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   『龍の遺産』  No.10

第二章 『龍が覚醒(めざめ)る』      

   江戸幕府と宮ケ瀬 半原宮大工(はんばらみやだいく)

   

【登場人物】
神宮寺先生(宮彫り研究家)

「探龍倶楽部)代表。退職後、宮彫り調査研究のため、寺社を歩いて訪ねている。
以前は神奈川県を中心に調査していたが、現在は、千葉・東京・静岡など、関東一円まで足を伸ばして調査している。
特に現在は、彫り師の系図や龍の作品を探すことに没頭している。
皆から親しみを込めて「の先生」と呼ばれている。
 
風人(ふうと):本名は「かずひと」
定職につかず、アルバイトをしながら生活している。
神宮寺先生と出会い、宮彫りに興味をいだき、意気投合した「龍の先生」の手伝いしている。まだ二十代半ばだが、IT社会、デジタル世界が氾濫する現代の中で、それを頼らず、日本人が忘れかけている慎み深さやたしなみなどの「日本の美学」を持っている。
外見はひ弱な優しい青年。しかし、子供のころから風のように野山を駆け巡り、合気道、古武道で「龍」のようなしなやかで強靭な肉体を作り上げた、そして、独自の技を習得。生き方も自然体を崩さない。
いつしか皆が「風のような人」「風の申し子」・・・風人(ふうと)と呼ぶようになった。
望月さん(神宮寺先生の協力メンバー)
  龍が好きで、車の運転が好きで、手足となって手伝ってくれる。女性、
青木記者(神奈川中央新聞の記者)
  自分が書いた記事で、いろいろな出来事が動き始め、神宮寺先生とその
  仲間を巻き込み解明に奔走する。
デスク(神奈川中央新聞チーフ)
  神奈川中央新聞の青木記者の上司。このプロジェクトを理解し、後押し
  をしてる。
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圓(まどか)●
  「龍の防人」のリーダー。代々受け継がれた家訓・家命を、複雑な思
  いを持ちながら、守り抜く覚悟がある。現在はスポーツジムのインスト
  ラクターとして働いている。女性。
菱沼(ひしぬま)◆
  圓と同じく「龍の防人」の一族の家系の一人。圓とは主従関係。 
  現在は、鳶職。
四方(しかた)■
  圓と同じ「龍の防人」の一族の家系の一人。現在はIT関係の会社の
  プログラマー。情報収集と解析の専門家。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小野田 勇
  小野田興業の社長、本厚木に事務所を構え、金融業を生業としている
  が、実は地元のテキヤ。
北島
  小野田興業の幹部の一人。小野田の右腕となっている。
原田
  小野田興業の社員。昔から乱暴者として地元ではちょっと知られてる。

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ここは神奈川の小田急線の本厚木駅。ひらけた北口のバス乗り場のある反対側の静かな南口。改札を出た所に新しい道が横切っている。駅を背に300メートルほどまっすぐに進んだ所にある古い縦に細い8階建ての雑居ビル。ほとんどの人が知らない、胡散臭く思える会社? 事務所などが入っていそうなビル。
一般の人には縁が無く、決して入らない築50年以上たったビル3Fに金融業の看板を出しているが、本業は、地元で小規模な反社会的団体?と称されている、俗に言う地回(・・・)り・テキヤ家業の小野田興業。地元の神社の例祭やお祭りの仕切りや地元商店街のもめごとの仲裁をしたりを、生業(なりわい)としている。
本来の金融、金貸し一本で食べて行きたいのだが、同業者が多いここ本厚木なので、ここ数年前に参加の小野田興業のような新参者には厳しい状況だ。仕方なく親の代、その親の爺さんの前々から代々続いている古い稼業で細々と食いつないでいる。社員十名程度と受付の女の子1名の小所帯.いつも半分近の社員は近郊の祭りやイベントに手伝いとして狩り出されている。
本当に使い物になる社員は2~3名ほど。残りは金魚の糞?程度だが、心根が優しいと自分では思っている社長の小野田は、その金魚の糞程度の社員を切り捨てられない。
この優しさがアダになってずるずるとなっての今だ。
昼下がり、使い物になるうちの一人が小野田のデスクに寄って来た。40歳になる手前の中堅どころの社員、北島だ。
「小野田さん!」
 小野田興業では、社内では役職名ではなく、苗字で呼び合っている。
その方が世間体的に受けがいいと勝手に小野田は思っている。
「小野田さん、私は自宅で神奈川中央新聞を取っていまして、その中でこんな記事を見つけました。ちょっと見てください」と小野田の机の上その新聞を置いた。
小野田は、今日は午後から何も予定はなく、机の上に足を投げ出している。
眼だけ置いた新聞に向け、それから北島に向かって面倒臭そに・・・・・・
「どの記事? 要約して説明して」 
小野田は最近、小さい文字が読みにくい。まだ60手前なのに眼の衰えが進んできている。
いつもの事なのか北島はすぐに説明を始めた。
「この神奈川中央新聞の土曜版の特集が面白いんですよ。毎週土曜日の朝刊の半面を使った特集記事です。小野田さん! 絶対、興味を持ちますよ」
老眼鏡をかけたくない小野田だが、それだけ北島に言われると仕方なくデスクから足を降ろし、デスクの上の眼鏡をかけ、読み始めた。
その記事は神奈川中央新聞の青木という記者が書いた「謎多き天才絵師:葛飾北斎と名工の宮彫り師たち」の記事の第三回目だ。読んでいる内容は、北斎が宮彫り師の協力を得て、幕末の動乱期、諸外国や薩長などの動きに対しての備えとして、軍備、軍資金を各地区へ分散して、隠したかも知れない話(徳川埋蔵金)になっている。仮説であるが、史実に則して書いてあるし、調査の方法・経過など詳細を克明に書いてある。今読んでいる
第三回には、当時の江戸幕府の守りとして最大の脅威は諸外国の船で、中国の事件(アヘン戦争など)で、外国の船に対して脅威を感じている江戸幕府の動き、まずは海岸線の防衛のため、江戸湾内の守りのため、横浜、横須賀、三浦半島、そして対岸の千葉の房総半島の軍備強化・補強を図ったことが、調査結果の報告が紙面に載っている。次回の予告として、西からの守り、街道沿いの防衛に関して、東海道、大山街道などが重要なので、そこを掘下げて掲載する予定だとのこと。これはその当時、幕府に対する国内の動きが怪しくなってきており、それに対する対策のためだった。
「要約すると・・・・・海からの攻めに対する防衛のためと反幕府勢力に備えるため、軍資金をどこかに準備した?と言うことだなあ」
まだのんびりと構えている小野田。
「なになに、陸の防御の第一の砦は箱根。それを越えて攻めてくる敵、反政府軍をここら辺で迎え撃つ。面白いね~~。この新聞の第三回では、海側の防衛のために隠した軍資金の痕跡は見つかったが、既に見つかって無くなっていたと書いてあるな。横須賀、三浦半島かで、第二次世界大戦時に軍が見つけて使用したようだと書いてある」
「面白い記事でしょう。ちょっと興味が湧き、私、調べたんです。幕府に対して反感を持つ西からの敵に対しての守り方を。まずは箱根の山々の自然の防衛線、次は相模川が第二の防衛線ではないかと・・・・・・多摩川は最後の防衛線でしょうか。」
少し前のめりになり、小野田に顔と近づけて・・・・・・
「次回の記事では、ここ大山街道沿いの調査内容を記事にするようです。この厚木といったら大山街道でしょう」
小野田、ちょっと興味を持ち始めた。
「北島、お前、よく見つけてきたな。さすがに二流大学卒エリート! お前、確かこの新聞、神奈川中央新聞は伊勢原に本社があるよな。本厚木に支局は無いのか? そこに誰か知り会いはいないか?」
小野田は椅子にもたれかかって・・・・・・
「北島、俺は顔を出すことが出来ないから、もっと情報を集めて来てれ!」
「それからこれは第三回だから、第一回と第二回を持って来てくれ。読みたい」と間伐入れずに言い出した。
言われた北島はまたいつものことだと了解し、情報を集めにいそいそ出かけた。
小野田は、もう一度北島が自宅から持ってきた新聞に眼をやり、これは退屈しのぎになりそうなネタだと・・・・・・
それにもしかしたらの万が一の一攫千金?狙えるかも?好奇心が湧いてきた。
まずは情報をあつめて、次号の内容を読んでからだなと思った。

