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『龍の遺産』  No.21

第三章 「龍は死なず!!」


風人一人、沼津からバスに揺られ、西伊豆の松崎町に出かけた。青木さんが車を出すと言ったのだが、今回はいつもの調査の他に、何かが起こりそうな気がして、遠慮してもらって一人旅となった。此処を訪ねるのは3回目になる。この町、松崎町が幕末前、表舞台では目立つことはなかった静かな港町だったはずだ。しかし、突如、造船所、見晴所が出来、多くの役人が来て陣屋が設けられて、外国船の脅威に備えることとなった。この時、時代の変化に敏感に反応したのが石田半兵衛の長男馬次郎(信秀)だった。自分の才能を木彫り師より国防へと使うことに使命感を持ったようだ。単なる宮大工の倅がアイディア一つで、掛川藩に取り立てられ百石取りの武士に取り立てられた。
松崎町に詰めたに武士は、武士とは言えないほどの下級武士で、一俵取りに甘んじていた時代だ。宮大工の倅が百石取り、自分たちは一俵取り、不平不満が当時からあったことはゆがめない。
それを意に介さず馬次郎(信秀)は着々と自分の計画を進めていった。かくして文久2年(1862)馬次郎が設計した「無難車船」の建造が松崎町で始まった。資料によるとその後試作した船を進水させるが、諸々に不具合が見つかり完成品とは至らなかった。
このような史実を事前に確認して風人は松崎町へ向かっていた。

バスから外の景色を見ながら、風人は考えた。熊野権現の吉野氏、自分の生い立ちが武士、それも掛川藩の下級武士だったと言った。それと我々が境内で会話をしていた時に感じた眼、町役場から熊野権現を訪れることを事前に分からなければ、先に来ることはできないはずだ。町役場から連絡を入れたと考えた方が理にかなっている。熊野権現の吉野氏は役場から連絡があったと自分から話したし、何か隠していた様子はなかった。松崎町の中にはある連絡網があるようだ。それも昔、掛川藩の武士の子孫たち同士の中に。今回も前回同様、最初に町役場を訪ねた。前回訪れた時に相手をしてくれた人が今回も・・・・・・風人を見て近づいてきた。
「いや~熱心ですね。今回も寺社の彫り物の調査ですか?」
「その節はありがとうございました。色々見させていただき参考になりました。今回は前回いただいた小冊子(石田半兵衛一族とその作品)の内容に興味を覚え伺いました。今日は助役さんはおいでになりますか? 」
「ええ、おると思いますが都合を聞いてまいります。ちょっと様子を見てまいりますので。お待ちください」 と言って、奥へ消えた。
少し待って、前回と同様に助役と一緒に奥から戻ってきた。
風人は「その節はありがとうございました。この冊子のお陰でいろいろな事に興味が湧きまして、迷惑を顧みずまた来てしまいました」
「本当に興味を持たれたのですか!我々の仲間との力で本を出して、一人でも興味を持たれた方がいらしてうれしいです。で今日は・・・・・・?」
「あの冊子の中の石田半兵衛の長男:馬次郎(信秀)に興味を覚えて、伺いました」
助役は、少し驚いた反応をした。
「それはそれは、この町でも彼の功績は分かれております。天才という言葉は彼に当てはまりますのは間違いありませんが少し急ぎ過ぎたのかもしれません。当時の時代が彼に追い付いていなかったかもしれません。その意味では、当時、周りから、ほら吹き、ペテン師、詐欺師などと言われましたが、しかし、当時の藩主はその才能を高く評価したことは事実です。一介の宮大工が度々現れる外国船に対抗するための軍艦、西伊豆の荒波に耐える新らしい輸送船の両方に使える船を考えたことが今でも信じられません。やはり天才としか言えません。しかし、残念なことに39歳で処刑され、彼の功績は世に出ないまま終わってしまいました」
風人の考えていることと冊子の編集に携わった助役の考えとは一緒だと思った。もう少し踏み込んだ質問をした。
「彼が藩主から許可をもらい造船所、造船したのは松崎町ですね。大勢の方が携わったし、多くのお金が使われたと思いますが、その費用は何処から出たのですか? 掛川藩が捻出したとも思われませんが・・・・・・」
「その通りです。藩にはそんな余裕は無いと思います。造船に携わった船大工だけでも数十人以上だと聞いています。どこからそのお金を用意したのですかね? 私も不思議です」
「文久2年(1862)に造船を開始し、翌年に試運転して失敗してますね。この少し前の年に何か変った出来事とかありませんでしたか?」
「いや~文献が残っていればその冊子に書かれているはずですが、分かりませんね」
助役は残念そうな顔で話をしめくくった。

