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評論家と謂う職業

 こんにちは。初めて書かせて頂きます。世の中にはありとあらゆる分野に評論家と言われる者がいる。
一番胡散臭いのは業界から金を貰い太鼓持ちをしているとしか思えない連中だ。
私は映画、音楽、落語の愛好家だが今まで前評判の高い映画や音楽批評を見聞きしてどれだけ騙されたことか。
ある程度歳を重ねて来ると本物か偽物かが分かるようになって来る。
一例を挙げる。
名前を挙げると差し障りがあるので控えるが近代演奏法を確立。譜面に忠実で客観的な演奏として後継者を輩出したトスカニーニ。その後のアメリカ指揮者で名を為した指揮者は殆どトスカニーニの亜流だという評論家がいる。
然し純粋に客観的なものなどない。トスカニーニの客観性というのも彼の主観に基づくものだ。
たしかに彼の亜流と言われる指揮者の中にはただ派手なだけで中身のない鬼面ひとを欺くような者もいるかも知れない。
それを持ち上げて褒め称える評論家もいる。
然し指揮者には其々個性があり全部が全部トスカニーニの亜流とは言えまい。
ジョージ・セルという指揮者がいた。クリーブランドOrを世界一流のオケに育てた名匠である。
初めて聞いたのはカサドジュとのモーツァルトのピアノ協奏曲27番であり余りのかさついた潤いのない演奏にがっかりした。
然し後で知ったことだが其はデッドで音響効果など全く考えていない映画スタジオでの録音だった。
先年、ブラームスの三番、コンセルトヘボウとのドヴォルザークの八番のライブ録音を聴いて仰天した。
此が同一人物の演奏かと思えるほどしっとりした潤いのあるロマンチックな演奏なのだ。
やはり後世に名を残す名指揮者である。


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