            ≪龍≫
 
「先生、バスもいいですね。のんびりゆったりして、この丁度いいスピード感が自分にぴったりです。」 
風人は車窓から流れる新緑の山並みを眺めてる。
小田急線の本厚木駅から5番のバスに乗り。煤ケ谷経由で、宮ケ瀬湖まで30分ほど。
駅前の喧騒から10分離れると、山が近くなる。これから向かう宮ケ瀬湖は、人口湖。
どこの交通機関からも多少時間がかかるが、そのお蔭で自然豊かな景観が残っている。電鉄会社や宮ケ瀬湖に携わる人たちは、もっと人が集まるようにと思っているが・・・・・・
自然豊かな環境に囲まれた山々は、宮ケ瀬ダムで水を堰き止めたお蔭で湖の周りの山々が丁度良い目線に入る高さのハイキングコースとなっていた。
「宮ケ瀬ダム関係の知り合いの人から相談を受けての今日ですが、私どもの本来の調査とも重なるし、一度、現地を見てようと思っていました。風人くんが空いていたので、助かりました。この頃、自分の記憶が信用出来なくて・・・・・・、メモっても駄目ですね。風人君が助太刀してくれると本当に助かります」 
バスは宮ケ瀬湖に沿って走り始めた。
「ダムの水が少ないようですね。半分ぐらいですか??」
「普段も70~80%%程度のようですよ。大雨の時に備えて、満杯にはしないそうです。
これは受け売りですが。でも最近雨が降らず、少し減っているように見えますね」
車窓から流れる景色。左側の宮ケ瀬湖を眺めながら、風人は新緑の香りを味わっていた。
そんな風人を見ながら神宮寺は「本当に風人くんは、自然の中が似合うな。都会では自分の存在を隠しながら、いつも気にして生きているみたいだ。自分を殺してまで他人を気にし、気付かっているように思えてならない」と思っている。
普段なら「ここら辺の寺社の彫り物は・・・・・・?」とか「ここは半原が近くにあるので、素晴らしい寺社があるのでしょうね」などの質問が来るのだが、今日は、窓の外の景色に酔いしれている。
「今日、訪ねる前に下調べをしてきましてね。私も講演で日本の三大宮大工として紹介していました半原宮大工ですが、あまり勉強をしていないことが分かりました。こんなに一番身近にあるのに・・・・・・」
 神宮寺は宮ケ瀬湖周辺地域全体の背景、特に江戸(東京)との関係を調べたようだ。
ここ宮ケ瀬地域は昔から山からの恵みで生活をしている地域。森林があり、山の幸が豊富で特に豊かな森林資源があり、各方面に建材として出されていた。文献には家康が江戸城に入り、江戸時代が始まる以前から、江戸城がすでにあり、長禄元年(1457年)太田資長(道灌)が築城し、天正年(1590年)に徳川家康が入城し居城となったそうだ。
1603年に江戸幕府を家康が開いた。その後も長期に渡り普請は継続されました。
家康は、この江戸の地形を非常に良く理解しており、江戸はその時代から水路(舟入)が多くあり、物資の輸送にとって、非常に便利な地形だった。江戸時代もそうだが、それ以前の輸送も水路を利用している。ましてやこの時代、新しく道を作ることは大変な作業だった。隅田川、荒川などの川には、その葉脈のように入り組んだ水路があり理想的な場所だった。
宮ケ瀬周辺の木材を中津川から相模川へ、そして船で江都へ運ぶ。また、江戸城の石垣は瀬戸内海から海路で運んできたと言われている。
木材は陸路と水路を使い。切り出した木材を建材用に加工して、江戸に運ぶ。現在の愛川町の半原地区一体はそれで賑わったと言われている。
 
