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『龍の遺産』  No.16

第三章 『龍は死なず!!』


「先生、小田原まで来ると旅をしてる感じがしますね。空気と周りがそうだからでしょうか?」
風人と神宮寺は小田急線の小田原駅の改札を出た所だ。温泉に出かける人、山へ登る人、海へ向かう人など、週末でもないのに旅行へ出かける人々で改札付近は賑わっている。
圓●たちと一緒にでかけた久しぶりの想い出の地での稽古後、二週間経った。神宮寺と一緒に計画を立てていた湯河原への調査に出かけた。
神宮寺は改札付近の混雑を見ながら
「箱根は近いし、ここが日常と非日常の分岐点みたいだね。私も時間に余裕が出来たら1週間、いや2~3日でいい、のんびりとしたいね。これから向かう湯河原もいい所だね。海に近いし温泉はあるし・・・・・・。しかし今日はそれは次回にして、計画していたコースを廻ろう」
風人はメモを見ながら
「先生、九ケ所の調査ですよね。頑張って行きましょう」
神宮寺は心を引き締めて
「初代伊八の龍も見たいが、石田半兵衛の龍も見たい。また、湯河原出身の伊藤(いとう)高芳(たかよし)の作品も見たい。予習してきて良かった」
「伊藤高芳は湯河原の温泉旅館の家に生まれて、江戸で修業し、地元に戻って仕事をしたんでしたよね。見るのが楽しみです」
「湯河原まで来るとすぐ隣りが熱海市だから、彼の作品は両方にまたがっているよ」
小田原からJRに乗り車窓からの景色を眺めながら、なんとなく旅気分になってきた。彼らは湯河原駅まで行かず、その手前の真鶴駅で降りた。
「先生!ここからまずは貴船(きふね)神社(じんじゃ)へ行って石田半兵衛の作品を観て、徐々に湯河原駅に向かうんですよね」
「そう、この方が効率よく廻れますよ。風人くんとは度々歩きましたね。私もだいぶ慣れてきました。昔の人は一日30から40キロほどは歩いたそうです。考えられない」
風人は、今でも時々、そのくらいは歩いている。先生にはキツイと距離。
「先生、石田半兵衛の作品が西伊豆にあるのは分かりますが、ここ湯河原にあるのは何故でしょう? 」
神宮寺は歩きながら風人の質問に答えた。
「私の考えでは、大久保家、小田原の藩主が近くにあります、なにせ10万石の小田原藩です。江戸時代の湯河原は湯長谷藩で1万石程度ですが、長い間、混乱もなく豊かな環境で幕末まで藩が続いたそうです。そんな環境が寺社に余裕を与えたのかもしれませんね。その意味で石田半兵衛の名声を聞いて、彼に仕事の依頼が来たかもしれません。石田半兵衛の生まれた掛川藩の飛領の松崎町ではそんな余裕は無いと思います」
「仕事の依頼が湯河原や下田の東伊豆から来たと言うことですか? それならもう少し先の小田原あたりにも石田半兵衛の作品があってもいいはずですよね?」
「小田原藩のお抱え宮大工は以前話しました江戸幕府のお抱えの半原宮大工の矢内家が長い間、勤めてました。そんな関係があったから、半兵衛の作品が無いのかも知れませんね」
「しかし、私としましたら石田半兵衛と初代伊八の作品が同時に観られるのは、ここ湯河原だけです。比較しながら観てみたいと思っています。次の機会に、伊豆山神社へ行き、初代伊八の龍を見に行きたいですね」
風人は幕末の動乱期に彫り師として生きた名工とその一族、職人として己の仕事を全うすることに全身全霊を賭けていたのかも知れない。己の名声などは二の次、その証がほとんどの宮彫り師は名前が残っていない。請われて名前を入れた彫り師も存在したが・・・・・・
北斎が湯河原に来たという記録は残っていないが、伊豆まで旅をしたことは史実として残っている。富嶽三十六景の中にも湯河原からの構図はない。やはり湯河原に立ち寄ったということを隠したかったのか、別の命を帯びて隠していたのか・・・・・・
今だに謎だ。
 
