見出し画像

『龍の遺産』  No.19

第三章 「龍は死なず!!」


人見と伊庭は箱根から千葉に戻り、暫くしてから人見の家で二人「飛龍の滝」を調べる段取りを話し合った。
やはり二人だけでの調査はかなり無理があることが分かった。伊庭が「飛龍の滝」を上から見た写真を撮ってきたので、その写真を見ながらの話し合いをした。写真を指差しながら・・・・・・
「ここからしか降りられないし滝の淵には近づけない。一人づつロープを使って降りる。多分二人しか降りられない。しっかり足場を確保しながらの作業になる。それと上に支えるために2~3人必要だ。あまり大勢でも目立つので俺たちのほか2~3人程度を集めよう」
人見と伊庭は木更津の請(じょう)西藩(ざいはん)の武士の流れだが、幕末の遊撃隊に参加した中には
当時の勝山藩や館山藩の下級武士も参加していた。人見の家には当時参加した房総の武士たちの血判状が残されていた。二人で手分けして調べた中に10数人ほどまだ脈々とその家がここ房総に受け継がれているのが分かった。二人で各家々を直接訪れた。人見と伊庭は遊撃隊の隊長だった一族なので、それなりの敬意をもって迎えられた。自分たちの祖先が夢破れてやり残したことを伝え、協力を仰いだ。集まったのがその孫の三人だった。今までの調査の経過と今後の計画をこの三人に伝えた。
三人の中の一人が・・・・・・
「まだ我々の戦いは終わっていなかったんですね。爺ちゃん、その前の爺ちゃんから聞かされていた箱根での戦さ、本当にそんなことがあったんだ」
人見が三人に向かって、「伊庭と二人でいろいろ調べたが、まだ未確定のことが多すぎる。そこでみんなの協力をお願いしたい。我々の祖先はただ単に尻尾を巻いて逃げ帰って来たわけでは無く、次の戦いに備えていた。このことだけ今の世に伝え残したい。力を貸して欲しい」
三人は同意するようにうなずいた。
「まだ誰もこのことは気付いていないと思うが、慎重には慎重を期して行動してもらいたい。連絡は私か伊庭に直接して欲しい。メールとか手紙とかは証拠が残るので駄目だ。固定電話も非常時以外は避けて欲しい。最初は週一でここに集まって欲しい。日時は私からみんなに連絡する」
止まっていた時計の針が動き始め、それはその当時の時代に戻り、動き始めたようだ。
 
             ≪龍≫
 
風人は再び箱根に向かっていた。今回は下調べをして小田原から箱根登山鉄道の風祭駅で降りた。
戊辰箱根戦争の激戦地山崎から箱根湯本まで、当時を思い描きながら歩こうと考えていた。
左に石垣山、右に長光山に囲まれた山崎の合戦場。
「ここで遊撃隊が迎え撃ったんだな」
電車に沿って旧東海道の細い道を山に沿って歩き、早川を見ながら三枚橋に着いた。
三枚橋を渡り、旧東海道に足を向けた。歩くのに丁度よい曇り空。平日なので道も
それほど車の往来はない。本隊は道なき道を山伝いに逃げ、海岸線に出て、真鶴から湯河原・熱海へと・・・・・・。
別働隊は多分この道を上がり元箱根方面へ。

イメージを膨らませていた。
暫くしてから早雲寺の反対側に箱根湯本の守り神社「白山神社」が見えた来た。ここにも龍の彫り物がある。しかし、三枚橋から少し登ってところなので、ここでは軍用金の隠し場所としては近すぎる。
風人の足では、箱根の坂道はなんの苦にもならない。息切れも無く周りを観察しながら登って行く。この坂を大筒や鉄砲・弾薬を持ちながら登ったのか? 追いかけて来る小田原藩と新政府軍を意識しながら・・・・・・。
小一時間も立たずに畑宿に着いた。先日見た若者二人が入った林道はすぐ先にあった。
入口には案内板あり、やはりこの林道は芦之湯に続いている。案内板によると丁度中ほどに目指す「飛龍の滝」がある。車の通りから少し入ると静かな自然の音だけになる。鳥のさえずり、風の音、風人には馴染んだ懐かしい感覚だ。自然と足の運びも軽やかになり、上り坂も苦にならない。しばらくは舗装道が続いたが無くなり山道となった。遠くから沢の瀬音が聞こえ始めた.須雲川に流れ込む大沢川だ。
もし遊撃隊がこの道を登ったとしたら、かなりの苦労があったと思う。人がやっとすれ違える程度の道になり、道もかなりの急こう配となった。何名で此処まで来たのだろうか。山に囲まれているので日没も早い。道案内がいなければ到底無理だ。
風人の頭の中にあることが浮かんだ。
やはり箱根権現の修験者の協力を得たのか、宮ケ瀬、愛川のハ菅の修験者か大山の修験者と同じく、この山を知り尽くした山伏を頼ったのかも知れない。
段々沢の音が大きくなってきて目の前に落差が50m近くある「飛龍の滝」が現れた。
飛び跳ねる水の形が龍が飛んでいるように見えるから名が付いたといわれる瀑布。
今日は人陰がないようだ。風人は静かに見上げる。しかし今日は思いに耽っている暇はない。遊撃隊の気持ちになって考えてみよう。風人は周辺を歩き回った。二段に分かれている滝の一段目から二段目へと調べていったが、風人には感じて来るものが無かった。ここではない、かすかにしか見えない見上げる先の上の段に滝つぼ(淵)があるかも知れないと思い、先ほどの道へ戻り、芦之湯方面を目指して登った。5分ほど登ると柵の外側にわずかだが人が立ち入った痕跡を見つけた。風人しか気が付かないほどのわずかな木にロープを巻きつけた傷跡。
「最近、誰か滝へおりたのかな」
切れ落ちた崖を誰かがロープをかけて降りたようだ。
風人にはこの程度の崖は育った近くには沢山あり、ロープ無しで難なく下へおりた。飛龍の滝は川が堰き止められて出来た滝ではなく湧水だ。滝の淵は穏やかながらこんこんと湧き出していた。ここかも知れない。150年以上経って、飛龍の滝は地震、台風などで岩崩れなどがあり形が変わってしまったようだが、ここはそのままのはずだ。風人はしばし佇み水面を眺めていた。そして今降りてきた崖を見上げて周囲の景色を頭にしっかりと焼きつけた。また来る事になるだろうと自分に言い聞かせながら、降りてきた崖を登った。
 