風人は感謝の言葉を告げて・・・・・・
「お忙しいところ時間を割いていただきありがとうございました。ところでこの近くに馬次郎の作品があるところ、ご存じありませんか?」
「馬次郎の作品は~~松崎町にいた時は、半兵衛の弟子のようなものでしたから、銘は石田半兵衛しか残っていません。ご存じだと思いますがほとんどの作品は甲州にあります。下田に行かれてはどうですか? 確か白浜神社は半兵衛一族が携わっているはずで、長男馬次郎、四男の徳蔵も一緒に彫っているはずです」
「ありがとうございました。もう少し松崎町を見て回ってみます。それから前回、いろいろ教えていただいた熊野権現の吉野氏にもお会いしたいと思っています。」
風人はお礼を述べてから、役場を出た。
前回もここまでは同じだ。神宮寺先生と一緒に役場を出てから、監視の眼を感じたが、今日は特に何も感じない。風人はこれから前回訪れた熊野権現の吉野氏を訪ねる予定だ。
連絡は入れてはいないが、風人には吉野氏が待っていると確信している、それも一人ではないと・・・・・・

 参道から少し入った熊野権現の境内はいつものように静けさに包まれていた。風人はそのまま社殿に向かって歩いて行った。前回訪れた時と全く変わりなく、このように何十年もここに鎮座してきたようだ。吉野権禰宜は境内の落ち葉を集めて掃除している。風人が近づくと顔を上げた。
怪訝そうな顔だったが、思い出したように笑顔で 
「いつぞや来られた方ですよね。確かお二人で見えた方ですね。」
落ち着いた対応、隙のない立ち姿、前回会った時はそれほど意識はしなかったが、今日は吉野の方から強く感じられる。
「先日はありがとうございました。いろいろ調べたいことが出て来まして・・・・・・確か吉野さんでしたよね。また教えて欲しいと思って訪ねてきました。 松崎町役場から連絡が入ってますよね」
「いえ特に何もありませんでしたよ」
「前にお伺いした時にも吉野さんに役場から連絡が行きましたよね。私が訪ねてくるのを事前にご存じだったようでしたので、今日も連絡がいったのかもと思いました」
「いえいえ、今日の午前中にご祈祷がありましので、電話には出れませんよ。それがなにか?」
「もうすでに何人かの方がお見えになっているようで、私に興味があるようで・・・・・・」
吉野は、風人をじっと見つめた。
そして一言「貴方には分かっていたのですか」
吉野は境内の奥に向かって静かに声をかけた。
「太田、鮫島、ここまで来てくれ」

少し間があってから三人が出てきた。太田、鮫島のほか、太田の妹、茜も一緒だ。
「ご紹介します。私の友人の太田さんと鮫島さん、それからこちらが太田さんの妹の茜さんです。おっしゃる通り、貴方に興味がありましたので集まるようにお願いしました」 
風人は三人に挨拶した。「前回、こちらにお邪魔した時にいらっしゃいましたのは一人でしたが、貴方ですよね」 鮫島の方を向いて訪ねた。
鮫島は少し驚いた。吉野は先ほどの風人の言動で少しづつ風人の人となりがおぼろげながら分かりかけてきたが、どこにでもいるような青年、気負いもなく飄々として、物おじしない立ち姿に何処か戸惑っている自分がいる。「皆さんが私に対して、興味を抱いている理由は多分、私は理解していると思います。私も誤解を招かないようにしたいので、それも今回の目的の一つです。吉野さんから既にお聞きと思いますが、私たちは純粋に寺社の装飾彫り物、宮彫りを調査研究をして、10年にもなるグループです。 代表となってます神宮寺先生は、先日、私と一緒にこちらまでお邪魔しました。私どもの活動に興味を持っていただいた神奈川中央新聞さんが、昨年来、私どもの活動を応援していただき、記事にしております。私どもにとっては宮彫りの周知活動の大変良い理解者となっています」
吉野が 「立ち話もなんですので中でお話を聞かせてください」 社務所へ案内した。

