人文系学生のサバイブ指南(2024年版)

仕事にも精が出る金曜の午後に、これを書いている(traveling)
タクシーもすぐ捕まるだろうが、新卒の薄給でそんな事が出来るはずもない。

雑踏。20年くらいにとあるサークルのLT回で、こんな話をした。

「人文系学生のサバイブ指南」

如何にも碌でもないタイトルであるが、当の本人は至って真剣に(?)書いた所存である。

何故かM1最終決戦の如く大ウケをかっさらって終了し、人生なんて些細な悦びが少しあれば良いとアンニュイな事を言う冷笑主義的な当時の自分でも気分がべらぼうに良かった訳だが、当方の主張は至って簡潔である。

「ヒモになろう」

……自身のアンニュイさ、及びデカダンス的価値観への激しい傾倒を色濃く映し出した主張であるが、当の本人は至って真面目である。

当時、自分は入学して半年も経たないペーペー。

高校生気分が完全に抜けきっておらず、進路指導の度に「もっと上の大学へ行け」「文学部なんて行っても進路が狭い」「せめて英語を専攻しろ」と訳の分からない御託を並べられて非常に辟易としていた。

今になってみれば言いたい事は非常に分かるのだが、自分の子にはそれらを強要したくないな、と思う次第ではある。

畢竟、それらに対するアンチテーゼとして成立したのが、このLT題材だったのだ。

しかし、そんな自分も気付けば社会人である。東京の会社で研修を受け、自分自身の変人性を秘匿して社会に溶け込もうと努力している。

色んな社会人達と触れ、気付けば向上心の塊みたいな人達が周りにいる。それらに影響され、僕も向上心を高める。

しかし、それらにどれだけ精を入れても、世には「メメント・モリ」という回避不可能な事象は絶対性を孕んだ上で横たわっている。

最終的なゴールの位置は皆同じだ、だから何故努力が必要なのか、という無気力の塊みたいな事をゼミ同期と話していた訳だが、かと言って「死」も怖い。

しかし、人文学生に社会性など存在しない(失礼)
そこで、社会に出た今、もう一度人文系学生が生き残る術を考察してみようと思う。

人文系学生のサバイブ術(やっと本編)

①博士を取る

今後も研究を続けたいのであれば、これが一番じゃないか。
なんやかんや、博士号を持っていれば中高講師になる事が出来るのだから、食いっぱぐれる事は無い。我々平均的に社会不適合な人文学生が、これらに適応出来るかはさておき。
しかしこれは、行為と認識の二項対立を立ち上げた時に、圧倒的に認識者側の人間に適性がある。

行為者的側面が一定量ある人種は、修士でドロップアウト、若しくは単位取得退学がザルである。また、人文系は特にポスドク問題も強く根付く。弊学関係者で言うなれば、n濱さんやe南さんのような、非常に優秀な批評家が未だに講師をやっている部分から察せられる。

②SE等、理系職に就く(文転者向け)

私もこれであり、非常にオススメできる道である。

人文系は元より、科学で証明できない感情的な事象を研究するという側面もあり、自らの学問に疑問を抱いた理系学生が文転してやってくる……という事例がかなり多い。

だからこそ、ある程度持ち合わせた基礎知識を活かし、製薬会社(ジェネリック系)に進んだり、SE職の方面へ進む、というのは割と合理的だったりする。

自分も元々情報系を専攻しており、中学時代は某スマホゲームで国内トップのアクティヴユーザー数を誇るサーバを1人で運営していた(phpベースでの開発)。

その辺の元々興味があった道に戻るというのも手だ。営業職のような文系職に行くと、人文系学生は変人扱いされて即座に市民権を失う。今迄得ていた自由も、ノルマという単語に侵される。
それなら、元々興味を持っていてかつ、ホワイトカラーの道に進むのが合理的と言えるだろう。