             ≪龍≫
 
「茜ちゃん、久し振りだね」
太田の妹と数年ぶりの再開。三人の集まりに飛び入り参加だ。
「ちゃん付けはやめてください。もう25ですよ。鮫島さん。吉野さん、お変わりありませんか」
時間が戻ったようだ。小学校、中学校と一緒に通った仲間同士。ここ松崎町では皆が親戚みたいなものだ。
「兄からちょこっとだけ聞きましたが・・・・・・何か良からぬこと企んでますか?」
茜はちゃかしながら、集まった鮫島、吉野を交互に見て、懐かしそうに言った。
太田が渋い顔をして・・・・・・
「茜、お前は飛び入りだから、静かにしてろ。これから大事な話があるんだから」
茜はちょっとむくれたが、少し皆から下がって椅子に座った。
「太田、お前、湯河原へ行ったのか? 半兵衛の彫り物を見たのか?」
「焦るな、ゆっくり話すから。俺もいろいろ調べ廻ったが、北斎と石田半兵衛が出会ったという証は残ってなかった。確かに千葉の彫り師の伊八の彫り物がある神社の近くに石田半兵衛の彫り物があるが、北斎と出会ったという証拠にはならない。」
「百歩譲って、もしかして石田半兵衛と伊八は会ったかもしれないが、それを仲介した北斎がいたという証拠にはならない。本当に葛飾北斎は伊豆まで来たのだろうか?」
茜が口を挟んだ。
「その伊八と言う人の作品、熱海の伊豆山神社にあるよ。ちょっと前に見に行った」
三人が茜の方に振り返った。
「そうだ!忘れてた。 熱海まで初代伊八は来ていた。下田、伊東にも石田半兵衛の彫り物がある」
「しかし、例の神奈川の新聞記事の今までの内容では、この件、幕府の軍用金の仲介に関してどこかに北斎がいたという噂?話が必ずあった。ここら辺にはそのような噂もまったく無い。やはり思い違いかな」
「吉野、鮫島、俺は、ちょっと視点を変えて見て考えたんだが、松崎町は俺たちの祖先が仕えていた掛川藩は飛領だよな、それとここは重要な海運の拠点だったことは間違いない。あの貧乏な掛川藩が幕末の頃、松崎に港を整備し造船所を造ったり、外国船を見張る見張り場を作った。役場からのもらった資料にそう書いてあった。
多くの役人を駐屯させて・・・・・・どこにその金があった? それを考えるずっと以前に伊豆は関係なく直接掛川藩や駿河藩・沼津藩などに渡っていたんじゃないか? 安政元年(1854年)ごろには松崎町には色々な設備が出来上がっていたそうだ。そう考えると西からの守り、外国船の脅威のための海岸防備、かなり前に藩に幕府の軍用金が渡っていたとしてもおかしくない」
「じゃあ北斎はこの件には関係していないと考えるんだな」
「決めつけているわけではない。こんな推測もあると言っただけだ。北斎と半兵衛がどこかで出会ったという証が見つからない限りは・・・・・・」
吉野が先日、松崎役場でもらった石田半兵衛に関する本の中で見つけた内容を話し始めた。それは半兵衛の長男、馬次郎の話だ。
「半兵衛だけを注視してたら周りが見えなくなる。本の中に半兵衛の長男馬次郎が掛川藩主に掛け合って、松崎町に造船所を作って画期的な新造船を造り始めたと書いてあった。それが安政4年(1858年)だ。まだ戊辰戦争も始まっていない。馬次郎は度々沖に外国船を見かけた。その資金、どこから出た?我々の祖先は1俵二人扶持の下級武士に甘んじている時、この貧乏藩にそんな金あるか?」
「そんなご時世の時、大金をはたいて国防なんて掛川藩は言ってはいられないはずだ」
その時、茜が単純な質問を投げかけた。
「どのくらいお金がかかるの? 造船所を造ったり、船を造ったり、役人を大勢集めたりするの」兄太田は呆れた顔で茜に言った。
「分かる訳ないだろう俺たちに、1年で終わる話ではないし数年かかるかそれ以上か」
「当時のお金で数千両ではないことは確かだな。数万両? 数十万両?想像がつかない」
「その石田半兵衛の長男、船を造ったり、造船所を造るように掛川藩を動かしたんだろう? 一介の木彫り師が。今で言うと藩主に企画書と提出し、採用になったと言うことなんだろう。時代が時代だからタイミングがいいというか、本当にそんなことあるのか?」
吉野が松崎町の役場から頂いた本を開いて、みんなに伝えた
「馬次郎の提案が通り、単なる宮大工の木彫り師が掛川藩の百石取りの武士に取り立てられた。これも信じられない話だが、当時は誰もこの時代をどう乗り切って行ったらやいいの分からず混沌として藁にもすがる思いだったのかも知れないな」
「掛川藩みたいな地方の貧乏藩が・・・・・・」
「話を元に戻すぞ。幕府からの軍用金は港の整備や造船所、新造船などに費やされてしまったということか。吉野、その馬次郎の新造船は完成したのか?」
「この本によると、失敗だったようだ。しかし、馬次郎はそれにもめげずに江戸で、その改良した船を造り、成功したと書いてある。松崎での試作船は木造で人力だったが、江戸での改良した船は鉄で造ったとある」
「この辺鄙なところからすごい奴が出たんだなあ。天才なのかペテン師なのか分からないけれど、藩を動かし、幕府を動かし資金を出させたんだからな。面白い、もう少し調べる価値がありそうだ」
鮫島の民宿の一室を借りての集まりとなった今回だが、この先どうすればいいのか
誰も分からない中、茜が「その馬次郎の計画に全部使ったのかな?」とつぶやいた。
「え! どう言うことなんだ?」
「例えば掛川藩にその資金が渡ったとしても掛川藩は全部、その松崎町へ注ぎ込んだわけではないと思う。その後、新政府軍に従属したとしても、残りを渡してないはずでしょ。秘密のお金、何処にも存在していないお金として処理されているはず。城内へ隠す訳にはいかないし、やっぱり考えると飛領の松崎町がベスト! 港整備に紛れ込ませてどこかに隠ぺい。こんな筋書もあると思わない? 兄さん」
茜は自分の推理にどや顔、みんなを見渡した。兄太田はあきれ果てて、
「そっから先は考えろと言うことか。お前も加われ! ちょっとした夢を見れるぞ。」
妹をそそのかした兄もそうだが全員が、茜の推理もありそうだと思った。
鮫島が次の集まる日にちを決めて、
「今まで集めた資料があるから、家に持って帰って読んでくれ。近々もう一度、集まろう。吉野はその馬次郎をまとめてくれ。木彫り師としての作品がどこにあるのかとか。太田、茜にかいつまんで今までの事を説明してくれ。茜は、役に立ちそうだ」
ちょっと自慢げに兄を見て、みんなが小学校時代みたいなやんちゃな顔つきになっているのをうれしそうに眺めた。
 