 「今回は俺たちの出番はなさそうだな、圓●」いつものように仲間同士しか聞こえない口調で、菱◆がつぶやいた。
少し離れた場所の木の上で、三人は境内を見守っていた。
「圓●、風人くんは俺たちのこと、分かっているんじゃないか? ここにいることを」
「多分、そうだろう。その気配も見せないな。もう少し様子を見よう」
四■はタブレットを見ながら
「社務所に入ってから一対四で襲われるじゃないか?心配する必要もないか、風人は」
「でもあの四人、ただ物ではないよ。見てわかるよな、圓●」
「ああ、吉野とかいう熊野権現の権禰宜は弓がすごい、他の連中も武道を嗜んでるな。そしてあの女? も雰囲気がある。まあいまのところ、もめる様子はなさそうだから、待とう」

 社務所内に落ち着いた4人は、すでに馴れた様子で席に着いた。吉野から示された席につくと、まだ風人を疑っている三人は、風人の一挙手一投足をじっと見つめた。
口火を切ったのは吉野ではなく鮫島だった。
「前に来た時、俺がいることは何故わかったのですか?」

「良くそのような質問をされるのですが、ちょっと説明しにくいのです。
吉野さんとお話をしていた時に、吉野さんの雰囲気というか、空気感と言うか風の流れと言うか、ちょっとした違和感を感じるのです。あの時は・・・・・・そしてかなり強い意志が感じられましたので、分かりやすかったです」
鮫島は仲間に眼をやり、最後に吉野を見た。吉野は暗黙の了解のようにうなずいた。
風人は話を続けた。「今日は、それほどでもなく大勢の人からの視線を感じました」
吉野が話を本題に戻すために話を始めた
「これでみんなも少しは分かったと思うけど、風人さん たちグループは以前我々が集めた資料、神奈川中央新聞の記事の提供者だ。読んだ通り、寺社の彫り物の調査研究をしている中で、記事の中に書いてあるような件に出会ったようだ。我々より詳しい情報を持っているし、見解もあると思う。ここは我々を知ってもらい、その後、持っている情報を提供してもらった方が良いと思う。どうだ鮫島、大田」
二人が同時は「分かった」
太田が代表して 自分たちの生い立ち、掛川藩の下級武士の出身などを説明した。
最後に、「あの記事を読んで、我々の現在置かれている事情を考えるうち、当時、どのようなことが起こったのか? その金がどのように使われたのか?を知りたくなった。本当にあったのか? まだどこかにあるのか? 
など疑問だらけになり仲間に相談して、動いたということだ」
妹の茜が、「早く言うと宝探しをしたくなったということね」
兄の太田がたしなめるように
「簡単に言うな。先祖が苦労してきたことを知りたいと思っただけだ」
吉野が風人に向かって 
「風人さん側にも今話せることと話せないことがあると思いますが、教えていただけますか?」
「それほど隠し立てする必要も内容も私たちにはありません。神奈川中央新聞はそれなりに新聞記事にする思惑があると思いますが、いつも私たちの判断を優先にしてくれています。これは私どもの代表とのいままでの調査をまとめた事実を元に推理したことです。すべてが真実かどうかは分かりません。それを了承してください」
風人はここ松崎町と箱根での調査、宮彫り師たちの作品を探し、小田原、湯河原の調査なとの説明をした。それに伴う幕末時の出来事、戊辰戦争、箱根戦争、その中での木更津の請西藩の遊撃隊の件、掛川藩と幕府との取引などを話した。その中に見え隠れする軍用金の流れも推測して述べた。
「これから話すことは、貴方方の中に留めて置いていただきたいのですが・・・・・・私たちだけでは幕末に何が起こっていたのか? 歴史の表に出てきたことしか分かりません。
私たちに協力? 共に行動している別の仲間がおります。彼らの活動は幕末前から代々続いており、今回の軍用金の件やその他、幕府の命によって動いており、今も脈々とそれが受け継がれています。その彼らの持っている情報、文献は大変役に立っております」
「しかしそれでもまだ資料が不足していますし、なかなか資料が見つかりません。その為、かなり想像を膨らませなければいけません。もし皆さんが知っていることがあれば補足してください。先ほど説明した中での掛川藩内か? 何処かに幕府から提供された軍用金が、1860年ごろ、ここ松崎町で港整備、造船所、見張り所などに莫大なお金が使われています。これは資料が残っています。また掛川藩から数十人の役人として武士が来ております。多分、この中に皆さんの祖先が含まれていたのだと思います。掛川藩にとってその費用はかなり負担になったはずです。
