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あの人はマスクをしていた

ずっと覚えている人がいる。その人を語ることは、私の心の原風景を探ることかもしれない。そう思ってこのnoteを書いてみることにするが、言葉にしてしまうことが少し怖いような気もしている。

 その人はマスクをしていた。年がら年中マスクをしていた。今ではふつうになってしまったから、そのぶんこの言葉に余計味わいが出てしまうかもしれない。ともかく、私が中学1年生だったあの頃、そんな人は稀だった。

 はじめて会った春、その人は高校2年生だった。今では別なことが多いが、私が入った当時、弓道部では日常的に練習が中高合同で行われていた。道場の床に矢道からの桜がはらはら舞う、思い返すだけでその濃い空気が鼻を衝くような春だった。
 右も左も分からない私に、その人は「弓具に詳しい先輩」として紹介された。今でもそうだといいが、当時モリモリ向上心だった私は、その言葉に忠実に何度も質問に行った。
 中1の練習は道場の外で素引き、と相場は決まっていて、通常練習は矢取り(的場の矢を十数分間隔で抜きに行って拭く仕事、通常下級生の任務とされた)以外はずっと外だったのだが、弓のせいで身体を故障していたらしいその人はときおり外に出てきて指導をしてくれた。
 練習後や自主練の日は、高2生何人かと私というのがお決まりだった。私はひまでひまでしょうがなかったからいられたのだが、多忙なはずの彼らがあれほど頻繁にいたのは今になっては驚かされる。

 いつの頃からか、私はその人に憧れるようになった。
 とても熱心な人だった。射法やふるまい、精神の在り方を説いた弓道教本(全日本旧同連盟発行)なるものが存在するのだが、それを幾度となく参照しては考えを深め、同級生と議論していた。矢を番えられない時期に、私たちの横で休みなくゴム弓を引いていた。指導時間には、よくよく培われた知識を丁寧に教えてくれた。とても姿勢が良かった。なにもかもが大人びていて、こちらとしても身の引き締まる思いだった。心から尊敬していた。

 毎晩教わったことをノートにまとめた。他にも何人も熱心に指導してくれる先輩たちがいた。とても恵まれていたなあ…と懐かしく思う。

 同時に日記もつけ始めた。これは中3くらいまで続いた。後には私の醜いどろどろした感情が塗りこめられていくこの日記帳も、この頃は尊敬と感動でいっぱいだった。

 個人的な興味が募り始めた。昼休みに学校の図書室でよく見かけるようになった。マスクをしていたし、なによりその落ち着いた知的な雰囲気はよく目立った。

 残念だがこれ以上その人の描写は深まらない。いくつかの本当に思い出深い状況はあるのだが、それはいつも視線の一方向性を伴うものだった。
 お互いを開くような、さらけだすような会話は、ついぞしたことがなかった。あんなに尊敬したその人のことを、実は何も知らないのかもしれない。
 個人的な話をしたりご飯に言ったりするほどには年齢が近くなかったのかもしれない。私にこれといった話題の蓄積がなかったこともあるだろう。

 中2も終わりを迎えようとする3月、その人が東大に合格したと知った。周りからの期待も高く、意外ではなかった。いつも落ち着いていたその人だが、先生方に合格を報告しに行っている姿はすこしはしゃいで見えた。
 それ以降私はぼんやりと東大を目指し始めるようになった。学校の成績はそれなりによかったし、いつからかそれは周囲にも暗黙の了解になっていたが、中1のけなげな憧れの思いを発端に結局ここまで来てしまったのは面白い。

 今では記憶もあいまいだが、合格をしたら電話をすると約束していたらしい。私は喜びも冷めやらぬ昼下がりに電話をかけた。
 どこかの駅だった(よく出てくれたものである)。おめでとう、受かると思っていた、というような私の心臓が飛び出るようなことを言ってもらってから、しばらく話した。
 4年前はタメ口だったその口調がいつの間にか敬語に変わっていたのがやたら耳についた。どうやらオンライン家庭教師をやっていたようで、ずいぶん受験生を相手にしたのだろうからそれはよくわかるが、おすすめの講義の話をたくさんしてくれている間も、なんとなく心が浮いていた。
 「今は何を」と訊くと、「来てからのお楽しみ」とのたまった。直後にコロナ禍が始まったこともあり、以来会っていない。どのへんがお楽しみだったのだろうか。
 
 と言いつつ、実は駒場の図書館でそれっぽい人とすれ違うことが数度あった。この前東大前の駅にいたような気もする。
 すべてが私の会いたい気持ちによる幻覚にすぎなかったとしたら笑ってしまうが、優秀な人だったのでまだその辺を歩いている可能性は大いにある。

 実をいうと、連絡先は手元にある。ただこの2年は時期じゃない気がして何の行動もとらなかった。
 そろそろ、会おうとしてもいいのかもしれない。中学受験の年齢算でやったが、4歳という年の差は、ますます些細なことになっている。あわよくば、友人として関係を結びなおしたいのだ。
 今の私に少しでも自律的な気質があるのだとすればそれはあの人のお蔭である。あなたの生きる様子に背中を押された、という感謝の気持ちくらい伝えても怒ったりはしないだろう。先輩後輩というよりは、人間同士として向き合ってそれを言いたい。そして何かを返したい、というのは人間の根本的な欲求なのかもしれないが、私にそんな力量があるかどうか。

 まあ、会えなかったらそれも人生である。とにもかくにも、ありがたい出会いへの感謝の念をここに記したい。


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