              ≪龍≫
 
松崎町の防波堤の上。仕事を終えてすでに太田、吉野は座ってのんびりと海を見ている。そこへ遅れて来た鮫島が・・・・・・
「すまん、出る寸前で電話がかかって来て、手間取った。その詫びとして、その角の店の団子を買ってきた。懐かしいだろう」
昔仲間でこの先の海岸まで行く手前のこの団子屋で団子を買って食べたことを思い出している。太田が団子を食いながら、
「俺たち、昔はここから出たいとばかり思っていたが、俺たち30近くになって、どうなんだ? 俺はここ、それなりに馴染んできたと言うか諦めかな。今頃こんなことを言うのも変だが夢が飛んで消えて行ったのか。羽根をもがれたカモメになったのか」と飛びかうカモメを見ながら・・・・・・
「鮫島、小さい頃はお互い貧しかったな、吉野から神社のお供物など、もらって食べたよな」
団子を食べている吉野に話しかけるように・・・・・・
「神社のお供え物、餅が一番!! 焚き火の中に入れて、よく食べたな。昨日のことのようによく覚えているよ」
今の三人はお互いの似た境遇の中、離れることなく育ち、多少、仕事で離れたとしても、時々会って、このような時間を過ごしている。
「ところで太田、この間の話、何か情報が集まったのか? それで今日集まったんだろ?」
太田が手に持っている団子を口に加えて、カバンから新聞を取り出した。神奈川中央新聞が束になっていた。
「出来るだけ集めてみた、最初から読むとよく分かる。この間みたいに「結論だけ言え」は無しだぞ。しっかりとじっくりと最初から読んでくれ」
二人(鮫島と吉野)はお互いに交換しながら新聞をしばらく無言で読んだ。その間、太田は自分の学校の仕事(学校)を片付けていた。
しばらくして太田が二人に声をかけた。
「読んだか。最後の新聞記事に、俺たちが考えていたことと同じ内容のことが書いてある。やはり、箱根と伊豆は幕府にとってかなり重要な拠点だったようだな」
「最後の新聞の記事に今後の掲載予定が書いてある。現在、取材調査中でまとまり次第、次号が出るようだ。ということはここら辺も含くめて調べているということだ」
「これが俺たちが関連することだな。この記事の内容を整理すると、北斎が協力者を求めていて諸国を廻り、それが神社やお寺の彫り物を彫っている宮彫り師に当てはまった。
その理由が、宮彫り師は依頼を受けて諸国の寺社へ出向いていて彫っている。神社ともお寺とも関係がある。幕府はそこに御用金を隠して準備しておく。その連絡係も宮彫り師は兼ねている。千葉方面だと初代伊八と後藤利兵衛が受け持った。大山街道沿いは神奈川県の半原の宮大工集団に依頼した。今度は北斎と初代伊八が小田原まで出向き、これはまだ裏が取れてないかも知れないが、ここで石田半兵衛と会い、協力を仰いだ。ここまではいいな! 最後の部分はこの新聞の予告みたいで終わっている」
いままでずっと黙っていた吉野が話始めた、
「幕末時、石田半兵衛が松崎町出身、ここは掛川藩の飛び領地だった。ここに作品が多く残っている。うちの神社もそうだ。こんな狭い松崎町でそんな動きがあったら誰かが気付いている。松崎町ではないのは確実だ。」
「それなら掛川市か? 掛川藩が係っているということなのか? 」
太田が自分で自分推理に納得したようにうなずき、
「やはりこの二人、半兵衛と伊八の出会いは湯河原あたりだな。そして画策したのが北斎。この構図でスタートだ」
鮫島が話をまとめるように・・・・・・
「太田、学校関係から葛飾北斎の諸国行脚を調べてくれ。吉野は伝手を頼って、その当時の石田半兵衛の動き、例えば静岡の掛川へ行ったとかこの新聞の中に書かれている半原宮大工と接点があったとか、また箱根周辺との繋がりまで・・・・・・
半兵衛が出かけたとか湯河原まで出かけたとかの資料、日記とかがあれば探してくれ。多分、神社やお寺からの依頼書とか見積書とかが有るかも知れない。俺は掛川市の役所や図書館まで行って、幕末の掛川藩の資料を漁ってみる」
「分かった。鮫島、あまりそれだけにのめり込むな。お前は漁と民宿の仕事があるからな、連絡は吉野の所にしよう!」 太田の話は終わった。
「こんな宝探しが始まるとは・・・・・・子供のころに戻ったみたいだ」
「そうだな、あの頃、ずっと何も考えずのその日を過ごしていたよな。ちょっとだけワクワクしてきた」
「みんなでもう一度、夢を追いかけてみようぜ!!」
「ところで太田は学校で体を動かしているが、吉野はまだ続けているのか?
弓道を」
「ああ、朝か夕方、社殿裏の手作りの道場でやっているよ。鮫島は?」
「俺は漁で一人で船に乗っているし、潜って魚をモリで突いているし、揺れるから体幹は前より鍛えられている。時々柔道の道場で出向いているしな」
「みんなそれぞれ忘れてはいないな。太田! お前は体育の教師だし、剣道部の顧問をやっているよな。茜はまだ全国を飛び回っているのか?」
「大会があると出かけているよ。でも薙刀の大会はそれほどないから、親父が残した道場で子供に剣道を時々教えている」
「茜の小太刀は天才肌だよな。あれからもっと腕は上がっているだろうな」
「俺たち、あれ?出来るかな? 覚えているか? 高校のころ、吉野の家の裏山で毎日毎日やっていたよな。 戦(いくさ)もないのに野山を駈け廻って作戦を練って獲物を狙う。吉野が矢をつがえ、太田が攻め入って、茜が小太刀をふるって・・・・・鮫島は昔で言うと逮捕術?で捕まえる。 いのしし、鹿、ウサギを追いかけていたな。なつかしい」
「俺たちの中にまだ武士の血がながれているのかな~。下級武士だが」
顔を見合わせて笑った。
それから三人は、先祖からの話で盛り上がり、下級武士時代の先祖からの受け継いでいる武術の話で盛り上がって終わった。
吉野が「俺は石田半兵衛には子供が何人かいて、木彫りの技術を受け継いでいたようなので松崎町の役場にでも行って。それも少し調べてみる」
鮫島がため息交じりで
「幕末の時代に生まれて来れば良かった。一旗揚げるチャンスがあった。今は民宿の親父で日々の生活に四苦八苦している様だ」
三人はお互いの境遇を理解しており、引きずってはいないがやはり鬱積していたものを吐き出したいと思っていた。
三人が座っている堤防からいつものように夕陽が沈んでいくのが見えた。
 
