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2020.4.28

"譲り合うこと"、"許し合うこと"の難しさを24時間1LDKで生活しながら痛感している。
心のどこかでお互い様なのは承知の上、どうしても"私の気持ち"が先走ってしまうことがある。でもこれは相手にとっては自分勝手と捉えられがちで相手の気持ちに寄り添ってないと思われてしまうし、自分では嫌だと思うことを伝えてもそれは我儘だ、と捉えられてしまう。自分がされて嫌なことは相手にしないのが基本であるならば、それを言葉で伝えることが重要だけど、きっと"言葉"ではなく、"態度"に現れるのが難しいと感じる1つの原因かもしれない。

例えば、気に入らないことがあった時の相手への態度に自分の不機嫌さが伝わってしまって雰囲気が悪くなることがあるし、それに対して少なからずムッとしているので態度だけでなく"言い方"も少し変わってくる。これがたまになら全然気にならないものが毎日に生活していく中で少しずつ溜まっていってるんだなあ、と。この悪循環がよくなくてここからスイッチ入って、私ばっかりなんて考えに行きつくのが私の思考回路。
相手が気にならないことは自分は気になるとか、そいういったことの積み重ねで少しずつ不満は溜まっていくのを"許す"ことでアウトプットしないといけないと思った。

許す=負け

ではなくて相手を思いやるという行為っていうのが大前提。
そもそもなんで私が許さないと~なんて考えは相手のことを何も考えていないし自分の気持ちにしか目を向けていない。そんな女には絶対になりたくないからここは許そう、なのか譲ろうなのかそうやって自分自身の気持ちとまず戦うことが一番なんだな、と。
これまた難しいんだけどね。でも喧嘩したいって気持ちはないし、ずっと仲良しでいたいし、そこにちゃんと愛があってほしいじゃん。
小さなことで喧嘩を繰り返してたら好きなもんも嫌いになるし、お互いの気持ちも下を向くし、なにより楽しくない。
そう、一緒に居ても楽しいって思えなくなる。それが一番嫌だなーと。

まあ、難しい方向に考えがちだけど、まずはシンプルに。
自分の気持ちと戦ってみます。



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