幕府から外国船舶の脅威のためとはいえ、そんなお金はなかったはずです。その意味では、その諸費用は当時の幕府から供出されたと考えています。
しかし、掛川藩にはその件に関しての資料が残っていません。江戸から掛川まで船で運ぶとしても大変ですし、陸路ではかなり無理があります。そこで私たちは今迄の経験から寺社の力を借りたのではないかと考えました。
特にその中で宮大工の役割は大きかったと思います。寺社の建立、修復などを隠れ蓑とし、大きな荷物、木材などを運ぶことができる。誰も疑いません。特に宮大工の中で自由に動けて束縛がないのは宮彫り師。松崎町には石田半兵衛という名工がいました。私たちは当初、彼に注目しました。ここ伊豆をはじめとして下田にも作品を作って収めています。
もっとも注目したのは湯河原町です。石田半兵衛の作品のほか、安房の国(千葉県)の名工、初代伊八と江戸の後藤家の三治郎恒俊(利兵の師匠)の作品がほんの数キロ圏内にあります。私たちは今迄の考えでは葛飾北斎が動き、協力者を探す役目。宮大工と宮彫り師が協力して運搬し隠匿する役目だと今回は考えました。しかし、この中に収まらない人物が登場してきます。それは石田半兵衛の長男:馬次郎(信秀)です。この人物こそが、軍用金に関して重要な役目を果たしたと考えます」
風人はしばらくみんなの様子を伺い、一息入れた。
吉野が仲間の三人に向かって
「町役場からいただいた冊子に出ていた。馬次郎は確か半兵衛の後を継いで宮大工になったと書いてあった」
「そうです。しかし馬次郎は一介の宮大工では収まらない人だったようです。天才と言っても過言ではないと思います。当時はほら吹き、詐欺師などとも言われたようですが、私たちは石田半兵衛から馬次郎へと掛川藩への軍用金が渡ったと思っています。もちろん当時の藩主が馬次郎の提案を受け入れ、その費用に充てたと解釈しています。それだと何故貧乏な藩が?が納得出来ます。当時はまだ江戸湾は幕府の船が往来していましたので、船で小田原、熱海、真鶴まで、後は陸路を使って。伊豆半島を周るリスクは冒さないはずです」
吉野たちは、風人の説明がそこで終わったところで、少し考えた。
「と言うことは、そのルートでここ松崎町まで運ばれ、その大規模な港の整備に使われたということですか。すでに全部使ってしまい残っていないということか?」
「それは私には分かりません。あくまでも推測の域を出ていません。あれだけの湾岸工事には当時のお金で数万両、いや数十万両かかります。馬次郎はここで船を造り、試した。その後江戸で完成させたと言われています。またになりますが、その費用はどこから捻出したのかとなります」
「私の推測ですと、その費用はそこから捻出された可能性が高いと思っています」
全員が黙ってしまった。一人茜が風人に興味を抱いたようで、率直に風人に聞いた。
「風人さん、もし私の兄たちが宝探しみたいに探している、その幕府の軍資金の残りを見つけたとしたら、それはどうなるの?」
「ごめんなさい、私はまったくそれに関しての知識は持ち合わせていません。また、残ったとしてそれが何処にあるかは・・・・・・まだ検討がつきません。しかし、一つだけ思い浮かぶのは父半兵衛と長男馬次郎が携わった仕事に関係があると思っています。私たちの今までの経験のなかで、誰にも分からず一子相伝のごとく、また他の人が分からない方法で隠してあると思います」
吉野は風人の説明にある程度納得していた。
「風人さん、無理やりお止めしてこのように話をしていただき、ありがとうございます。ここにいる仲間と話し合いをして、今後どうするかを決めます」
しかし、太田はまだ納得していない顔をしている。
かれこれ小一時間経った。まだ不完全燃焼気味のようだが、少しは理解していただいたと感じた。
風人が話の最後の締めくくりのように・・・・・・
「私たちは多分、再来週あたりに神奈川中央新聞さんとの打ち合わせがあると思います。軍用金の行く末は私どもにはあまり興味はありませんが、新聞社としたら・・・・・・・それを題材にするかもしれません。出来ればそれまでに皆さんで話し合ってください」