 
神宮寺たちは真鶴駅から少し半島へ下って行って小半時で貴船神社へ着いた。長い階段の先にある社殿が出迎えてくれる。
「風人くん、石田半兵衛が50歳手前の時に彫った色々な作品がここにはあるそうです。神社の記録には嘉永元年(1848年)に出来上がったそうです。欄間、脇障子、蟇股など全部、半兵衛の作品だそうです。一番脂がのっている時の作品かも知れませんね。
明治4年に亡くなったそうですから」
「真鶴町は湯河原町と隣接しているので、ここにも半兵衛の作品があるのですね。
年代も初代伊八と重なりますね。やはり真鶴半島、三浦半島は風待ち港としての役目もありますし、重要なところだったんですね。」
「昔の海の輸送船は陸地からあまり離れず、すぐに港に入れるようにしないといけないので要所要所にこのような船の停泊場所がありますね。風待ちや今でいう台風などの時の緊急避難の港ですね。以前調査した三浦半島から江ノ島、江ノ島から小田原・真鶴半島などにありますね」
「江戸末期ごろには、たびたび外国船が伊豆半島に立ち寄って食料や物資を求めたと記録に残ってます。当時の幕府はその対応におわれて大変だったと思います。また、立ち寄ったところの藩は苦慮したと思いますよ」
神宮寺先生と風人は貴船神社の長い階段を上がりながら、この地、真鶴に課せられた当時の役割を思い描いていた。