「以前に話しましたが、ここの半原宮大工集団は江戸城と切っても切り離せないほど密接な関係で、家康の入城後しばらくしてから改築、増築、修繕などに携わってきました。
その半原大工集団の主たる匠家の一つがが、矢内家(やうちけ)です。初代矢内右兵衛安則(前柳川家12代目・1766~1834)は、それ以前の立川家の工匠技術(彫工)を継承しておりました。
立川流宗家はずっと以前から幕府御用大工として携わってきました。その後、小田原の大久保家のおかかえ大工となり、またその後、江戸城本丸作事方となり。その技術の高さにより、幕府から一代限りの「柏木」の姓を許され「柏木右兵衛藤原安則」と名乗るようになりました」。
「そして13代柏木徳太郎、14代柏木右兵衛高光へと繋がります。高光も嘉永元年(1848年)には、苗字帯刀を許され、将軍家の作事方を申し受けされました。その後、「矢内」の姓を許され「矢内但馬藤原高光」と名乗りました。」
「これで分かる通り、幕末までずっと江戸城を支えており、1852年には西の丸の普請を初めとして竹橋御門番所、表冠木御門、御玄関上屋敷など数々の普請にも携わっています」
「19世紀初期以降は神社仏閣の建造でこの矢内家は活躍し、15代稲太郎高徳、16代稲雄高秀まで受け継がれました」
先生の話はバスの中でまだ続いた。
「先生、もうすぐ着きますから、続きは後日お願いします」

            ≪龍≫ 

季節は都会のサクラは終わりだか、山桜が楽しみが少し残っている丹沢の里山。これから新緑のシーズンがやって来る。しかし今年は雨が少なく宮ケ瀬湖の水も半分以下になっている。そんな季節の変わり目など眼中になく、味わい方を知らない・・・・・・圓●たちは・・・・
いつもの居酒屋に集っていつも通り。この1~2ヶ月、集まりがめっきりと少なくなり、久し振りの顔合わせだ。
3月まで頻繁に会っていたが、事が落ち着き、少しづつ皆が普通の生活に戻って来ている。
それもいいのだが、少し物足りない三人。いつものように三人の前にはいつもの変わり映えしない乾き物のツマミと焼酎のお湯割りが並んでる。だれもその辺はこだわりがない。
三人しか聞こえない会話が常だが、今日はその会話も少ない。
「あいつら、またどこを調査しているのかな?」
独り言のように四■がつぶやく。
「あいつらって、あの爺さんたち? コツコツと宮彫りの龍捜し歩いているじゃない?飽きずに」
「俺たちもあんなことがなければ、真剣に木彫りの龍探しをしていないよな」
まだ若いのに姉御肌になった圓●に菱◆がグラスに焼酎を継ぎ足しながら・・・・・・
「あの若いの、風人とか言いましたよね、今思うとなんと言うか、凄いと言う言葉で表していいのか分からないけど、印象に残りましたね」
四■「俺、目の前で見ていたが、スローモーションのように今でも脳裏に焼き付いている。
圓●の方が近くでみていたんだろ?」四■はいつも圓●にため口。
グラス片手の圓●が、少し上を見つめ、思い出そうとしている。しかし、首を横に振る。
「断片しか思い出せない。気が付いた時は、風人が目の前にいて、奴らの親玉の龍一が俺の後ろに放り投げられていて、ひっくり返っていた。途中があんまり思い出せない」
菱◆も裏山での出来事を二人に話をしていたが、「相手のやつもそこそこ修業している連中だよ。木刀を持った奴、龍二と言う名前だったっけ、俺は素手でやつを相手したくないね。奴はそれを竹林に誘い込んで、全ての攻撃をかわし、当人は何もしていないようだが、違う。自分からは攻撃を仕掛けない、相手を怪我をさせないからか分からないが、だけどいつの間にか相手が負けているって感じ?」
想い出話ばかりに浸っている。会話も途絶えがち。
 
