化された快楽を味わうばかりだ」、と社会学的に分かったようなことを言ったなら、例えば、赤井浩太がなぜ、老朽化した巨大団地から出たラッパーについて一生懸命思考しようとしているのか理解できなくなるだろう。別にロマン主義的に、異世界を探検・観光しているわけではない。そんなアホなことは時間の無駄だ。要は、やりたいやつは、いかにすればやれるのか、ある一つの筋の通し方、その基本姿勢、その有効打のうちかたを探しているのだ。なぜ模索しているのか。簡単だ。いつでも何事かと闘い続けなければならない大勢にいるからだ。いかに生き抜くか。人生論ノートというような大層なものでなく、くたばらないためにどうするか。こんな酔うたような発言はナルシズムすぎるって?そういう冷笑が聞こえる。大丈夫、そのうち自分の欲望の構造的な不可能性に向き合わざるをえないときがくる。痛い目見るからな。杉田は、その痛い目を最初から避けている。それが「疑似快楽」だと感じる由縁だ。

3 拙著『NAM総括』と杉田俊介

 小峰は、運動を作り出すことよりは、今後自らが書いていく、ということに関心があると思う。実は私は、複雑な思いがある。私は2021年1月に『NAM総括』という本を上梓した。NAM(New Associationist Movement)とは2000年に柄谷行人が結成した団体だ。もめて2年半で解散したが、結構派手な動きだった。そして、小峰がロールモデルとしていると思しき杉田はNAM会員だった。末期に少しだけ参加していた。で、解散直後からずっと、杉田はああだ、こうだ、と思い込みと受け売りにもとづき、NAMはどうして解散したかを批判的にメディアで言いふらしている。やれ、「オウム真理教的欲望」だった、「地下鉄サリン事件のようなことが起こった」、しかも(それを正当化する)「歴史修正主義的欲望がある」、などなど。私はかなり不愉快だ。まったく当事者への聞き取りもしておらず、いっちょかみでわかったようなことを言っているだけだ。傷ついた「ボク」の自意識を救おうとしている。自分のメディアへの売り出しと自己正当化としてはいいかもしれないが、運動としては最低の行為だ。私の『NAM総括』は出版まで結局20年かかった。総括とはそういうものだと思う。まず自らが今何をやっているかが問われる。
 これを敷衍すれば、SEALDsに外在的に関わった小峰と違い、ガチンコで、つまり呼びかけ主体となり運営に参加していた人たちも、小峰の『平成転向論』に、SEALDsがどんな困難に直面したかがわかっていない、と今沈黙のうちに悔しさを覚えているかもしれない。おそらくまだ言語化さえできてない、できない困難があったし、あるはずだ。そして小峰が「気鋭の論客」(『平成転向論』プロフィールより)になるための踏み台として俺たちはいたんじゃない、と思っているかもしれない。そして、小峰が「プチ・ブル」イデオロギーだという「スキル」を培い、将来、SEALDsだった者たちが世に出たとき、小峰に出版物や言論活動で反論するかもしれない。おまえは俺たちを「プチ・ブル」と言い「階級」の重要性を言ったが、学歴の高いお前は、結局ただの階級脱落者で、「階級」、「貧困」をネタに、文章書いて出世したかっただけなんじゃないの?と。お前は一体何だったんだ、と。小峰はそのとき、それに応答できるだろうか。すくなくとも杉田俊介は、私の『NAM総括』に関してはできていない。沈黙を守っている。肚が座っていない。私の著作、すなわちパブリックに公開した『NAM総括』は杉田の言う「歴史修正主義的欲望」に貫かれているのか、私はオウム真理教的欲望(これも通俗的イメージによりかかっただけの意味不明な言語だ。そういうのが杉田には多い。)に貫かれているのか、要するに、私は柄谷を麻原彰晃のように崇拝しているのか。
 杉田よ、はっきりさせろ。
 杉田ははっきり私を名指しし、具体的にモノを言え。イメージでモノを言うな。まったく、どいつもこいつも、柄谷の『探求Ⅱ』の固有名論がどうの、とかウンチクいうが、肝心かなめのここ一番のときは、下向いて、ボク、知リマセーンだ。調子がいいにもほどがある。そんなやつばっかりだ。杉田、おまえモノ書きだろ?モノ書きとしての倫理をかけらくらいはもってないのか?「弱者男性」を素材に文章書いているんだから、仕方ないといえばいえるが、「弱者」だったら、何をやってもいい、何を言ってもいい、ってわけでもないだろう。僕は弱いんです、といえば済むと思ってんのか?それで杉田が待望する「弱者男性のつながり」なんてつくれるのか?私の考えでは、小峰の本は『平成転向論』というタイトルだが、杉田こそ、平成の「転向者」というにふさわしい。

4 国家と権力と金がガチンコにあるところで闘うとはどういうことなのか?