外は陽が落ちかけて始めている。風人が静かに席を立とうとした時、リーダー格の鮫島が 「貴方はどこかで武道をやってましたか? 立ち振る舞いでそう感じたのですが」
太田も追いかけるようにして・・・・・・
「そう、隙だらけのようで隙が無い。」 また茜が「私は最初に見たときか分かった。歩き方を見てそう思った」
吉野がそんな三人の話をまとめるように 
「前回お会いした時は、もう一方の年配の方に注意が行きましたが、今はこうして目の前で見ると、分かるような気がします」
風人四人を見渡し、ちょっと照れた。
「皆さんもそれなりにやられている方々ですね。直ぐに分かりました。私は特別な修練を積んだ訳ではありません。たまたま旅の途中で出会い、落ち着いた所が、辺鄙なところにある名前もない道場で、そこで7年ほどお世話になりました。特に何を習うと言うわけでもなく、流派がある訳でもなくそこの年配の先生と稽古をしていました。また、山が近く、毎日毎日、野山を駈けずり回っていました。私は何も持たず素手で、先生がその都度、何かを持っての稽古でした」
「木刀とか杖と槍とかですか?」
「ええ」 風人はうなずいた。
風人は静かに立って出口に向かった。その背中に追いかけるように太田は声をかけた。
「一度、それを見てみたい。そこを降りたところで待っててください」
「お前、何を言い出すんだ。初めて会った人に・・・・・・」 吉野は驚いた。
「俺も見てみたい。何か知らないが彼の醸し出す雰囲気がそうさせるのか分からないが」 鮫島も風人の背中に向かって語りかけ、静かに立った。
茜が後押しをするように 「私も見てみたい。風人さんは自分では分かっているかどうか分かりませんが、武道を多少なりとも嗜む人にとって、何か不思議と引き寄せられるものがあります。 見てみたい」
風人は立ち止まり、振り返った。
「吉野さん、皆さんはこの境内で稽古されていたんでしょうね。裏の弓道場は吉野さんのですか?」
「ええ、手作りでして、弓道場とは言えないほどのものですが」
「皆さん、それなりに稽古をされていたことは想像できます。お互いに稽古ということであれば、御手合わせをお願いします」 と言って社殿の外へ出て行った。
風人は思っていた。突然知らされて夢が潰えたその気持ちをどこにも持っていけない。彼らは彼らなりに葛藤している。境内に静かに佇み、圓●たちが潜んでいる木に向かって微笑んだ。
菱◆が降参したしたようにつぶやいた
「やっぱりな、ばれているよ。参ったな」
「そんなの最初から分かっているよ。まだ立ち去らないのは誰かを待っているのかな」
圓●は社殿の方に目を向けた時、4人が出てきた。そのいで立ちは各々、手に何かを持っている。木刀、なぎなた、弓・・・・・・
圓●は慌てたが菱◆と四■は静かに成り行きを見守っている。慌てた私をこの二人は「だから女は嫌なんだ」と思っているに違いないと無視を決め込んでいるんだと思った。
風人が声を出さずに圓●たちがいる木に向かって口だけを動かした。
「(なにがあっても姿を見せないで)と言ってるよ」 
圓●が風人の口の動きを読んだ。
四■「何が始まるんだ? 」 
菱◆がそれに応えるように・・・・・・「一対四の試合だな。いや稽古みたいなものだな。この様子だと連中が風人君に興味を持ったようだな。我々もそうだったな」 菱◆が解説者のように二人に告げている。
落ち始めた太陽を背に受けて風人は立っている。三人は扇型に陣形をとり、一人離れて熊野権現の権禰宜の吉野が弓を持ち立っている。社殿を背中にした三人は、太田は木刀、茜は練習用の薙刀、鮫島は何も持っていない。