「圓●、菱◆、二人ともちょっと気が抜けてるね。刺激が欲しい? 俺が奴らが今、何をしてるか調べてこようか?」
四■は二人の顔色を伺いながら。
「その前に、例の新聞、神奈川中央新聞の毎週土曜日の特集記事。かなり好評だったみたい。載っていた神社やお寺に彫り物を見に来る人が大勢いたみたい。神奈川県内の身近な所にこんな素晴らしい彫り物があるんだと驚いたようだ。俺たちもそれなりに詳しくなったよな、宮彫りに」
二人を交互に見て・・・・・・
「爺さんたち、もとい神宮寺先生たち、宮彫りの龍調査をしていると思うけど、俺たちもそれなりに粛々と地道に調査した方がいいじゃないかな? まだあるんじゃないの?例の御用金が何処かに」
圓●が釘をさすように・・・
「何かあれば連絡くれるって言ってたから、それからでいいじゃないの?」
三人は、気になるのに興味が無いように振る舞っている。
圓●が思い出したように二人に話し始めた。
「ところで龍一たち、その後、どうなった?」
四■「この間、事務所探り行ったけど閉まっていた。人の話だと龍一は腰を痛め、当分は車椅子らしい。しかしリハビリすればそれなりに回復するらしいよ。もう懲りただろうし・・・・・・」
「また、逆恨みして風人を襲うかな?」
「まあ、時々我々が奴らの動きを監視して、何かあれば風人に知らせればいいよ」
「四■、まあとにかくまだ終わってはいないし、爺さんたち、もとい神宮寺先生たちの動きも気になるし、時々、覗いてみて」
三人の会話はそこで終わった。

             ≪龍≫ 

「わざわざ神宮寺先生に遠くまでお越しいただきましてありがとうございます」
(※)DMO活動として専任の担当者がわざわざバス停まで、出迎えてくれた。自然豊かな宮ケ瀬湖周辺なので、夏場はキャンプ、ハイキング、カヌーなどの水遊びなどで賑わっている。都心に近い割にあまりアクセスは良くないが、その分、自然が残っており、アウトドア派には重宝されている。しかし、他の季節の時は、かなり集客に苦労があり、今後の課題となっている。今回の依頼は、宮ケ瀬湖を囲む市町村が一体となって、観光客の増幅のため、新しい観光資源の発掘が必要となり、その相談を兼ねての訪問となった。たった一つの市や町の観光資源で努力しても、なかなか観光客の集客には厳しい時代になって来ています。そのため、周辺のこれにかかわる市町村が一丸となって、他にはない、新しい切り口の観光資源を探しているようだ。
「お世話になります。今日はロケハンと言う気持ちで伺いました。まだ何も私どもから提案出来る状況ではありませんので、それはご了承ください」
先生は事務所に入るなり、各担当に名刺交換しながら誰にでも同じ挨拶をしている。
助手とし連れてこられた風人も名刺を受け取りながら、挨拶を交わした。
担当の方が「神宮寺先生、宮ケ瀬湖には来られたことがありますか?」の
質問に、

「調査としては宮ケ瀬湖の周辺を2~3回ですが、その他子供が小さい時に連れて夏休みの時に1~2回来ています。いい所ですね!」
「風人は初めてだよね?」
 うなずく風人。担当の方から・・・・・・
「今回はいろいろと相談がありますが、先ずは神宮寺先生が専門の「宮彫り」について、スタッフ一同に簡単に説明していただけませんか?」
事務所の会議室に案内され、スタッフの方に説明することになった。今までの調査内容や、研究している「宮彫り」の芸術性や文化財としての意義を話した。最後に・・・・・・・
「まだ掘り下げて調査は出来ておりませんが、この宮ケ瀬湖周辺には、昔から宮大工の集団があり、特に江戸城との関係が密でした。皆さんがご存じの愛川町の半原地区です。通称、半原大工と呼ばれております。また、この周辺にはその半原宮大工が携わって作られた建築物は沢山あります。おりからの寺社参りブームと御朱印ブームもあります。鎌倉などの観光化した所の御朱印をいただくのは一般化しておりますが、今後、その方たちが望んでいるのは希少価値のある寺社の御朱印や御守りです。その意味では、この地区は大変魅力がありますし、観光資源として発掘し育てる意義があると思います。
また、新しく何かを作るのではなく、今ある資源を再開発、再利用して活用できると思います。今、皆さんが進めていらっしゃるDMOの検討材料になると思います」
神宮寺の話は終了した。
 
※   DMO(Destination Management Organ
  ization)
  観光物件、自然、食、芸術・芸能、風習、風俗など当該地域にある観光
  資源に精通し、地域と協同して観光地域づくりを行う法人(JTB総合
  研究所から)