会社さえ選べば、文学研究だって続けられる。結局、文学は本とノート、ペンの3つがあれば続けられるのだから。

③フリーターになる

米澤穂信なんかが良い例で、彼はアルバイトをしながら小説を書き続け、「氷菓」が評価された。ふふっ

実際、地方で手取り15万程度あれば、細い生活をすればだが、好きな本を読んで暮らす事は可能だろう。
自分の時間を自由自在にとる事が出来るので、結局はこういう選択肢もありだ、と昔のバイト先にいた旧帝文学部卒のフリーターが言っていた。

しかし、歳を取れば取るほど、世間での人権が無くなってくる。男であれば1人行動でも違和感は無いが、哀しきかな、独身の女性は本当に肩身が狭くなってしまう。
"世間"によって行動が制限されるのは非常に勿体なく感じてしまうが、それ程までに世の中は恐ろしい。

しかし当たり前だ。人はルッキズム・学歴・権威主義等によって、他人を評価する為に考えるコストを低減したがる生き物である。人間の本質的な部分に触れようとする我々人文学生は、勤勉な事を誇るべきである。

④生活保護を受ける

極力避けたい事情ではあるが、これも選択肢の一つである。社会が本当に無理だと感じたら、これも選択肢として検討するべきである。

しかし、生活保護に置いて多量の図書は贅沢品と捉えられて処分される可能性すら孕んでいる。文学者としての道を検討しているなら、これは極力避けた方が良いかもしれない。

⑤ヒモになる

我々の人生における最大の目標であり、最終到達点である。

しかし、ヒモになるのであれば、それ相応の夢、及び他人を妙に惹き付けるようなカタルシスを持たねばならない。例を挙げるならば、作家志望として、ある程度こいつならなれそうだという説得力と、太宰のような恋愛主義的なカタルシスを持つ人間である。

そして、ヒモは何より他者の母性本能を擽ら無ければいけない。この人は私が護らないといけない、というマインドコントロール的な話術すら必要である。

なので、ヒモというのは意外と難易度が高い。というより、良心が無効化された上で、あれは人につけ込む才能である。故に、ヒモとしての才能を持って生まれた人間は絶対にヒモになるべき。

ヒモは結局のところ、片方からすると癒しの対象になり、もう片方は無気力な生活への感謝を得られるwin-winな関係なのだ。自分が向いている、という自覚のある人は今すぐに相手を見つけてヒモになるんだ。

⑥地主に婿(嫁)入りする

……22年生きてきて、最適解はこれである。大きな大学に通っていれば、地主の一人娘は絶対に居る。これは確信を持って言える。自分の大学にいなくても、近くにある女子大には絶対に御曹司がいる。そいつに頑張って近付くんだ。別の最適解は地元にある市営のヨガスクール等に通い、ゴシップ好きのママさんから情報を得ることである。それらを一時に努力する事で、一生の安寧を獲得出来るのだ……。

しかし、そんな女性を見つけたとて、自分自身の文学的な行動を否定される可能性だってある。巷で聞くような、趣味の書籍を勝手に売却されるリスクだってある訳だ(誰に限った話でもない訳だが)

だからこそ、外見・権威・学歴等、表面的に理解出来る内容に甘んじずに、人を見るべきである……というか、地主だから・石油王だからとして婚約者を探すのは、反芸術的な行為かつ反文学的な行動で美しくない。

芸術というのは高次元的な物もあれば、賤だってある。賤であると自覚するならば、賤の芸術を切り開くことも悪くない。

⑦普通に就職する

人並みに生きられる人文系学生は、これが一番である。強いて言うなら、残業が少ない職種(メーカー/インフラ系一般企業等)がオススメ。
GSなりキーエンスなんかに入ろうもんなら余暇は何も出来なくなる。


結論

文芸学部黎明期に、世耕政隆によってポストモダンの文学者たちが庇護されていったように、時の資本家達に庇護された生活を送るもよし、自分自身で生きやすい道を探すのも良い。

しかし、ここまで4年間人文の道を走ってきた同士諸君は、どうか人生の果てまで、大小変われど研究者としての矜恃を持って駆け抜けて欲しいな、と思うばかりである。

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