            ≪龍≫
 
神宮寺と風人はスケジュールを合わせて千葉の木更津市観光協会を訪ねた。歴史にまつわる資料はあまりないと感じていたが、地図や市の全体像を見たいと思ったからだ。やはりこの手のことは市役所の担当部署でしか情報は集まらない。次に訪ねたのが市役所の文化振興課。
しかし資料としてもらったのは郷土歴史家がまとめた小冊子1冊のみ。
「仕方がありませんね。戊辰戦争当時の請西藩主:林忠嵩の陣屋、真(真)武(ぶ)根(ね)陣屋跡に行ってみましょうか。ここから70人ほどの遊撃隊を指揮し、小田原へ船で向かったそうです」
真武根陣屋跡には案内板があり、二人が調べた程度の内容が書かれてあっただけだ。
案内板を見てから神宮寺は風人に問いかけた。
「ついでにここに陣屋が移る前の貝淵の陣屋も見て行きましょう。以前は貝淵藩とも呼ばれていたそうですから」
歩きながら二人はこの地から小田原を目指し、船出した遊撃隊のことを考えた。
当てにしていた小田原藩には色よい返事はもらえず、次の沼津藩では藩主にも会えず、どんな気持ちでの行軍だったのだろう。二人はできる限り情報を集めようと丸一日、木更津市内を歩き回った。
この情報が人見の耳に入ったのは。市役所からだった。戊辰箱根戦争を調べている人が来たと知らされた。人見家は地元では名士であり、代々木更津市政に携わってきたこともあるが市役所の中に先日協力を仰いだ仲間の一人が務めている。人見はその連絡をもらって、一人ごとをつぶやいた。
「やはり気付いたやつがいるか。何かの偶然なのか?とにかく少し急がなくては」と思い、伊庭に連絡を入れた。
150年以上止まっていた時が動き出したようだ。時のいたずらなのか、今、蘇るべきして蘇ったかは分からないが、彼ら二人には強い信念があり、汚名を晴らすという使命感が突き動かす原動力になっている。決して隠匿したのではなく、次への戦さのために隠したことを、証明したいだけだった。だれにも邪魔をさせない!!
神宮寺先生は気付いていないが、風人には市役所を出た時から、眼を感じていた。
いつもの感覚だ。悪意は無さそうなので先生には伝えず、調査を続行した。
風人に考えられるのは、やはり箱根の飛龍の滝の件かも知れないと思った。
 