 話を『平成転向論』に戻そう。小峰のこの著書は「SEALDs総括」といった本ではない。あくまでもSEALDsに外在的に関わった本だ。SEALDsは小峰にとって何だったか?そもそもなぜSEALDsにこだわるのか?正直今一つ私は分からない。小峰は「元SEALDsを含めて、安保闘争にコミットした人、そして、過去と未来の私自身に、いま、私が言いたいことを、一言でいうと、「勝ちたい」んちゃうんかったのか?」とアジテーションする。さらには、「俗にいう、一五年安保(闘争)」と言う。しかし実は私は「一五年安保闘争」という言葉を聞いたことがない。小峰の著作で初めて知った。小峰の造語と言っていいだろう。SEALDs周辺は言わなかったはずだ。小峰は、安保そのものに反対した六〇年安保闘争と重ねる意味で、「一五年安保闘争」と言っている。が、安保=日米同盟そのものに反対した六〇年安保と、安保「関連法案」の成立過程が立憲主義(国家を憲法がしばっている)に反するとして、それに反対した二〇一五年は全く違う。「立憲主義に反する」という一点で、「統一戦線」が誕生し、「国民運動」が作られた。SEALDsもその一部だ。奥田愛基と岩波書店から共著を出した立憲民主党の福山哲郎を含め、共産党とその周辺以外は、その「国民運動」は、はっきり言って日米同盟支持だ。奥田だってそうだろう。昔は、社会党も、日米同盟に反対だった(いわゆる「非武装・中立」)。今となっては信じられない時代だ。小峰は「一五年安保闘争」ということで、その両者の実態の違いをレトリック的に覆い隠すことに成功している。そしてそのことで本書は成り立っているところがある。もし安保法制反対の立場を超えて、日米同盟そのものに反対の立場から運動を形作るとなったら、小峰の「勝ちたいんちゃうんかったんか?」というアジテーションを超えた思考が必要とされるだろう。
 しかし、原発もそうだが、ガチンコの国策に「勝つ」とはどういうことなのか。本書にはその答えはない。口の悪い辛辣な言い方をすれば、小峰はその「闘い」のイメージを手段にして、自らの表現活動の糧にしているところがある。それだと、花田清輝の言葉で言えば、「運動族」ではなく「パーティ族」だ。小峰のこの20代の刻印が講談社というメジャー出版社で出版されたのは、喜ぶべきことなのかはわからない。SEALDsの奥田愛基は、2015年頃、メディアでもてはやされ、消費され、そして忘れ去られ、今、小峰に批判されている。しかし、小峰もそうなりかねない危うさがある。年長世代は、奥田に対してそうだったように誰も小峰を批判しないだろう。しばらくメディアでちやほやされるだろう。そしてそのうちに、ジェームス・ブラウンが自伝で言ったような状況に陥るかもしれない。「実際キング(註:レコードレーベル)は俺から手を引いた。誰かが電話をかけてきて、お前からは手を引いたと言い渡すわけじゃない。電話なんか一切寄越さない。それでわかるってもんだ」(『ジェームス・ブラウン自叙伝 俺がJBだ!』)。
 私のこのうがった見方を超えた潜在力を小峰は持っている。そう私は信じる。

 ※『季報唯物論研究』編集部に依頼され2022年11月刊行161号に掲載された書評に加筆。

※谷川雁、吉本隆明の文はそれぞれ「ここに酒あり」(谷川)、「軋み」(吉本)(いずれも『SECT6 大正闘争資料集』、1973年、蒼氓社)からのもの。杉田俊介のNAMに関する発言は、大澤信亮、三ツ野陽介との鼎談(『東浩紀のゼロアカ道場 伝説のフリマ決戦』(2009))や、「座談会 文芸評論の現状 危機と打開」(『文芸思潮』、2022年秋、アジア文化社)からとりあえずとった。

文責ー吉永剛志

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