Mgirlのあなたに思うこと

Mgirl no.26を手にして一週間が経った。

毎日夜中にひとりひっそりと開いては、ひとつひとつの表情や質感を、まじまじと見たり、薄目で眺めたり、近付けたり遠ざけたり、あれやこれやを思い巡らせたりなどしている。

この あれやこれや を少しだけ書き残そうと思う。


以下Mgirlについての個人的な解釈が多分に含まれるので、苦手な方は回れ右をお願いします。

普段、彼のことは"ケンティー"と呼んでいるのだけれど、ことこのMgirlに関してはその呼称が似合わない気がするので、最大級の敬意と愛を込めた上で"中島健人"と記させていただきます。


Mgirlに写るひとは、むきだしの中島健人、であると同時に、中島健人であって中島健人ではないひと、だと思っている。

最初に開いたとき、初めて見る中島健人に戸惑った。今までも"初めて見る中島健人"があったはずなのに、なぜ戸惑いを覚えたのか、整理して言葉にするまで何日もかかってしまった。


野生動物のような目をした彼がCome closer to meといって部屋に招き入れる。その言葉はきっと本心なんだろう。だけど近づいたら壊れてしまうんじゃないかな、わたしも、あなたも、この関係も。

この空間はきっとふたりだけのもので、時間は無限のはずなのに、こちらからずっと目を離さないのはなぜだろう。逃げ道はないし、逃げる気もない。全て見られている。見透かされている。なにか、覚悟を迫られている?

狂気じみていて、愛が重たくて愛が深い。

このひとにも不安や戸惑いや躊躇いがあるのだということは、KTTのオフショットを見て初めて気がついた。

わたしだけが、あなたのそんな一面も知っているから、総て受け止めるよと思ってしまう。だってこのひと、愛おしくてたまらない。強く強く強く支配して管理して独占しようとするくせに、とてつもなく寂しい目をする。


そういえばそんな歌を知っている。
それは「Because of 愛」という。

中島健人から紡ぎ出された言葉を、Mgirlに写る彼に当てると妙にしっくりきた。嫉妬に狂う中島健人、不安に怯える中島健人、独占欲で溢れる中島健人、愛に不器用な中島健人。

他の誰もいないところで愛する人とふたりきり、何の邪魔も入らない、社会から隔絶された空間、時間の概念すらもない。それが望みだったはずなのに、果たして今ふたりは幸せなのかな。望んでしまったことへの後悔、それでも捨てられない理想。
「ごめんね 僕は死ぬほど君を愛しているよ」……

中島健人の芯の部分、自分を守るための刺で覆われているけれど、本当はあたたかくて丸くて、柔らかくて脆いところ。彼の描く世界とMgirlに写る彼が重なった。


"本間快"や"斑目勉"や"和賀英良"のように名前のついた役でも、アイドルとしてステージやテレビや雑誌で彼が見せる"ケンティー"でもない。そういう名前のついたものは全て削ぎ落とされて、むきだしの中島健人が表現されている。

わたしにとっては、剥いでしまった部分だって中島健人として愛したい部分だったことに気がついた。何もかも全部まるっと含めて、中島健人というひとを愛したいし、愛している。だからMgirlに写る、むきだしの中島健人は、中島健人であって中島健人ではないひと、と感じてしまったのだと思う。


美しさで殴られた気がした。
この撮影に挑む彼の熱意に怯んでしまった。
熱のこもった眼差しに圧倒もされた。
それと共に、触れてはいけないところに触れてしまった気がして、この美しさの塊をどの距離感で愛すべきか考えあぐねている(もちろんこれはメンタル的な話で、写真自体は舐めるように見ています)。

単なる写真集として、綺麗なものを楽しむことができたらどんなにかよかっただろうと思う。それだけこの一冊に宿るものが重くて、ひとりで抱え込めそうになかった。まあ、全部勝手な解釈と思い込みなんですけど。

Mgirlに写るひとは「Because of 愛」の葛藤を経た先に、「SHE IS...LOVE」で永遠の愛を叫ぶ強さを持っているだろうか。それだけが気がかりだ。


わたしにとってMgirlは衝撃の一冊でした。写真を見てこんなに感じて考えたのは初めてです。蜷川実花さん、中島健人さん、素敵な写真の数々をありがとうございました。

そしてこの、長くて重たい脈絡のない文章をここまで読んでくださったあなたにも、心からのSexy Thank youを。


過去の記事はこちらです
https://lpslzlsty.hatenablog.com

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