            ≪龍≫  
                
圓●の話を静かに聞いている圓●の祖父は、まだまだ冬には早すぎる季節だが
炬燵の中で目をつぶって丸まってうなずきながら聞いている。
圓●は先日、神奈川中央新聞での箱根の話を祖父に話してる。圓●の話が一段落したところで、眼を開けた。
「お前の話で、少し思い出してきた。記憶が薄れる前に聞いておいてよかった。爺さん、
私の爺さんだから明治生まれだな。爺さんの爺さん?ああ面倒くさい。それほど昔だったことだよ。から直接聞いたことを思い出した。お前も聞いたように大変の時代で、我々の祖先「龍の防人」は役目を果たそうとして奔走していた。小田原藩は例のごとく言っても
圓●は知らないかも知れないが「小田原(おだわら)評定(ひょうてい)」といって結論を先延ばしにするのが藩の慣わし、癖?がある。あの時も軍用金の件の返事を伸ばされたそうだ。それからいろいろあって小田原藩は新政府軍と同盟を結び、寝返ったそうだ。ここで話が終わると単純な話だが、それ後、小田原藩は新しく入る情報に惑わされ、今度は幕府軍に協力することなる。優柔不断だと思われるがこれも乱世を生き延びる技だったと言える。ここでまた、新政府軍が小田原藩に圧力をかけて来る。最終的には新政府軍の力に屈服することになる。これが大筋だ。圓●、ここまではいいな」
 圓●は頭を整理しながら、祖父の話が先日の神宮寺先生の推測した話と似ていると感じていた。
「この小田原藩の動きに翻弄されたのが幕府軍に加担した遊撃隊と呼ばれる組織を作り、新政府軍に楯をついたのが、今の千葉県の請西藩、勝山藩、館山藩の侍たちだ。その
遊撃隊は千葉から船で真鶴まで来て、小田原藩や沼津藩らと一緒に新政府軍と戦さをかまえるつもりだったが、小田原藩や沼津藩が煮え切らない態度を取るので、自分たちで行動を起こした。われわれ「龍の防人」だが、この時は幕府の命を各藩に伝える役目を負っていた。伝令のような役目だな。最後の幕府の手紙を届けたのが請西藩の林忠嵩だったと聞いている。遊撃隊を率いた請西藩の元藩主だったらしい。国を出る時に藩主をやめたので、元藩主だな。これでお前たちの話に繋がるかも知れないな。どうだ?」
「爺ちゃん、もし、もしもだけれどその手紙の内容が軍用金を与えるなどの内容だったとしたら・・・・・・・」
「もう少し早めに手に入っていれば、局面が変わったかも知れないね」
話はこれで終わりと言うように、眼を閉じた。
「爺ちゃん、まだ寝ないで。もう一つ聞きたいことがあるの、箱根の畑宿にある飛龍の滝の名前、聞いたことがある?」
薄目を開けて、「飛龍の滝? なんだそれは? わしの爺ちゃんからも聞いたことはないな」
圓●は祖父の話を整理した。遊撃隊は何処かで幕府から軍用金を受け取ったが、時すでに遅しだったのかもしれない。そこで時期を待って次の戦さのためにと、隠したのかも知れない。とにもかくにも確信に近づいてきた気がした。
 
