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さくらのように

人生何度目かの強制終了

のち

今までには戻れない



感覚としては「さくらのように」

花を咲かせて

散る時も美しくて

そんなきれいさばかり

ずっと春でいようとしていたから

もうそうじゃなくて

一年のほんの一瞬桜が咲く期間だけ生きようとせず

淡々とさくらとしてあり続ける

家から数分のところに大きなさくらの木があって

散歩というかそのさくらに会いにいくのだけれど

春以外もただそこにいて

さくらの名所や公園のように人が集まったり

花見をしたり写真を撮るわけでもなく

ただ生きているそのさくらみたいに

わたしも生きている

花を咲かせる美しさも

花の咲かない時期もどんと堂々とあるがまま

そんな美しさ

ずっとずっと春でいようとしなくても

花を咲かせ続けなくても

その存在が美しいと気づかせてくれた

さくら



わたしもわたしとして生きることで

誰かに何か気付いてもらえたりしたらしあわせ

昔は人の役に立ちたいとか漠然と思ってたけど

何をしていいかわからなかった

今は何かわざわざするんじゃなくて

そのままのわたしでいること

それが大切で

そういう姿で生きてたら何かにつながると信じて

ただ今を重ねて生きている感じ

サポートのエネルギーを循環させていきます。