 
聞いていたスタッフの人には、今一、会議室の中では「宮彫り」を理解するのは難しそうだ。普段、寺社にお参りしていても、なかなか社殿、本堂の彫り物までは観ない。神宮寺は度々の講演でその点は理解している。そこで神宮寺は・・・・・・
「一つ、私がここ半原で観て驚いたことがあります。多分、皆さんは行かれたことがあると思います江の島。江島神社の赤い鳥居をくぐって階段を見上げますと白い門があります。
「不老門(ふろうもん)」と言います。半原大工、これはこの地区の矢内右兵衛高光の作品です。これだけではありません。その原型といいますか、そのモデルとなった山門が「不老門」の80年以上前にここ半原地区に作られております。龍福寺(りゅうふくじ)の山門、拈華関(ねんげかん)です。高さ9m、幅5.5m、奥行き3.7m。もちろんこれも半原大工の作品です。まだ私は未調査の寺社がだいぶありますが、中津川沿いの厚木地区、相模川を下り茅ヶ崎、平塚などの寺社も多く手がけております。また、相模原の藤野町、八王子地区も数多く手掛けております。私が現在まで調べただけでもこれだけあり、驚いております」
みんなが知っている実例を出すとそれなりに反応があり、少し驚いて、隣同士話始めます。司会進行している担当者が・・・・・・
「質問などがあると思いますが、次回また来ていただこうと思っていますので、今日はここまでとします」
その後、関係者の二人が残って、この会議室で今後の打ち合わせと企画提案などを話し合った。
風人は会議室から見える景色に魅了されている。
「きれいは景色ですね。特に今の時期は若葉の季節なので、緑が鮮やかですね」
「今年は雨が少なく、湖の水位も下がってしまったので、少し残念です」
話が湖の水位が下がったことに触れたので、担当者が・・・・・・
「あとで神宮寺先生に見ていただきたい神社があります。お時間は大丈夫ですか?」
「これから車でご案内しますが、宮ケ瀬湖の水位が下がったお蔭といいますか、湖に沈んだ昔の村が顔を出しまして、その中に神社の赤い鳥居が見え始めました。旧熊野神社です。
新しい熊野神社は、ここの施設からそれほど遠くないところに新しく出来ております。
旧熊野神社はかなり古く、社殿は移転するには耐えられないほど傷んでおり、そこで新しく建て直しをしたそうです。文献によると過去何回も再建されており、最後の社殿の修復は幕末のころらしいです。なかなか観ることができないので、今がチャンスですので、是非観ていただきたいと思っています。」
宮ケ瀬湖に沿って車を走らせ、一般の人の立ち入り禁止区域に入った。車と止め、昔、道だったところをすこし下ったら、水面から三分の一ほど鳥居が顔を出しているのが見えた。社殿はまだ水面下だが全体のシルエットは分かる。それほど大きくなく村の鎮守としての神社だ。水が澄んでいるので、社殿の正面が見える。龍の彫り物が向拝にある。
腐食が冷たい水の中で抑えられたのかもしれない。
「見えますね。龍の彫り物がありますね。水没する前に、取り外さなかったんですかね?」
神宮寺は風人に写真に収めるように頼んだ。
担当者は・・・・・・
「詳しいことは分かりませんが、当時の村人は嫌がったようです。あの龍の彫り物だけ外すのは・・・・・・祟り?迷信?分かりませんが、 龍は水の中に棲んでいると昔から言われているので、そのままにしたようです。それから言い伝えで、龍の彫り物を外してはいけない、そのままにしなければならないと代々語り継がれていたようです」
宮ケ瀬湖の担当者は、水面下の社殿を見ながら話した。
社殿の向拝に配する「宮彫りの龍」は、水面下でもその荘厳さは失われてなく、今にも飛び出して水の中を泳ぎだしそうに見える。
「そのような訳で、そのまま湖の沈めたようです」
「大変興味ある話ですね。多分、村の長老さんに聞けば、もっと詳しいことが分かるのでしょうね。私どもここ最近、龍にまつわる話で、いろいろ調査をしていまして、多分、お読みになったかもしれませんが、神奈川中央新聞に特集を組んで、連載しております。
先週までは、海側の横浜、横須賀、三浦半島などの話でしたが、3週間ほど間を置いて、山側、ここら辺丹沢山系の特集記事になります」
すでに構想は出来上がっているだが、今日また新しい情報が手に入った。
ここに来る前に風人と打ち合わせをして、「半原宮大工と江戸城」をここ宮ケ瀬周辺への観光の目玉としようと考えていたが、新たなプラスアルファ、もしくはこちらの方が目玉になりそうな素材が出てきた。これは青木さんも飛びつくネタになりそうだ。
「多分、またお邪魔すると思いますので、うまくそちらとの時間調整が出来ればと思います」
担当の方に挨拶をして、宮ケ瀬湖から本厚木行きバスの本数はあまりないので、早めの帰り支度をした。
帰りのバスの中で、神宮寺は・・・・・・
「風人くん、やはり車がないとここは不便だね。望月さんに今度は同行してもらいましょう」
「運転手として、お願いするんでしょう! それも車付き」
「望月さんも興味のある話でしょう。来ますって、必ず。僕から連絡を入れておきます」
「風人くん、さっきの話、どう思う? 湖に沈んでる神社の話? 今度来るときには、この地区の長老の話が聞けたらいいのだけれど・・・・・・」
「それと風人くんは気付いたと思うけど、向拝の龍が正面を向いていますね。珍しい構図の龍です。多分、あれにも意味があると思います。多くの龍の彫り物は左右どちらかを向いて彫られているのに、何処かを睨んでいるように見えますね。帰ったら龍の睨んでいる方向を地図に落とし込んでみましょう」
「写真を撮っている時、気付きました。先生といろいろな龍を見ましたが、正面を向いている龍はそれほどありませんでした。」
「今度、来るときは村の長老か当時の惣代さんがいれば、いろいろ興味のある話が聞けそうですね。僕の勘ですと、例の幕末の件に繋がると思いますよ。多分。先生、帰りに青木さんの所に顔を出しませんか?」
「もし、不在でもデスクがいらっしゃると思いますので、次の記事の下打ち合わせは出来ますよ」
「風人くん、この龍の彫り物の話はまだ二人だけの話にしましょう。勝手に興味本位で騒ぎ出して、一人歩きしてしまわないようにしましょう。青木さんには旧熊野神社が見つかっただけの話にしましょう」
せっかく本厚木まで来たし、まだ時間もあるので、二人は、伊勢原まで足を伸ばした。
運よく青木さんも会社におり、久し振りとは言っても1カ月半ぶりの顔を合わせてのミーティングとなった。
神宮寺たちを見つけて、デスクが近づいてきた。
「お疲れ様です。その節はお世話になりました。あの特集記事、大変好評でして、次はいつ出るのかと問い合わせも数多くあり、我々も喜んでおります。青木から聞きましたが、今日、宮ケ瀬まで行かれたとか伺いました。
DMOの件でしょう?」