 
神奈川中央新聞では青木の所に、神宮寺先生から定期的に情報が入っていたが。先日は千葉の木更津へ行ったことなどの報告もあった。圓●たちの情報はあれ以来入ってこない。そろそろもう一回集まってから、特集号のスタートの日を決めようと考えていた。前回の集まりの時に聞かれた件、「誰か問い合わせがあったのか」を調べた結果、電話を2~3本受けたと分かった。1本は読者とは違うような雰囲気があったが、新聞に掲載している内容しか分からないと答えたと言っている。デスクと相談して皆に集まってもらおうと作業中のPCを閉じて席を立った。
皆の予定を調整して集まったのが10日後となった。いつもの会議室で資料を持ち寄っての作戦会議の雰囲気になりそうだ。今回はすでにボードに箱根の地図と松崎町周辺の地図が貼り出されている。今回は前置き無しで青木が、口火を切った。
「皆さん、調査、お疲れ様です。私どもに逐次情報を上げていただきありがとうございます。今日の打ち合わせに準備する資料作りが楽になっています。先生からいただいた千葉の木更津での資料、市役所からの小冊子も必要な箇所のみ抜粋して添付してあります。今回はかなり絞り込まれた話になると思います。これをベースにして、次回からスタートする土曜の特集の予告を出そうと考えています。幕末の動乱期の歴史の裏側にはこんなこともあったんだと読者にアピールしようと思っています」
青木が張り切っている。神宮寺は自分の趣味で始めた事(宮彫り・龍)がこのような展開になるとは想像もしていなかった。神社仏閣に収められた宮彫りの龍が別の意味で人を翻弄させたようだ。海、川、滝など水に縁のある場所での出来事。やはり龍の導きなのか? 
神宮寺と風人が調べた千葉の木更津で起こった幕末の出来事が、青木のお蔭で出来は良くまとめられていた。木更津を出た遊撃隊は、真鶴から小田原へ、小田原から沼津へ最後に箱根での戦に敗れて、木更津の戻ったことが資料に書かれている。
神宮寺は皆が読み終わったころを見計らって、
「前回の時に出た話、幕府の軍用金がどうなったかですが、一つの推論としては、前回の推論がそれほど外れてはいないと思っています。裏付けのための千葉木更津行ですが、私はまったく気が付きませんでしたが、風人くんが帰りの電車の中で、木更津市役所を出た辺りから誰かに見張られていると言っています。まあ風人くんが感じるんだから間違いないと思います。我々の動きに反応した人がいることが分かりました。と言うことは私たちの推論を裏付けることにもなっていると思っています。
次に風人くんが箱根に再度行った時の話を聞けば、もっと納得がいくと思います」
風人は、最初に青木さんと先生とで行った箱根の話から始めた。
「丁度畑宿を過ぎた辺りを歩いていた時、前方に二人の男の人が飛龍の滝へ行く道に入って行くのが見えました。普通のハイキングとは違い、目的を持っている風で、迷いなく林道に入っていきましたのが私の記憶に残りました。その次、私一人でその道を入って飛龍の滝を目指しました。40分ほど歩いて標識通りに左に折れ、少しすると、目の前に滝が現れます。写真の通り、下から仰ぐ感じですね。午前中のまだ観光には早い時間帯なので、誰も訪れていませんでした。私はまず地形を見ます。
また、いつもと同じですが、その当時の状況を頭に描いて、もし自分ならどうする?
それから周りを歩いて回りました。足場は悪く、道も人がすれ違うのに苦労するぐらいの道幅しかありません。もし仮に一人10キロ以上の荷物を背負って行くと考えたら躊躇するかもしれない作業です。これなら追ってもそう考えると、その時の遊撃隊の別働隊は考えたでしょう。見上げて滝を見た時、ここに隠すのは難しいと考え、畑宿から来た道に戻り、芦之湯方面へ登りました。滝の上に出るイメージですね。
下からですと滝の全貌が見えません。しばらく登ると左側の柵を誰かが越えた跡が残っていました。丁度飛龍の滝の上の段にあたる所です。そこからは崖になっており、飛龍の滝の最上部です。多分、一人の人が降りたのでしょう。ロープを木にかけた傷もありました。好きや酔狂で降りる人はいないと思いますが、ある目的を持った人なら降りるかも知れません」
圓●が「風人さんは、何も使わず降りたの?」
菱◆、崖を下から撮った写真を見て、「鳶の俺でもロープが無いと降りたくないな」、
風人はさらりと「ええ、このぐらいは大丈夫だと思って、降りました」
風人の人となりを知らない人は、驚く。
圓●は聞いたがそれほど驚くことは無く、このぐらいの事は朝飯前の人だから程度にしか思っていない。
「下に降りて感じたことですが、二人分ぐらいが動ける平らな場所がありました。
写真を見てください。その先に飛龍の滝は湧水ですので、湧き出す所があります。
周りは岩で囲まれてそれ以上中へ立ち入ることは難しい場所です」
今まで黙っていた四■が「と言うことは、その軍用金、多分小判の入った箱をその滝のどこかに沈めた?」
風人がすぐに否定した。「多分、違うと思います。その場を見て感じたことですが、
一旦沈めたら取り出すことは難しいですし、隠すにはそれなりの深さがないとだめですし・・・・・・」と答えが出ない。
「私は多分、私たち以外にこの件に興味を持った人が、ここを降りたのだと仮定すると、私が以前見かけた二人連れがそれに当てはまります。どこの誰だかまだ分かりませんが、私たちも現在、すべて推測で動いています。しかし、私たちはここの神奈川中央新聞で今迄の調べたことを知らせています。それを読んだり見たりした別の
関係者がいた可能性はあると思います。彼らが知りえている情報に私たちの情報を加えて、動き始めたかもしれません。それが千葉での出来事に当てはまります。そういう意味で、神宮寺先生が言ったこと、我々の調べたことがそれほど外れてはいないのかも知れませんね」
青木が「先生、想像で結構ですが、可能性として前回のような単なるお金目当ての輩なんだと考えますか?」
「私たち木更津市役所に出向いて反応しましたので、単なるお金目当ての人たちとは考えにくいですね。私たちは幕末の請西藩、勝山藩、館山藩からなる「遊撃隊」を調べに行きましたので、その関係者ということもありますね」
圓●が思い付きのように「遊撃隊の生き残り、幕末の出来事なのでその子孫?末裔?」
「考えられますね。家に伝えられている何かの情報があって、私たちの動きに触発された可能性も無きにしも非ずです」
風人が「その伝えられた中に、飛龍の滝があったのかも知れません」
神奈川中央新聞のデスクが我慢しきれず・・・・・・
「次の予告に、幕末、戊辰戦争に隠れていた龍の証、軍用金の話をなしで、物語としては大変面白く、箱根と西伊豆の対比も素晴らしいく思えます。箱根は別として、西伊豆、松崎町の寺社が絡むともっと話が広がり、話題になります」と勝手に紙面構成まで考え始めた」
「デスク、まだ松崎町の情報が不足しています」
神宮寺は少し考え、圓●たちに提案した。
「私と風人くんは、まだはっきり分かりませんが、木更津市で顔を覚えられているかも知れません。安全には安全を期して行きたいと思っています。私たちは近々、西伊豆へ行ってきます。
圓●さんたちがあったという熊野権現の人の話も聞きたいし、石田半兵衛はもちろん、その長男:馬次郎(一仙)の資料も探し、幕末に向けて整備した松崎の町を見て回りたいと
思っています。そこでお願いですが、別な角度で箱根を見て欲しいと思っており、うってつけなのが、圓●さんたち三人、「龍の防人」のDNAを引き継いだ人たちです。
風人くんは、彼なりに推理しましたが、別の角度から貴方たちは見ることができます。どうでしょう?」
神宮寺先生からの提案、三人は承諾した。
「先生、他に何か調べることありますか? 」
それにこたえるようにして風人が「一つ気になっていたことがありまして、出来れば周辺の集落の方、昔を知っている方に聞いていただきたいことがあります。昔、畑宿に大きな滝があったそうで、その滝は関東大震災の時、崩れて分断されて、その後、諸事情があって枯れてしまったらしいのですが、「飛龍の滝」はその関東大震災やその他台風などの影響を受けなかったどうか尋ねて欲しいです。幕末のころと今の形が何らかの影響で変わってしまった可能性があるのではないかと私は思っています。よろしくお願いいたします。」
「青木さん、私たちは来週にでも西伊豆へ出掛けてきます。それまで新聞の予告は待っていただけますか? 今回の調査は、一に石田半兵衛かその長男馬次郎と初代伊八が湯河原か熱海の伊豆山で接点があったかどうか? 今の私の考えでは葛飾北斎は出会ったとしても湯河原辺りではないかと思っています。 二に石田半兵衛か馬次郎が幕府の軍資金の一部を使って新造船を造ったかどうか? 三にそのお金はどのような経緯を経て渡ったか? 海路ならば熱海、下田から陸路を使って西伊豆へ、伊豆半島を回ることは無いはずです。そうすると下田市あたりの寺社も気になります。 ここ松崎町にそのような手蔓があるとしたら、やはり寺社に関係した宮彫り師が絡んでいると私は確信をしてます。幕府は掛川藩に信頼を置いてませんし、しかしある程度の援助は行ったかもしれませんが、今迄の流れですとやはり神社仏閣を隠れ蓑として、以前の方法での受け渡しではないと思っています。掛川藩はもとより沼津藩までも弱体化した幕府ではあまり持たないを読んでいたはずです。実際に行ってみてからいろいろ検討してみます」
青木とデスクは神宮寺先生からの提案を受け入れ、少し待つことにした。
 