             ≪龍≫
 
圓●たちのその後は、お互いにどちらからか声をかけるのを遠慮? かも知れないが、最後に会った時から数週間経った。お互いの近況報告のようなメールのやり取りしかしていない。圓●は四■から神宮寺先生と風人が小田原と湯河原に取材に行っている報告を受けた。
自分たちの役割、責任としてもこれからの動きを考えていた。
圓●の家では代々受け継がれているのは「西の守りの要となれ」の家訓があり、それに関する資料が残っている。曾爺ちゃんからの口伝えで、箱根の山側、西伊豆の海側の守りに狩り出されたことを聞いている。戊辰(ぼしん)戦争(せんそう)の時に話のようだ。それが例の軍資金(御用金)のことなのかは、定かでは無いが、幕末から明治維新にかけて、圓●の祖先(龍の防人)は、陰となり日なたとなり動いたらしい。幕府からの伝令も兼ねていたようだ。当時の小田原藩、沼津藩はもとより、掛川藩、駿府藩まで出向いていた。
やはりこの地に幕府からの軍資金が流れていたようだ。圓●は、その軍資金の行方を追うことに決めた。すでに使われていれば、それはそれで納得する。もしまだどこかに隠されているとしたら、それを守る責務がある。また仲間を集めて・・・・・・
今度は小田原、伊豆か・・・・・・まあ久しぶりに神宮寺先生に会うのも楽しみだし、風人の飄々とした姿を見れるのもうれしい。
まずは圓●は自分の爺ちゃんに聞くのが一番だと思った。それを資料にしてまとめようと決めた。
              ≪龍≫
 
神奈川中央新聞の社内。1週間ぶりに取材から帰った青木に間髪入れずにデスクからお呼びがかかった
「おい! 青木、ちょっと来て!」
目と鼻の先の狭い社内なのに、そんなに大きな声を上げなくてもと思いながら、デスクの所に行った。
「悪いな、お疲れの所。人使いの荒い会社なんだよ。零細企業、ブラック企業に入るな。」ご機嫌を伺うような様子で。青木はちょっと機嫌が悪そうな様子を見せながら、
「で、お急ぎの用事ですか?」
「そんなに突っかかるなよ。そろそろ続き、どうですか?」
青木はとぼけて「何の件ですか?」
「分かってるじゃない。例の土曜日の特集号。神宮寺先生が取材を始めたようだよ。」
「こっちにも連絡が入っていますよ。2~3日したら直接会って、打ち合わせをします。私もそれに関して事前に資料を集めています。今回はデスク、前よりかなり面白くなりますよ。神宮寺先生たち、西伊豆の彫り師:石田半兵衛に着目しているようです。
千葉の初代伊八の作品が一番西側に見つかったのが伊豆山神社です。それより西には未だに見つかっていませんが、ご存じの通り初代伊八は色々な所から依頼があり、
彫りに出かけて作品を納めています。また、弟子と一緒に旅をしたことも資料に残っています。」
「弟子の久八(名古屋出身)と一緒に名古屋まで旅をしてます。また、これからが興味を引く話ですよ。デスク!!」
青木は資料も見ずに話している。デスクは余程ネタとして面白いのだと普段の青木を見ていたので感じた。
「伊豆山神社が伊八の作品の最西として、途中の湯河原に初代伊八の作品があります。社殿の向拝のほかに飾り屋台にも彫っています。銘も残っているそうです」
デスクが青木の話に割って入った。
「その石田何某との・・・・・・関係は?」
「まだ石田半兵衛と初代伊八が出会ったと言う確実な資料の発見はありませんが、石田半兵衛が初代伊八をリスペクトしていたのは本当だと思います。
石田半兵衛の龍と伊八の龍に類似点がかなりあります。同じ時代に生きていた二人が出会っていた可能性は十分にあります。石田半兵衛には子供はいまして腕の良い彫り師が育ち、長男、次男、四男のその作品は素晴らしいです。話が逸れましたね」
「ここからは推測と思い込みですが北斎に協力していた初代伊八と伊豆の
名工:石田半兵衛と出会ったとした? デスク、何が起こると思います?
それを繋いだのが初代伊八だったら・・・・・・」
「そう、例の江戸幕府の軍資金の話が出てきますよ。まだまだ資料を集めないといけませんが、これは行けますよ。神宮寺先生が戻って来ましたら、一度、打ち合わせしませんか?」
デスクと青木は既に次の特集の案を考えていた。
「デスク、まだまだ話すことがありますが、我々が集めた資料と先生たちが湯河原、小田原で持ち帰った資料の照らし合わせてからと考えています。特集の内容をその時に決めましょう!」