デスクの言葉を繋いで神宮寺が・・・・・・今日の出来事や内容を説明した。
「それは大変面白い!! また新しい切り口で展開出来そうですね。なあ
青木」

「ひょんなことから、干ばつのお蔭と言ったら語弊があって怒られそうですが、神社が湖底にありましたか? それとその向拝の龍の言い伝え、迷信なども面白いですね。例の話に絡んで来たら・・・・・・もっと話が拡大しそうですね。また、最初の一件(高部屋神社の出来事)も絡んできたら最高ですね」
自問自答しながら・・・・・・
「かなり欲張りな夢ですね。でも無いとは言えないし、これから調べて行くうちに、出て来るかも知れませんね」
「そうでしょう、あの人たち(圓●たちグループ)にも協力してもらいましょうよ。ここら辺の資料とか情報とかを持っているかもしれません」
「横浜、横須賀、三浦半島では、既に発見され使われて無くなっておりましたが、ここではまだ手つかずの幕府の資料や御用金などが見つかる可能性はありますよ。まだそのような出来事や話題が新聞ネタでは今まで出てませんから」
 青木、しばらく考えて・・・・・・
「ここ50年くらいの情報を新聞などで集めてみます。またまた面白くなってきましたね」
デスクが先生に向かって・・・・・・
「次回、宮ケ瀬湖へ行く時、青木も同行させてもらっていいですか? 先方の新しい企画が新聞掲載となれば喜ぶでしょうし・・・・・・また、その地区の長老の話も聞きたいですね。車は当社の車を出します」
「我々はまったく問題はありません。宮ケ瀬の先方に了解を取っておきます。」
話しはスムーズに進み、今後の新聞の製作スケジュールまで行き、次回の特集号を少し伸ばし1か月半後を目安にすることで調整することになった。
帰りの電車の中で神宮寺が・・・・・・
「望月さんはまだヨガ教室へ通っていますかね。圓●さんと連絡、取れます?」
「多分大丈夫だと思いますよ。先日もヨガの話をしてましたし」
「私が望月さんに連絡を入れてみます。もし時間があれば風人君も一緒に話しませんか?」 
                ≪龍≫

久しぶりの事務所での打ち合わせとなり、圓●と四■も同席することとなった。
神宮寺の事務所が入っている施設の会議室を借りての打ち合わせとなった。
圓●、顔を会わすなり、神宮寺先生と風人を懐かしそうに二人が見て・・・・・・「ご無沙汰してます。」 
平日なので望月さんは来れなかったが、今日の集まりは圓●を通して知っていた。
後ろから四■が、遠慮気味に頭を下げながら
「その節は・・・・・・」と消え入りそうな声で、後は聞こえない。
「こちらこそ、お元気でしたか? もう3ヶ月ぐらいになりますかね~」
と先生が場を和ませてから、会議室へ案内した。
「こちらはいつも通りでして、皆変わらず元気にしています。本当は今日、ご紹介しようと思っていました神奈川中央新聞の青木さんが、別の取材で来れなくなり、残念です。
土曜日の記事の反響などを青木さんから直接お伝えしたかったのですが、
次の機会ということで」

いつものように会議室は教室のように教壇があって、生徒の机を向い合せ。神宮寺は今日は教壇に立たず、皆と一緒にめいめい好きな机に座り輪になってという感じとなった。
「今日、圓●さんと四■さんにおいでいただいたのは、私が、この間、神奈川県の2市、1町、1村に囲まれています宮ケ瀬湖、ここを管理しています行政の団体からの依頼が来まして、宮ケ瀬湖まで伺いました。風人くんと一緒に。
「先方の依頼内容は、新しい観光資源の開発と発掘に関して、お手伝いしていただけないかとのことです。まだ何も検討材料は持ち合わせてないので、その時は、先方のお話を伺い、資料をいただいて、私どものからは今までの活動内容を説明してきました。」
神宮寺が圓●と四■の顔を交互に見ながら・・・・・・
「多分、皆さんも新聞などでご存じだと思いますが、今年はいつもと異なり、雨が少なく、宮ケ瀬湖の水位が下がり、現在50%を切る状態になり、宮ケ瀬湖の中に沈んでしまっていた村が顔を出し始めました。その中に村のお社の熊野神社が見えるようになり、赤い鳥居も水面近くになり、神社の社殿を見えるようになってきました」
神宮寺が先日見た湖水の熊野神社の話をした。神宮寺が話をしている間に風人が撮った写真と宮ケ瀬湖周辺の地図を机の上に並べた。
「初めての訪問だったのと、このような神社の話が出て来るとは、私どもは思いませんでした。
次回、宮ケ瀬へ伺う時はしっかりと準備をして行こうと思っています」
「今日、来ていただいたのはまだどのように展開するか分かりませんが、
宮ケ瀬湖を訪ねた後のこの一週間で私が集めた資料を参考にして、圓●さんと四■さんの意見を伺えればと思っています。以前にお話ししました江戸幕府の海からの脅威に対しての防衛線、西からの攻撃にたいしての防衛線、
私はこれを山側の防衛線と呼んでいますが、大外の防衛線は、箱根山から
伊豆半島、その内側の防衛線は、大山と相模川ライン、最後はやはり、多摩川あたりだと想像しております」

「私たちも今日、呼ばれた意味をそれなりに理解しております。やはり例の話になりますか?」
圓●が途中で言葉を挟んだ。
「圓●さん、その通りです。これから私が調べた内容に対して、色々なご意見が欲しいのです」
風人が言葉を繋いだ。
「あれから半年以上? もっと経っているかもしれませんが、また、これで終わるとは、今日、集まってくれた人は、誰も思っていないと思います。
これからの私たちがどのように準備し対処するかを話し合いたいです」