              ≪龍≫    
 
人見、伊庭と新しく加わった三人の集まりが持たれた。話は先日のここ木更津市役所を訪ねてきた二人組の件だ。あれから特に変わった動きはないが、急がなくてはならない。
風人と神宮寺の後をつけた仲間の一人が、立ち寄った先の全部をみんなに伝えた。
人見が二人が立ち寄った先を全部聞き、納得したように・・・・・・
「やはり遊撃隊のことを調べに来たようだな。なんで今頃来るんだ? 写真は撮ってあるな。名前も市役所で言った。顔を隠す気はまったくないと言うことは、やましいことはしていない風だな」
伊庭が「人見、すぐに調べてみた。神奈川の団体の代表のようだ。神社やお寺の彫り物を調べ、研究しているようだ。また、神奈川中央新聞から1年間にわたり、葛飾北斎と宮彫り師の記事と投稿して、それに関係して、その時に幕末の幕府の軍用金の話を知ったらしい。今回もそれと似たようなことで知ったみたいだな」
人見は自分たちの祖先が残してくれた少しの情報から今、やっとここまでたどり着いた。
「どこまで知っているだろう?どこまでたどり着いたのだろうか? 俺たちより情報を持っているかも知れないな。まずは敵を知ることから始めるか。その新聞の1年間の特集新聞記事を読んでみたい。誰か頼めるかな?」
 