一人ずつの対戦のようだ。最初に茜が稽古用の薙刀を持って前に出た。風人は何も変わらない。自然体で立っている。お互い声を出さず、静かに始まった。茜が少し戸惑っている。いままでの稽古相手とは違っている。気が発していないし、伝わってこない。いつも通りに薙刀を前に出してけん制し、次に上からの切り落とし、斜め横から切り上げる、また切り落とし、今度は逆から切り上げる。得意な連続攻撃だ。
それを先に仕掛けた時、風人の立っていた場所から一筋の光が茜の眼に飛び込んできた。一瞬、まばたきをした。茜がこの一連の攻撃をした時、薙刀が中ほどから掴まれていた。茜にはいつ飛び込んできて、掴まれたのかが見えなかった。周りで見守っていた三人にもどうしたのかが理解できなかった。
「分からないくらい少しだけ首を傾けて、相手の眼に太陽が入るようにしながら躰をずらず。」圓●が解説した。
「圓●、横から見ていただけで分かるのか?」
「一瞬、光が射した。ほんの一瞬だけ。それが一番効果があるんだ。その
おかげて相手の太刀筋が遅れ、ずれた」
唖然としている茜に太田は、「お前の負けだよ。次は俺だ」と言って蹲踞(そんきょ)して頭を下げた。太田は流石に武士の家系に生まれ日々の鍛錬を積んだ雰囲気が出ている。風人はまったく変わらない、同じ場所、同じく自然体、しかし風人には分かっていた。彼だけは怒りが収まらない感情があることを、それが表に出ている。こちらにそれをぶつけようとしている。力量は茜とは雲泥の差があることはすぐに分かった。一筋縄では行かないことを。ましてや木刀を持っている。こちらはいつもの無腰だ。風人は太田に微笑みながら・・・・・・
「太田さん、すでに不利な状態ですよ。神様を敵に回しています」
あいつ何を言ってるんだ。太田は思った。
「拝殿に背中を向けていますね。私に礼をつくしても向拝の神様にはおしりを向けています」
聞き流そうとしたが太田は躊躇した。自分の位置を変えようと右に動いた。しかし、風人もそれに合わせて動いた。太陽を背にした位置は変わらない。風人は自分の影を見ていた。
相手との距離、間合いはそれで分かる。風人は影で相手は距離感を失い、誤ることを知っている。踏み込んでくる。風人は動かない。初手で右斜めからの切り落とし、風人は見切っている。二の手で横に払ってくる。これも届いていない。次の攻撃の時、もっと踏み込んでくる。
太田が次の攻撃のため右わきに木刀を引いた。突きだ。踏み込んだ。
太田には何が起こったのか理解できていない。自分が地面に転がっていることが・・・・・・。
風人は太田が突きのため木刀を脇に抱えたと同時に前に出た。太田が突きのために踏み込むと同時に、風人はわずかに身体をひねり腰を沈め、太田の
ふところに入っていった。そして、太田の前に出る力を利用し、そのまま前方に投げた。この一連の動作が一瞬で行われた。 
誰も声を発しない。
風人は同じ場所に立っている。 吉野が礼をした。今度は自分が相手だということか。
二人の距離は15mほど、いつもの練習より近い距離だ。この距離だと真ん中の的の10cmも外したことがない。自信に満ちて弓を絞った。風人は動かない。左右の木々の葉を見ている。
風がそよぎ始めて葉が波打って右から左に動き出した。風人は太陽を背にしている。
矢が放された。吉野には外しようがない距離、練習用の矢だが、当たればそれなりにケガをする。

まばたきする間もなかった。矢は風人の躰を通り抜けたかのように数メートル後ろの境内の柵に当って落ちた。吉野は実践的な弓道を目指している。瞬時に二の矢をつがえて風人を狙った。
吉野は一瞬我が眼を疑った。風人が5m近くに近づいていた。慌てて矢を放ったが、しっかりと見ていなかったのと動揺で風人には当たらなかった。三の矢をつがえようとした時、吉野に影がおおいかぶさった。
「間に合いませんよ」
弓を下にさげた。「貴方にはかないません。不思議な人だ」
吉野は目の前に立っている風人に一礼をし、弓を収めた。
風人が一人残った鮫島に向かって
「鮫島さん、悪意はないのですが、最初から私の知り合いがずっと見てまして、吉野さんはすでにご存じだと思います。圓●さんたち、いらしてください。そこにいるのは分かっていますよ」