「先生がこれから調べた内容について、疑問や質問や沢山の意見が欲しいです。」
神宮寺が資料を集め、調べ終わったばかりで、風人が圓●に向かって
「私もまだ先生から詳しくはお聞きしておりません。圓●さんたちと同じです」
全員がまた、動き始めたことを念頭において意識して、神宮寺の次の言葉を待っていた。
「風人君、ありがとう。人はお金の話になるとその人格が変わることが多々あります。
また、それによって他からの力、圧力で変わってしまう人もいますので、私がこれから話すことは、あくまでも仮定ですので、一人一人が自分の中で考えて咀嚼しください。
そして言うまでもありませんが、ここにいるメンバーだけにとどめておいてください。まだ私の想像の域を出ていませんので」
神宮寺はこれからが本題に入るので、少し間を置いてから話始めた。
「ここ神奈川県愛甲郡とは言っても、今、私どもに係っていますのが、宮ケ瀬湖周辺の市町村全体の話になります。私がここ宮ケ瀬湖の行政からの依頼内容は、宮ケ瀬湖周辺に係る市町村です。愛川町、清川村、厚木市、相模原市です。特に愛川町と清川村ですが、この近辺には昔から半原大工と呼ばれる多くの宮大工がおり、江戸城の修復、増築などに深く係っています。それ以前から太田道灌の時代になりますが、江戸城の築城後、家康が居城として構えてからも、この地区の大工、宮大工が江戸城の修理、保全、増改築を行ってきました。幕末時期にはかなり多くの改築を行っております。この半原宮大工集団は江戸から遠州(静岡)まで幅広く寺社の建築などを手掛けています」
「ここで以前の横浜、横須賀、三浦半島で我々が調査した寺社に係ってきます。江戸中期に整備された街道を※矢倉沢往還(やくらざわおうかん)、特にその中で大山阿夫利神社への参拝道を「大山街道(おおやまかいどう)」と呼び、賑わっていました。この矢倉沢往還を使って半原宮大工は活躍しました。この矢倉沢往還には、小田原から大山、八王子から大山、赤坂御門から大山などがあります。後に整備された東海道は人の往来のため、この矢倉沢往還は物資の輸送のためと言われております」

※「矢倉沢往還(やくらざわおうかん)」
   江戸・赤坂御門から三軒茶屋、長津田、厚木、松田、御殿場を経て、
   東海道の沼津まで至る街道。東海道の脇往還として機能。途中、矢倉
   沢関所が設けられたことからこの名が付いた。

※「大山(おおやま)街道(かいどう)(大山道)」
   江戸中期に入り、庶民の間で大山講が盛んになり、宿場が整備されて
   いた矢倉沢往還が参道として利用されるようになり、大山阿夫利神社
   までの道を大山街道と呼んだ。

 
「これで皆さん、お分かりになったと思います。例の件の条件が全て整っていますのが、この地域です。最初の出来事を思い出してください。高部屋神社の出来事を・・・・・・」
地図の伊勢原あたりに指を指して・・・・・・
「この高部屋神社も大山街道沿い、それも幕末に再建されています。慶應元年、1865年です。」
「私としましたら、江戸城に関係する半原宮大工集団が居たこの宮ケ瀬地区を中心として、この街道、矢倉沢往還、大山街道を調査したいと思っています」
「また、これからもっと調査が必要ですが、もう一つ、半原宮大工の他に
重要な役割をしたと思っています関東修験者集団が愛川町にあります。修験者の霊場となっている

ハ菅山という第五行所(修行場)があります。今はそこにはハ菅神社があります」
「このハ菅の修験者は圓●さんたちの集団「龍の防人」とは別に、幕府のために協力したのではないかと思っております。このことに関しては、もう少し調査研究をしてから、皆さんに説明をしたいと思っています」
「もし、圓●さんたちが、これらに関する資料をお持ちでしたら、拝見出来ないものでしょうか? これからの解明に役に立つと思っています」
手元の写真を見ながら・・・・四■が質問の挙手した。
「その話とこの写真との関係は・・・・・・何かあったんですね?」
「先日、初めて宮ケ瀬に伺い、拝見した湖の沈んた神社、熊野神社ですが、ダム建設にあたり、湖底に沈んでしまった神社です。この地区の鎮守様でしたが、この干ばつで観ること出来るようになりました。この神社には言い伝えがあったそうで、それを守ったお蔭で社殿もそうですが、向拝の龍の彫物がそのまま社殿と切り離されずになっています。
この熊野神社は再建され、現在は湖畔にありますが、全てが新しくなっています」
「その言い伝えとは、社殿と龍は切り離すな!とのことです。かなり前から代々受け継がれているそうです。」
四■「う~~ん と言うことは・・・・・・何かある? その言い伝えの中には・・・・・・それをこれから調べようと言うことですね」
神宮寺先生 「これが事の始まりと言うことですね。調査の途中ですが、私が調べている事柄のほとんどがこの宮ケ瀬地区に何らかの関係性があるように思えます。」
「御存じの通り、昔の主たる輸送手段は海上輸送です。この地区は山から木を伐り、重い木材を運ぶためには、相模川を利用しなければなりません。
その上流の中津川から相模川、そして相模湾へ。もちろん矢倉沢往還もありますが、物資の輸送、特に木材は大変です。これも私がここの地区に興味をいただいた理由の一つです」

「それと以前にお話ししましたように、もし御用金などを運ぶ、隠すにあたり、やはり宮大工を隠れ蓑にするのが良い方法だと思っています」
圓●「私もまだどこかに眠っていると思っている一人です。しかし、どこを調べたらよいのか分からなかったのが、神宮寺先生の話を伺って、絞ることが出来そうです」
「戻りまして資料を調べるのも一つですが、うちの長老? 父親と爺様にも今の話を伝え、口伝えで聞いている話を拾ってきます。それをここにいる
四■にまとめさせて、後でお送りします」

