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母方の祖父

祖父が亡くなってもうすぐ10年

早いようで長く
果てしなく
この10年の変化は凄まじかったと思う。

わたしが幼稚園に行っていたくらいの時に
「じいちゃんの夢は何?」と聞いたら、
わたしの友達に会うこと
わたしとそのともだちと一緒に遊ぶこと
と言われて、変な夢だなと思った。

祖父はカメラが趣味で
わたしもよく撮ってもらった。
ただ「笑って笑って」と言われて笑うのが本当は嫌で
無理してた。

小さい頃は近場だったけれどいろんなところに連れて行ってもらった。



大人になるとなかなか顔を出さなくなった。

社会人になり、わたしの職場は祖父の家の近くで
わたしが働いているのは見えなかったと思うのだが
職場のそばまで様子を伺いによくきていたみたいだった。

わたしはやってみたかった仕事に
運良く採用された
しかし、しんどくてつらくて
肉体的にも精神的にもだんだんあやしくなってきた。
がんばれと言ってくれる人が多い中、
祖父はただ見守るということに徹するような人だったように思う。

祖母を心配させまいとしていたのか
祖父も体調不良で無理を重ね、検診に行った先で
緊急搬送された。
もう先が長くないとわたしは知った。

入院した先で、
おだやかに過ごしていた。
病院食、パンが苦手だからごはんにしてほしいとか
検診?にきてくれる看護師さんが短い時間でも世間話してくれることを楽しみにしていたり、
家に帰れるタイミングをあったようだった。
たぶん、祖母をひとり残すわけにはいかないと
静かに最後の力を振り絞っていたのだと思う。

入院すると
自力で何かをする機会がものすごく減る。
何もわからないわたしにも
そういうことが体の機能をどんどん鈍くさせていく
歩くことから遠のいていく
その人のエネルギーが薄れていくように感じた。

尿が溜まる容器がベットの横に吊り下がっていたのを
「病室は臭くないか?」と気にしたりもしていた。

最後に会った日、わたしは本能的に
手や足をマッサージした
冷たい手足がマッサージするとあたたかくなる
技術とかじゃないとにかくそうしたかったからした。
その日はうつろうつろとしていた祖父がふっと目を覚まし
「ありがとう」と言った。
そしてわたしは帰宅して、その夜祖父は亡くなった。
ありがとうが最後の言葉だった。

その後祖父が夢に出てきて
「体は病院にあったけれど、魂というか本当の部分は家に帰って、いつも過ごした環境の中で死ぬことができたから、
安心して欲しい」みたいなイメージを送ってきた。
わたしはそれを祖母や母に伝えた。



わたしはその時から、
人の死というものは悲しいものだけでなく
どこにいようがそばにいてくれたり
見守っていてくれるような気がして、
お墓にはいないというあの有名な曲のフレーズを思い浮かべるようになった。

目に見えない感覚や
何かにものすごく守られている感じが強くなった。
自分の本心と違うことをしていると
体調を崩したり、
アクシデントに巻き込まれても
最小限で済んだり。

宗教とか何かそういうものでなく
自分の中に眠っていた感覚が目醒めたというか、
ほんとうの人生が始まりだした感じ。

10年の区切り
わたしも変わったけれど、
今の積み重ね
ご縁のある方へ

セレンディピティを楽しみながら生きたいと改めて感じた。


サポートのエネルギーを循環させていきます。