「ということだ。下に降りよう」
ずっと見ていた圓●たち三人は、境内の木々の間から現れて、近づいてきた。
吉野は驚いた顔で「あなた方は先日、いらっしゃった方ですよね」 
「その節は失礼しました。皆さんのお邪魔をしてはと思って隠れておりました」
風人が「私からご紹介しましょう。こちらの三方は、私ども調査研究に協力していただいています方々です。また、吉野さんたちは調べていました件にも関係ある人たちでもあります。その意味で、ご紹介したいと思いました。最初に、私たちは決して示し合わせてここに来たわけだはありませんので、誤解のないようにお願いします。あなた方が興味を持たれた幕末時の軍用金ですが、目的の場所のへ運搬方法や隠し場所などにはいろいろ難問がありました。当時の幕府から命を受け、それを警固したり情報を集めたりする組織が作られました。いまあなた方の目の前にいらっしゃる方たちがそれを代々江戸時代から伝え守っていた方々です。圓●さん、先ほど、貴方方の話を少ししました」
承諾を得るように圓●に話しかけた。それを受けて圓●が代表して・・・・
「特別な名称はありませんが、世間では私たちの事を「龍の防人」と呼んでいたようです。何故ならこの軍資金を隠した場所が龍に関係した所だったからとも言われています。私たちは宮彫りの調査で神宮寺先生たちに知り合いました。今は協力し合っております」
風人が圓●の言葉を繋いで
「彼らはこの歴史的な価値のあるものを守り後世へと伝えていくことを使命としています。残念ながらここ松崎町ではすでに当初の目的通りに使用されたようですね」
圓●は今まで自分たちに受け継がれた使命と調査した内容に自分たちの推測を付け加えて話した。鮫島たちは静かに圓●の話を聞いていた。
風人が鮫島に顔を向けて
「ところで鮫島さん、貴方だけ何も持ってないようですね。柔術のようなものを身につけているのですか?」
「私の先祖が掛川藩の武士だったことは話しましたね。下っ端の警固の役人、今でいうと地元警察官のようなもので、我が家にはその逮捕術が伝わっています」
「鮫島さんだけまだ稽古をしてませんね。ここは一つ、こちらの三人とやってみませんか?彼らも代々それなりの技を受け継いでいます。先日も一緒に修練しました。一対三になりますが、よろしいですか?」 境内にまた静けさが戻ってきた。吉野たちはこの展開に興味津々、見守っている。すばやく圓●たちは間隔を取り鮫島を囲んだ。お互いに警戒し動くことが出来ない。圓●たち三人が間隔を少し狭めた。間合いは二間、お互いの技が読めない。徐々に間隔が狭まってきた。先に鮫島が動いた。
圓●を拘束して、楯にして残りの二人をと考えたようだ。 圓●たちは風人との稽古後、自分たち独自の練習メニューを作り、日々、鍛錬してきた。その成果を今日、風人の前で見せることになった。

風人のいう「自然を味方に」の他、三人のタイミングを合わせる工夫を重ねた。彼らの持っている技、他の人には聞こえないほどの発声法を生かし、圓●が残りの二人を符丁で指示し、飛び出すようにした。それは一瞬の出来事だった。鮫島もそれなりに読んではいたが、一瞬で飛び込まれ、金縛りにあったように身動きが取れなくなった。両足、手首、首を押さえつけられ、地面に倒された。
圓●はいつの間にか手に結束バンドが握られており、両手、両足を縛られた。
「参った、そこまでだ。それ以上しないでくれ。もう動けない」と情けない声を出した。
見ていた仲間は驚くどころか笑いころげている。特に茜が驚いていた。
「貴方たち、すごい。どこも傷つけずに動けなくするなんて、鮫島さん、
これが代々江戸時代からの逮捕術ね」
結束バンドを外された鮫島は、ゆっくりと立ち上がり、圓●たちに向かって驚いたように「これが江戸時代から受け継がれている逮捕術なのか? 掛川藩の俺が教わったのと全然違う」
圓●たち、吉野達四人、そして風人にはお互いに共通しているのは、武道に携わった相手を敬う心がある。
最後に再会を約して、境内から風人と圓●たちは去って行った。わだかまりも一緒に持ち去って行った。

              ≪龍≫

 風人が湯河原と西伊豆から戻ってから約一週間後、神奈川中央新聞へ神宮寺の方から連絡を入れた。ある程度まとまったので一度打ち合わせをと言うことで圓●たちも先日の箱根の報告を兼ねての集まりとなった。当初は「謎の絵師:葛飾北斎と宮彫り師たち」との関係から始まったが、千葉、三浦半島、半原大工の里(愛川町、厚木)、そして箱根、伊豆へと拡がっていった。幕末の動乱期の渦に巻き込まれた宮彫り師たち、表舞台には決して出ない出来事に翻弄された宮彫り師たち、少しでもそれを伝えられたらと思い、皆が集まった。神奈川中央新聞はすでに来月からの特集として紙面を空け、準備をしている。どこまでを伝えたらよいのかを皆で判断しなくてはいけない。神奈川中央新聞も「龍の防人」の圓●たちも、そして神宮寺とその仲間たちも皆それぞれ今回の出来事を自分たちの中でどのように納得させられるのか悩んでいる。しかし、皆の気持ちは同じ方向に向いている。
このまま静かに次へと受け継がせることを・・・・・