「この件は我々だけでの調査となりますが、神奈川中央新聞さんの協力も
必要です。

これを公にするときには、皆さんの承諾を得てからと約束します。また、
宮ケ瀬周辺の行政関係の一部の人に許諾と協力を仰がなければなりませんので、その点は了解ください」

「風人くん、何か付け加えることありますか?」
改めて風人が繰り返しになるがと前置きして
「先生、私は前回の海の守りの関する事柄と今回調査する地区や寺社の特徴などの共通点を探そうと思っています。やはり、基礎となる条件はある程度一緒だと思いますので、それを踏まえての方が無駄が少なくなると思います。」
「そうですね、圓●さんの方は、いかがですか?」
「海側の守りの方は、宮彫り師さんを軸にして、調査しましたが、今回は
宮大工集団を軸に考えてよろしいのですか?」

「この半原宮大工の棟梁(とうりょう)と言われる頭(かしら)になる人は、彫刻工(木彫り)の技術が優れていないと成れないそうです。他の土地で修業することもあったと思います。江戸で修業をしてその技を地元に持ち帰ったと考えています。この半原宮大工集団の中の一つの棟梁に矢内家(やうちけ)がありまして、代々の棟梁の矢内高光を筆頭に優れた宮彫り師だったそうです。作品はこの地区を中心に残っています」
「例えば相模原市緑区ですと、諏訪神社、青蓮寺、愛川町ですと勝楽寺、
龍福寺などですね」

「今回の調査の対象となる地域内には、約50~60の寺社があります。
観る前に選別しないで、とにかくすべてを観てから判断しましょう」

圓●と四■は、お互いに顔を見合合わせ・・・・・・
「私どもは表に出ることは避けたいので、裏方作業をお手伝いさせていただきます。それが私どもにとって今後の活動に支障ない程度のご協力となります」
「分かりました。今後の直接の打ち合わせはそれほど出来ないと思いますので、望月さんを介してでも、SNSでも連絡し情報を共有しましょう」
 
話が一段落した所で、圓●が風人に顔を向けて改まって様子で・・・・・・
「ところで、風人さん、今度会った時に聞こうと思っていましたが、何か
武道などをやっていたのですか? 合気道のような・・・・・・」

「私は生まれが山の麓のような所で、野山を子供のころから駆け回っていました。そして二十歳近くになった時、一人旅の途中で立ち寄った所に先生と呼んでいますお爺さんに会い、特に道場とかを構えているわけでは無く、暇な時に私に教えてもらいました。
その人は特に武道の名前とかは言いませんでしたが、今思うと古武道の中の一種をその人なりに工夫したのだと思います。決して自分から仕掛けない
攻撃しないことを基本としているようです。合気道に似てますね。それを
自分なりにアレンジしてます。昔と違いますので、

今はナイフなどの刃物もありますので・・・・・・」
「それにしても、いつの間にかと言ってもいいのかどうか、風人さんの静から動に変わる瞬間が見えません。
私たちは、四■も菱◆にしても、子供のころからそれなりに鍛えられ、毎日毎日,稽古でした。私どもの決して、こちら側から仕掛ける技を教わったわけではありませんが、それなりに攻撃技も習いました」
神宮寺先生が、笑顔でうなずき、一言加えた。
「一目瞭然ですので、私が風人くんを相手に遊んでいる? 楽しんでいることをお見せしましょう」
「風人くん、皆さんに飲み物を買ってきてくれます?」
風人が会議室から廊下に出ようとした時、神宮寺は風人の後ろ姿に向かって同時に二つのも物を投げた。一つは机の上にある落としたら壊れる花瓶、
もう一つは筒状に丸めた紙の地図。風人は一瞬、振りかえりながら筒状の地図は取らず避け、割れやすい花瓶と両手で大事そうに受け止めた。

「これでお分かりですか、彼は瞬時に多くの事を判断しています。どちらが危険度が高く、あぶないのかを。普通の鍛錬した方ですと、避ける、叩き落とすを同時にやれるかもしれませんが、彼はそれ以上と言うか、私の勝手な解釈ですが、彼の体の中では、時間が我々が感じている半分程度のスピードしか感じていないのかも知れません。その間にどちらが壊れやすく大切な物かを瞬時に判断出来るのだと思います」
風人は、微笑ながら・・・・・・
「先生はこの間はコーヒー缶を後ろから放ったんですよ。段々過激になってきました。最初はミカンでしたのに」
圓●、四■、自分たちなら、両方を叩き落としていたかもしれない。なにが彼のすごさなのか、少しだけわかったような気がした。
「ごめん、ちょっと迷惑だったかもしれないね。でもまだ何が特別な能力を隠して持っていそうな気がして、いろいろ見てみたいな」
風人、神宮寺の言葉を気にせず、廊下を出て、飲み物を買いに行った。
「すいません、話がそれてしまいましたね。とりあえず私どもは次回、宮ケ瀬を行く計画を立てます。逐次、私どものっ行動予定はご連絡します。圓●さんたちは、いつどもどこでも神出鬼没ですので、ご都合が良い時に参加ください」
風人が戻ってから、神奈川中央新聞との協力関係や宮ケ瀬湖周辺の行政の体制などを圓●たちに説明した。
               ≪龍≫

【龍福寺拈華関】
【江島神社不老門】

※ 冒頭の写真:相模原市鳥屋(とや)諏訪神社本殿の向拝柱の龍


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