※ 「飛龍の滝」・・幕末の飛龍の滝は今より雄大な滝で、上から一気に落ちる雄大 な滝でしたが、数々の天災、関東大震災、台風などがあり、崖が崩れ落ち、現在の形になったと言われる。現在は上の段と下の段とが分かれ当時の雄大な滝のイメージはないが県下一の滝と言われている。

箱根町の飛龍の滝

またいつもの居酒屋で集まり、とぐろを巻いている。店としたら無口な三人組、辛気臭いが静かに酒を酌み交わし、静かに帰っていく良い客として定着している。いつの通りの梅割りの焼酎でスタートし、いつものように周りにも溶け込まず浮いているが、それなりに店には馴染んでいる。前回の三人とちょっと雰囲気が違い、少しだけ明るい雰囲気が漂っている。
圓●が口火をを切った。
「神宮寺先生の提案どう思う。期待感一杯だよな。箱根の畑宿にある滝、知ってた?四■。知っている訳ないよな~~。俺も初めて聞いたよ。爺ちゃんも知らなかったし、ついでに聞くが、菱◆も知らなかったよな。箱根なんて久しく行ってないな」
まだ酒が入ったばかりなのに、会話が弾んでいる。四■が圓●に向かって・・・・・・
「結構、面白い話になってきましたね。出番が増えてきて、こう言っては語弊があるかあるかと思いますが、我々本来の祖先からの命に近くなってきましたね。圓●の爺ちゃんの爺ちゃんの時も何の動きもなく・・・・・・我々の代になって突然起き、最初は戸惑っていましたけれど、今迄はちゃんと役目を果たして来ていると思わないですか?」
「最初は戸惑っていたけど、それなりにやってた。今回は圓●の家が担ってた仕事だったみたいで、ちょっと気合が入るな、菱◆」
今晩は小声の会話だ。時々三人に笑顔も見える。 人に頼られる喜びを三人三様に楽しんでいるみたいだ。圓●が菱◆に向かって段取りの話に入った。「いつ行く? 菱◆、仕事はどうなんだ? 丸一日時間、取れるか? 四■は聞かなくてもOKと分かるから」
「なんだそれは? 俺だって忙しいんだ。空いているかどうか聞いても罰は当たらないと思うよ」
いつもなら圓●なら面白可笑しく受け答えするが今日は、「すまん! 空いているよな四■」いつもと様子が違う。
そんな圓●に問いかけるように四■が、「圓●、もしもだがその千葉の幕府側の連中に何処かで会ったとしたらどうする? 一昔前だったら同志だぞ。幕府のために尽くしたり、幕府の命により動いた同志だぞ」
圓●が少し考えてから「俺の気持ちより代々続く使命を全うすることに全力を尽くす。その後のことは、その場で判断する」
「ということは、誰にも手を触れさせず、そのまま次の代に繋ぐで、いいな?」
「そうだ守り抜くことだけに専念しよう。雑念は捨てて」
圓●が改まって菱◆に聞いた。「菱◆、崖を降りたり登ったりする道具手配、任せてもいいな? 四■、アクセス、現場の拡大地図、等高線図があるやつがいい。俺と菱◆が下に降りる。それからインカムも必要だ。使うかどうか分からないが水の中を覗く道具なんてあるかな。水の中に入りたくないから」
「多分見つかると思う。スキューバダイビング用の水中カメラで用が足りると思う。俺のPCに映し出すよ」
「さあ、われわれの龍の防人の仕事ががやってきた。早めに箱根に行き、風人くんから頼まれた飛龍の滝のこと、集落の人に聞いてから飛龍の滝へ向かおう」

 時、同じくして箱根と西伊豆で最後の答えを探すように動き始めた。千葉の武士の末裔(人見・伊庭たちのグループ)、西伊豆松崎町の掛川藩の下級武士の末裔(太田、鮫島・吉野たちのグループ)、幕末の動乱の時に幕府側に付いて悲運に見舞われた男たちの末裔。神宮寺先生たちが池に投げた石が波紋となり拡がり、水の底で静かに眠っていた龍を目覚めさせたようだ。それが本来、龍の持つ力なのかも知れない。龍にまつわる人、物、場所に引き寄せられて集まってくる。幕府からの命で動いた葛飾北斎も龍に踊らされ、手妻(手品)をかけられた一人なのかもしれない。