北斎が動いたことにより風が吹き、初代伊八、後藤利兵衛などの宮彫り師がそれに協力した。この両者の思いが龍に伝わったのかも知れない。
北斎の絶筆画「富士越龍図」は龍を北斎自身に例え、命を全うして天に昇る自分を描いている。
自分の使命と命(いのち)の両方を抱いて天に登って行った。その後に命(めい)を引き継いだ宮彫り師もその思いを込めて宮彫りの作品「昇龍」を世に送り出している。「龍」は水を自由にあやつり、雨を降らせたり海を荒れさせたりする。それに翻弄される人間たち・・・・・
これらの出来事も龍に翻弄されたようだ。150年以上龍に守られていた「幕府の軍用金」はまだ少しだけ眠りにつけそうだ。


葛飾北斎:富士越龍図

              ≪龍≫

 鮫島、太田、吉野の三人は、いつもの港が見える防波堤立っている。もうすぐ日が落ちてくる。
「ちょっとした夢を見させてくれたよな、今回は。俺たちの先祖はこの海を渡って来たんだな。当時は大変だったろうと思う。いまでも時化(しけ)の時の漁は死ぬ思いをする」
鮫島は海を見ながら誰に言うともなくつぶやいた。馬次郎(一仙)が設計し挑戦した荒波にも耐える輸送船、外国の軍艦に太刀打ち出来る軍艦の無難車船。馬次郎(一仙)はこの国の中の、この時代に精一杯自分の夢を追いかけていたのかも知れない。しかし時代が馬次郎に追いついて行けなかった。
早く生まれ過ぎたかも知れない。
後の世ならば、稀有の天才として歴史に名前を残しただろう。
吉野達は眼の前に広がる海原を見ながら、幻なのか現実なのか分からないが、馬次郎(一仙)が思い描いていた船が港を離れ、夕日に向かって小さくなっていく景色を想像して・・・・・・
七艘が繋がっている船「無難車船」が海原に出て行く姿を想い描き、彼らには今、大海原に去って行く龍の如く、見えているのかも知れない。

吉野の手には、風人からの手紙が握られていた。今どき古風にも手書きの手紙をくれた。その中身は、掛川藩に渡ったとされる軍用金のすべてが松崎町の港の整備、造船に使われたのではないと思う。まだ何処かに隠されているかも知れない。特に石田半兵衛と長男馬次郎(一仙)が一緒に彫った、龍の彫り物がある神社かもしれないと書いてあった。そして最後に、もし見つけてもそれは龍の彫り物と一緒に静かに眠らせておいて欲しいと締めくくってあった。

そう云えばうちの神社(熊野権現)は、石田半兵衛の彫った龍がいる。当時の長男馬次郎は弟子のようなもので、名前は残していないが一緒にいたかもしれないと、ふと思った。

松崎町熊野権現向拝の龍(石田半芸作)

 

【第三章の本文中の龍の寺社】

①伊豆山神社(御朱印)ーーー 静岡県熱海市伊豆山 708-1

②素鵞神社(御朱印)-----神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜 1047

③子之神社(御朱印)-----神奈川県足柄下郡湯河原町福浦 129

④川堀熊野神社--------神奈川県足柄下郡湯河原町

⑤醍醐院-----------神奈川県足柄下郡湯河原町福浦 117

⑥貴船神社(御朱印)-----神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴 1117

⑦熊野権現----------静岡県賀茂郡松崎町道部 479

⑧宇久須神社---------静岡県賀茂郡西伊豆宇久須

⑨三島神社----------静岡県賀茂郡南伊豆町妻良 827

⑩円通寺-----------静岡県賀茂郡松崎町宮内 130

⑪淨感寺-----------静岡県賀茂郡松崎町松崎 234-1

⑫禅海寺-----------静岡県賀茂郡松崎町江奈 44

⑬白浜神社(御朱印)-----静岡県下田市白浜 2740

⑭白山神社----------神奈川県足柄下郡箱根町湯本 431

⑮駒形神社----------神奈川県足柄下郡箱根町箱根 290

⑯早雲寺-----------神奈川県足柄下郡箱根町湯本 411

 

 


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