              ≪龍≫
 
神宮寺と風人は真鶴町の貴船神社をあとにして、海岸沿いに湯河原方面に向かって歩いた。
「やはり石田半兵衛が伊豆随一の木彫り師と言われたのがわかりますね。半兵衛は
西伊豆の松崎町の生まれでしたよね」
「そうです。彼の作品はやはり伊豆に数多くあります。南伊豆町、伊東市、下田市にあります。彼は山梨、甲州に移っていますので、身延、南部、御坂、都留などにも作品があります」
「これら行く子之神社は石田半兵衛と、すぐそばの醍醐院は次男:冨次郎(希道斎)があります。比較できるので興味深いですよ」
貴船神社から小1時間ほど歩いて着いた。階段を上りまずは子之神社へ向かった。
頭貫には二匹の龍、向拝には宝珠を持つ龍、木鼻は獅子と獏、拝殿の蟇股には中国の故事や日本神話が彫られている。また、拝殿脇障子には関羽と張飛が彫られている。
階段を下りるとすぐ隣に醍醐院がある。次男冨次郎の向拝の龍虎が眼に飛び込んでくる。半兵衛一族は伊豆半島以外にも活躍の場を見つけたようだ。
二人はまた海岸沿いの道を湯河原駅方面に歩く。道沿いに素鵞神社の看板を見つけ、その脇へ入るとすぐに鳥居が見えてくる。
「先生! ここですか! 初代伊八の龍があるのは・・・・・・」
「今日は、宮司さんに連絡を入れて、飾り屋台を見せていただけることになっています。今回は特別に」
「え~~。本当ですか。普段は見れないですよね。期待が膨らみます」
「まずは拝殿の龍を観ましょうか。伊八が40代前半の時の作品だと言われています」
二人で本堂を眺めたり、写真を撮ったりしていたら宮司さんが車で到着した。階段わきの建物のカギを開けた。中には当時は煌びやかだっただろう屋台が現れた。時を重ねた風格がある装飾された飾り屋台。柱には伊八得意な昇り龍と下り龍が彫られている。二人はしばし見とれて、写真を撮るのも忘れている。この屋台は後藤利兵衛の師匠である後藤三治朗恒俊との合作となっている。
「初代伊八と後藤利兵衛の師匠の後藤三治朗恒俊の作品が同時に見れるのはここだけ、素晴らしいものだ」改めて宮司さんにお礼を言い、しばらく写真を撮ったり、眺めた。湯河原に来た目的を全部果たした。しばらくはこの余韻に浸れそうだと二人は思った。宮司さんがまた特別に拝殿内を案内してくれた。中に入ると欄間の初代伊八の一対の龍が飛び込んできた。
やはりここで何かがあったのではの想像が段々確信に変わってきた。
 

湯河原町醍湖院の龍(小沢希道斎作)


※ 冒頭の写真:湯河原町醍醐院の本堂


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