              ≪龍≫ 
 
 風人たちは再び、松崎町に向かっていた。今回は車。神宮寺先生が車を出してくれた。今回の目的は石田半兵衛とその長男馬次郎(一仙)の作品のある寺社を訪ねることだが、また、町役場にいって古い文献から当時、幕末の時の松崎町の港周辺の事情を調べることもある。
席に座って資料を読んでいる神宮寺が、
「前回も松崎町の役場を訪ねているんだよね。その時、この資料をいただいたんだよね。石田半兵衛一族のことを良く調べてまとまっています。父半兵衛の作品はこの地に残っていますが、馬次郎の作品は松崎を出た後の甲州、山梨に多くあるようですね。少しだけ下田にもあるようなことが書いてありますが、行きましたか?」
「まだ行ってません。馬次郎の作品は若いときは父親の半兵衛の手伝いをしていたそうですから師弟関係ですかね。だから銘が無いのかもしれません」「もし時間の余裕があれば松崎町以外に半兵衛の作品がある寺社を訪ねたいですね」
「ええ、今日は早めに出ましたので、多分隣接する町あたりまで調査出来ますよ。楽しみです」
事前に松崎町に連絡を入れてあったので、前回対応してくれた人が待っていた。「先日はありがとうございました。また来てしまいました。今日は私どもの団体の代表の神宮寺も一緒です」
「熱心ですね。今日は・・・・・・?」
「今回は、先日助役の方からいただいた資料にありました、半兵衛の長男
馬次郎について調べたいと思っています。それから、彼が関係した港周辺、もちろん当時の様子は伺い知れませんが・・・・・・そんな資料はありませんか?」
「難題ですね。こちらより掛川市に行った方が良いかも知れません。幕末時は、ここは掛川藩でしたからあちらの市役所ならば、あるかも知れません」結局は港までの道を聞いただけで収穫はなかった。しかし松崎町の半兵衛の作品のある寺社三つと其の内の熊野権現を紹介してくれ、連絡を取ってくれた。
「熊野権現が出てきましたね、先生。我々の動きに触発され、誰かが調べ始めたようですね。多分、神奈川中央新聞に問い合わせしたのもこちらの関係者かも知れません。圓●さんたちの話はしないておきましょう」
町役場の仲間から連絡をもらった吉野は鮫島に連絡を入れた。
「また別の連中が半兵衛のことを訪ねてきたそうだ。これからここに見学に来るようなことを言ってた。どう思う? やはりあの件と関係がありそうかな・・・・・・」
「分かった。俺は顔を出さないで陰から見ている。お前はいつも通りにやってくれ。それと相手の素性を聞き出してくれ。夜にでも会おう」
しばらくしてから役場の紹介で訪ねてきたと二人の男性が来た。一人が名刺を取り出し訪ねてきた理由を話し始めた。
「私どもは神社さんやお寺さんにあります「宮彫り」(寺社の装飾彫り物)を調査研究しているグループです。あまり感心を持たれないこの木彫りを日本の文化財としての周知活動をしています。千葉には名工がいましたが、ここ静岡にも石田半兵衛という優れた木彫りの名工がいたと聞き、調べに来ました」
丁寧なあいさつを受けた吉野は自分の名刺を差し出しながら、二人を観察した。70代の男性とその助手?のような若者。
「それはそれは、私自身、それほど興味を持っていなかったことが、最近、少しづつ気に留める方がいるようで、見学にいらっしゃいます。先日も見えまして、熱心に見られていました。名刺には龍とありますが・・・・・・?」
「寺社の彫り物の中でも龍を中心に調べています。いま調べていますのが、半兵衛の龍と非常によく似た龍を彫った方が千葉におりました。離れている静岡と千葉でどのようにしてそうなったかを調べております。幕末時に同じ時代に生まれた名工二人がと思い、千葉も行き、今回の松崎町にも来ました」
「ここに収められている石田半兵衛の龍に似た龍が千葉にもあるのですか? どれも同じだと思っていました」
「皆さんそうおっしゃいます。百人の彫り師がいれば百人とも違います。その中でも流派や師弟関係で似ているのもありますが、千葉と静岡、それも幕末の時代でどのような接点があったのか無かったのかを調べております」「分かりました、どうぞゆっくり観てください。終わりましたら声をかけてください。」
そう言って社殿の方に二人を案内した。風人は吉野権禰宜の立ち振る舞いから武道の心得があることを感じ取っていた。また、境内のどこかで監視の目を意識した。少し悪意を感じる気だが、早急にどうするとかはないようだ。吉野は社殿のカギを開けて、二人を中に入れた。静かな境内なので、二人の会話は鮫島にも聞こえていた。
鮫島は今日来た二人が、自分が想像していた人物とは違うので少し戸惑っていた。金目的で探し回っている輩だと思っていたが、研究の一環として成り行きで、ここの半兵衛に行き当たったようだ。しかしまだ油断は出来ない。熱心に見て回っているのが外から見える。写真も許可を得たらしく撮っている。大分熱心に見ていたが終わったらしく、吉野とあいさつを交わしている。後ろにいる若者は誰だ。鮫島には何か感じるものがあった。身なりそぶりは普通だが、全体に醸し出す静かなたたずまいが特別な者を感じる。
年配者の方が、吉野の向かって
「ありがとうございました。このあと松崎町周辺にあります半兵衛の作品を見て行きます。非常に参考になりました」と言って車へ戻っていった鮫島は慌てて車に戻り、後を付け始めた。
「風人くん、どう思った。私はやはり寺社の龍の彫り物が気になりました。まだはっきりとはしませんが、これから見に行く半兵衛の龍の見てから考えます」
しかし、風人は神宮寺先生の話より、我々が来たことにより風が起き、眠っていた何かが動き始めたのか、先ほどの境内で感じた・・・・・・
誰だか分からないが、我々に敵意を持っている人が眼を覚ましたと感じている。

松崎町熊野権現の龍


※ 冒頭の写真:箱根町早雲寺山門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?